聖女の笑顔

 焚火を囲んで過ごしていると、鬼族の姫ララがうとうとし始めて、気付けば俺の膝を枕にして眠り始めた。剣聖との激戦もあってか、元気印の彼女も今日はもう限界のようだ。

 上位魔神ティリスは俺の手を握って炎をぼんやりと見つめていた。彼女も今日はいつもよりは疲れているようだ。


「本当に意外だわ。こうして見ているとあなた達って家族みたい」


 焚火を挟んで正面にいる聖女ラトレイアが言った。


「そうか? まあ、そう言ってもらえると嬉しいところではあるけどな」


 ぽんぽんと桃色髪を撫でると、ララがむにゃむにゃと寝言を言っていて、俺達3人は笑みを交わした。


「意外と言えば、ラトレイアも意外だったけどな。雑用手伝ったり料理したり……一緒にパーティー組んでた時にはそんな素振りすら見せなかっただろ」


 青髪の聖女は「そうね」と力なく笑って、枯れ木を炎の中に入れた。


「あなた達があまりに楽しそうだったから、何だか混ざりたくなっただけよ。それで混ざってたら楽しくなっちゃって、年甲斐もなくはしゃいじゃってたってわけ」


 出しゃばってごめんね、とラトレイアはティリスに謝ると、彼女は首を小さく振って顔を伏せた。ちょっと恥ずかしそうだ。

 そんな彼女も可愛いなと思って、ぽんぽんと銀髪を撫でてやると、じぃっと上目遣いで責めるように見つめられた。


「本当に不思議よね。昼間はあなた達の事を凄く恐いって思ってたはずなのに……今、凄く落ち着いていられるわ。本来の自分っていうか……嘘偽りのない自分で居られてる気がする。こんな気持ち、いつ以来かしら」

「怨んでないのか? 俺達はお前を苦しめて、最終的にお前の地位と名誉も将来も全部奪った連中なんだぞ」

「それはもちろん……最初は怨んでたわよ。それこそ、聖堂騎士団を使ってでも殺してやりたいって思うくらいにはね」


 ラトレイアには、俺達を襲ってきた聖堂騎士団の末路については既に話してある。彼女はその結果を聞いて「私が殺したようなものね」と呟いていた。


「でも、結局……あなた達がした事って、そんなに大きな問題じゃなかったのよね。ただ、見えなかったものを見えるようにしただけで……私がこれまで見てみぬふりをしていた事を、ただ見せつけられただけだったのよ。だからと言って、辛くないわけじゃなかったけど」


 見えなかったものを見えるようにした──それは、マルスとラトレイアの関係性だ。いや、絆の強さとも言えよう。

 もし、ラトレイアとマルスに強い絆があれば、さして大きな損害にはならなかった。<淫魔の呪い>はラトレイアの私生活や戦いには一切支障がない。ただ、性行為で快感を感じられないだけ、という制約が課されただけなのである。その制約が課されただけで関係が崩壊すると言うなら、マルスにとってラトレイアは、性欲処理でしかなかっただけの事だ。それをただ示してしまっただけに過ぎないのだ。

  

「ただ、さすがにあんな幻術を用いてシエルの命と天秤に掛けるのはやりすぎよ。ふざけるなって思ったわよ」

「それでは、本当に腕を引きちぎった方が良かったですか?」


 ティリスがすっとぼけて訊くと、「それはもっとダメよ」とラトレイアが笑って返していた。

 こうしてティリスとラトレイアが軽口を言い合える関係になったのは意外だった。お料理教室を通して仲良くなったらしい。


「でも、ほんと言うと……あの時私は、あなた達に感謝したのよ」

「感謝?」

「ええ。だってあの瞬間、私は〝聖女〟を辞める理由と、勇者パーティーから脱退する理由を同時に与えてもらったんだもの」


 ラトレイアはこの数か月間、全てを投げ出したかったそうだ。さっきの嘆きの通り、何の為に戦っているのかわからなくなって、ただ心を殺して回復師ヒーラーとしての役割を熟していたのだ。それは奇しくも、俺が魂を殺して雑用だけを熟していた日々と被るものがあった。

 だが、ラトレイアは俺と異なって、自分で辞める事も許されず、パーティーから追放される事もなかった。


「……それで、殺してほしいと言ったんですか」


 ティリスの問いに、聖女はこくりと頷いた。


「それが一番楽だって思ったから。でも……あなた達についてきてよかったと思っているわ。だって、ここには安堵しかないもの」

「安堵、ですか?」


 ティリスが意外そうな顔をして訊いた。


「ええ。だって、ここは仲間内で争ってないじゃない。皆で笑って、協力し合ってて……私達と大違い」


 それからラトレイアは、ぽつりぽつりと語り出した。合間に薪を継ぎ足しつつ、まるで懺悔のように言葉を紡いでいく。

 聖女に選ばれてからその肩書が重荷になって以前の自分に戻れなくなっていた事。それから間もなくして、ルンベルク王国王子にして勇者マルスから、聖女としてパーティーメンバーに選定された事。

