二人の時間
ララを抱っこして馬車に向かうラトレイアの後姿を見て、俺とティリスはお互い顔を見合わせて、噴き出した。
「こっちに戻ってから、ずっとラトレイアにペースを握られちゃってますね」
「強引な女だよ、全く。連れてきたのは間違いだったかもな」
そう言ってお互いに笑い合う。
本当に、何だか思った以上にマイペースで、明るくて、強引で、でもちゃんと人を想いやっていて。俺が初めて見るラトレイアばかりを見せられた気がする。
あれが、権力に憑りつかれる前の彼女だったのだろう。
「あのラトレイアなら、私は嫌いじゃありません」
「料理を教えてもらえるからか?」
そういうと、ティリスがムスッとして顔を伏せる。
「私はただ……アレク様に美味しいものを食べて欲しいだけ、です」
拗ねているのか、恥ずかしがっているのかわからないが、
それが可愛くて、ついいじめてしまうのだ。
「知ってたよ。ありがとう」
そう言うと、彼女は顔を伏せて黙り込んでしまった。恥ずかしがっているのだろうか。
出会った日から交わっておいて、何を今更恥ずかしがる必要があるのだと思うけれど……それも、ティリスの心の持ちようが人族に寄ってきたせいだろうか。
また沈黙が訪れ、夜の虫の鳴き声と最後の薪の燃える音だけが残っていた。
なんだか、二人きりになるのが随分と久しぶりで、お互い気恥ずかしさが残っている。今更だけど、どう接していいかわからない。
「もうちょっとこっち来いよ」
「……はい、アレク様」
ティリスは頷き、ぴったりとくっついて、俺の肩に頭を乗せてきた。
そんな彼女の肩を優しく抱き寄せてやると、ようやく彼女が脱力したように身を寄せてくる。角を撫でてやると彼女がくすずったそうに笑いつつ……大きな翼で俺を抱き締めるように、優しく包んでくる。密着してる方の腕は彼女が両手で抱え込んでいて、もう片方の腕は翼に覆われている。俺の全てに触れたくてたまらない──そう言いたげだった。
最近は翼が邪魔だとかで人族の姿でいる事が多かった彼女だが、俺からしてみれば、翼や角も、彼女の好きな箇所の一つだ。
「なんだか……こうしてアレク様と2人きりになれるの、随分久しぶりな気がします」
「かもな。ララが入ってからは騒がしかったしなぁ」
世間知らずの
ただ、そうして騒ぎを起こすララといるのは面白かった。よく腹を抱えてティリスと笑ったものだ。
「ララが入ってからは楽しかったですけど、アレク様を独り占めできなくなったので……」
「嫌だった?」
「嫌ではないです。でも」
「でも?」
「……ちょっとだけ寂しかったです」
ほんとにちょびっとだけですけど、と彼女は付け加えた。
本当はちょびっとだけではなかったはずなのに、そうして強がるところが彼女らしい。
「だから、ラトレイアには今感謝してます」
嬉しそうにそう言って、俺の腕をぎゅっと抱え込んで、顔を伏せる。
ああ、もう。我慢していたのはお前だけじゃないのに。俺だってずっと我慢していたのに。でも、こうして2人きりになってしまうと、もう我慢できそうになかった。
「ティリス、こっち向いて」
「はい……」
彼女のあごに手を置いて持ち上げ、上を向かせる。
綺麗な白い肌に、ほんのりと赤みがかった頬と、まるで今にも涙を流すのではないかと思うような、潤んだ紫紺の瞳。この世にいる女の中で最も美しいのではないかと思えるような美女が目の前にいて、そんなこいつが俺の最愛の人で。その大きくて綺麗な瞳に映っているのは何なのだろうと覗き込むと、そこには俺が映っていて。
愛しくて愛しくて堪らない気持ちが溢れてきてしまう。
俺がそっと顔を寄せると、彼女はそっと目を閉じて……唇が重なった。
最初は小鳥が啄むような、短い口付けを何度もして、それから長い間唇を重ねた。そして、そのまま何度も何度も唇を重ね合わせて、互いの存在を確認する。
「今、敵に襲われたらどうする?」
一度唇を離して、彼女に訊いてみた。
今の俺達はあまりに周囲に無警戒で。簡単に誰かに攻撃されてしまいそうなくらい、無防備だった。例えば、ラトレイアが俺達の隙を作る為に席を外していたとするなら……俺達は格好の的だった。
彼女は少し考えてから──
「どうしようも、ないですね……」
諦めたようにそう言って、また唇を重ねた。
何度も何度も重ねて、舌を絡ませて、抱き締めた。
「ティリス」
「……何ですか?」
唇を離して、名前を呼んでみた。
「なんでもない。呼んでみただけ」
「……はい」
彼女はゆっくり頷く。
大切で、好きな人……その存在を確かめたくて、名前を呼んだなんて、恥ずかしくて言えやしない。
彼女も俺に名前を呼ばれて、くすぐったそうだった。
ティリス──それは俺に付けられた名前で、俺への絶対服従の証。でも、そんな事はどうでもよくて、ただただ誰よりも好きな人の名前を呼んでみたかっただけなのだ。
そこで、ふと思い返してみる。
俺は……彼女にその気持ちを伝えた事がなかったかもしれない。
「ティリス」
「……何ですか?」
彼女はさっきと同じように、また返事をする。
でも、今度はただ呼んでみただけではない。
「好きだよ」
気持ちを伝えると、彼女は目を見開いて、その大きくて綺麗な紫紺の瞳から、大粒の涙を一滴流した。まるで、初めて出会った時のように。
やっぱり彼女の名前は『
ティリスはもう一滴
「……はい」
先ほどよりもゆっくりと、噛み締めるように頷く。
そして俺達は、もう一度唇を重ねた。
その時──燃えていた最後の薪が折れて明かりが消え、あたりは夜の闇に包まれた。
それでも俺達は暗闇の中で唇を合わせ、抱き締め合いながら、ただ互いの温もりを感じ合っていた。
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