 ラトレイアは、本来戦いが好きではなく、パーティーにも参加したくなかったらしい。だが、彼女には参加しなければならない理由があった。孤児院を守る為だ。

 バンケット領主が突然支出の削減だと言い出し、この孤児院への補助金を大幅に減額したそうだ。ラトレイアが〝聖女〟となった事で教会からも補助金は支給されていたが、それだけで孤児院の運営費を賄うには限界があった。

 そんな時に、勇者マルスからラトレイアにパーティーの勧誘があったのだ。しかも、マルスから提示された額は、孤児院の運営費数年分に匹敵する金額だったという。


「それって……マルスが裏で仕組んでたんじゃないか? バンケットの領主に圧力を掛けて」


 俺は思った事を言った。

 そう……今回のこの手口は、俺とシエルをパーティーに引き入れた時と似ている。あの時も、シエルを手に入れる為に、俺ごとパーティーに入れた。目的の為なら、彼は手段を択ばないのだろう。


「あの時は考えもしなかったけど……やっぱりそうよね」


 最近そう思い始めていたのよ、とラトレイアは自嘲の笑みを浮かべていた。

 彼女が気付かなかったのは無理もない。それは、彼に恋をしていたからだ。だが、実際に恋をしていたのは彼に対してなのか、彼の地位に対してだったのか、はたまた王妃という地位に対してだったのか、もう覚えていないそうだ。

 それ以外にも彼女は色々教えてくれた。パーティーに入って間もなくして、マルスから王妃にしてやると口説かれた事。その言葉に心惹かれて、聖女の純潔を捧げてしまった事も、赤裸裸に彼女は語った。

 孤児院育ちの彼女からすれば、自分が一国の妃になる機会が巡ってくるとは思わず、人生を変える手形なのだと思ったのだという。また、権力を手にすれば、それだけ守れるものも増えると考えたのだ。彼女の気持ちはわからないでもなかった。

 それから暫くは彼の寵愛を受けられて幸せだったが、彼はその後剣聖ルネリーデ、賢者アルテナにも手を出し、パーティーは歪なものへとなって行った。

 自分が一番最初に寵愛を受けた、王妃にしてやると言われた事から、彼女はその言葉に縋ったのだと言う。ここで勇者と結ばれなければ、人生が無駄になってしまうのではないかと脅迫観念を覚えたそうだ。

 それから不安は拭い去れず、苛立ちが募る日々。ひょんなところに、俺とシエルがパーティーメンバーに選定された。俺は全く気付いていなかったのだが、ラトレイアはマルスがシエルを狙っているのは最初からわかっていたそうだ。そして、シエルがマルスの好みの女である事も。

 何の言い訳にもならないけど、と彼女は前置いて続けた。


「私がアレクに嫌がらせをしていたのはね、あなたをパーティーから抜けさせれば、シエルも抜けると思ったからよ。ルネリーデとアルテナは戦力的に居なくなられたら困るけど、シエルは居なくてもよかった。マルスはシエルと親しいあなたが気に食わなくていじめていたし、私もそれを利用してた」


 ごめんなさい、と彼女は頭を下げた。

 ティリスが怒りそうだなと思ってちらりと横目で彼女を見るが、ただ憐れむようにラトレイアを見ていただけだった。同じ女として、もしかしたら共感したのかもしれない。

 ただ、ラトレイアの予想に反して、俺が思った以上に耐えてしまっている間に、シエルもマルスの手に堕ちてしまった。

 それからマルスの寵愛を一番受けるようになったのは、俺も知っての通り、シエルだった。

 それからのラトレイア──もしかすると他の2人もかもしれないが──はただ嫉妬と不安に襲われる日々だったのだという。


「結局、私は回復師としては才能があったのかもしれないけれど、聖女なんて呼ばれる逸材ではなかったのよ。いいえ、そう自覚してしまった。国の為でもなく、仕える神の為でもなく……私がそこに居続けたのは、自分の欲望の為だったから」


 唯一神テルヌーラ女神教では『強欲』と『淫蕩』は7つの大罪に数えられている。皮肉にも、<淫魔の呪い>を掛けられて一人で考える事が多くなったからこそ、それを自覚したのだという。彼女はそれから、戦う為の理由を失ったのだ。


「だから……これでよかったのよ。今となっては、アレクには感謝しているわ。自分が見失っていたものにも……気付けた気がするのよ」

「やめてくれ。俺はただ私怨の為だけに動いたんだ。結果的に良かったのかもしれないけど、感謝される筋合いはない」

「それでも、私は今日という1日をあなた達ととても楽しんで過ごせたわ。いつぶりだってくらいに、〝聖女〟でもなく〝勇者の女〟でもなく、〝ただのラトレイア〟になれたと思う。だから……ありがとう」


 彼女は俺の目を見てから、優しく微笑んで、しっかりとその言葉を伝えてくれた。その瞳を見ても、彼女の言葉に嘘がない事はわかった。

 そして、この笑顔を見た時初めて、俺はラトレイアを本当の意味で聖女だと思えたのだった。

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