バンケットの危機

「バンケットが御終いとは、どういう意味ですか?」


 俺がそう訊くと、シスター・ナディアは「ご存知ないんですか?」と驚いてこちらを見た。

 それに対して、俺と上位魔神ティリスは顔を見合わせ、首を横に振る。全く、猿芝居もいいところである。

 俺達の考えている事など露知らず、シスター・ナディアは続けた。


「この町に魔王軍が迫っているのです。ラトレイアの生家であり、テルヌーラ女神教の大聖堂があるこの町を滅ぼして見せしめにしようとしているのだとか……勇者様達が向かっているとの話ですが、それが間に合うかどうか」


 ああっ、と顔を両手で伏せて、シスター・ナディアは嘆いた。


「なるほど、そういうことでしたか。ならば、ここは私達が何とかしましょう。ラトレイア様の生まれ故郷を魔王軍の好きにさせるわけにはいきません」


 心の中でほくそ笑みながら、白々しくそういった。

 これは聖女を勇者パーティーから剥がす一手目だ。俺達は、隊商キャラバンからマルス達の行方を探っていた際、バンケットが魔王軍の侵略を受けようとしている事を既に聞いている。それが目的で、勇者マルス一行がバンケットに向かっている、という事も知っている。

 しかし、勇者マルス一行はまだバンケットには着いていない。レスラントを出た時期から察するに、後1日か2日は掛かるだろう。

 そこで、ルンベルク王国軍とバンケット守護兵は『何とか勇者達が来るまで時間を』とバンケット付近のブリオーナ平原で布陣を敷いているそうだ。おそらく、そろそろ開戦する頃合いだ。

 この町に着いてから情報を漁ってみたところ、ルンベルク王国軍の数が足りず、苦戦を強いられるだろう、との事だった。マルス達が来るまで時間稼ぎをさせるつもりなのだろうが、これでは王国軍が浮かばれない。

 そこで、俺達の出番だ。今回侵攻してきた魔王軍は、俺の復讐のために殲滅させてもらう。そしてナディアの信頼を得て、聖女ラトレイアを誘き出す。彼女には一人で来てもらわなければならないのだ。


「む、無茶です! 魔王軍はオーガキングを筆頭としたオーガの軍勢だと聞いています! アレク様達が向かったところでもう──」

「ご安心下さい、ナディア様。私の夫は、死と向かい合ったことで人間を超越した力を会得しました。この力をもってすれば魔王軍など、簡単に撃退できます」


 ティリスが「何も心配ありません」とにこやかに言う。

 死にそうになったら謎の力に目覚めるというよくある話だ。それを、俺の口からではなく妻であるティリス──という設定──からそれを話させることで、説得力をつける。ちなみに、妻という設定で、とティリスに言うと、にこにこして上機嫌になっていた。

 俺達の言葉の信憑性など微々たるものだと思うが、いつ魔王軍が来てもおかしくないという状況なら、藁にも縋る思いで頼ってくるだろう。


「シスター・ナディア。どうか私達に聖女様の生まれ故郷を守らせてください。ラトレイア様に助けていただいたこの命、今こそその恩をここで!」


 俺は拳を自らの胸にどんと当て、自信のほどを見せる。

 全く、つくづく白々しい演技だと思う。俺にはもちろんそんな力はないし、誰よりも弱い事に自信のあるテイマーだ。しかも、戦うのは俺ではなく、上位魔神ティリスである。自分で言っていて情けなくなってきたけども。


「……わかりました。バンケットの領主様には私の方から伝えておきます。どうか、どうか、よろしくお願いします」


 深々と頭を下げるナディアを見て、俺の口角が思わず吊り上がる。ティリスはそんな俺を見て「悪い人の顔になってますよ?」と小声で教えてくれた。余計な事は言わんでよろしい。

 

「では、早速魔王軍の討伐に向かいます」


 そう言って俺達は踵を返し、シスターのもとを後にする。

 さて、ここからは俺達が人族の為に一肌脱いでやろう。どの道、俺達がバンケットを助けてやる事には変わらないのだから。それに……こういう力の使い方なら、悪くはないはずだ。


「オーガ・キング……ベルスーズ」


 孤児院から出た時、ティリスが何かを想い出したように、ぽつりと呟いた。


「どうした? 知っているのか?」

「いえ……名前だけ聞いた事がある程度です。何でもありません」


 銀髪の美しい魔族は首を小さく横に振って、困ったように微笑んだ。

 何かを知っているようだが、言うべきかどうか悩んでいる……そんな表情だった。もしかすると、何か因縁があるのか、知人なのかもしれない。

 少し気にならないでもなかったが、もし本当に必要な事であれば、彼女ならば自分から話すだろう。


「とりあえず……戦の前に何か食べていくか?」

「はい、ぜひ!」


 人族の食べ物をあまり食べた事がないと言っていたのを想い出したので、そう提案してみると、彼女は嬉しそうに頷いた。

 魔族からの逃亡生活では、ちゃんとした食事はほとんど取れなかったそうだ。それなら、これからはたくさん美味しいものを食べさせてやりたい。それは俺の願いでもあった。


 バンケットの町を歩いていると、町民達がどこか浮足立っているのがよくわかった。

 魔王軍の侵攻に緊張を持ちつつも、王国軍と勇者が何とかしてくれる、と必死で日常を過ごそうとしているのだ。

 健気だな、と思ってしまう。

 実はこのバンケットの町中では、オーガの軍勢が進行してくると言う情報は、まだ一般的には出回っていない。一部の情報屋だけが知りうるものだ。バンケット町民は、あくまでも魔王軍が攻めてくるかもしれない、という程度しか知られていない。情報が制限されているのだろう。

 というのも、おそらくオーガが攻めてくるとなれば、バンケットの町は大混乱に陥る事になってしまうからだ。この情報を俺に売ってくれた情報屋は、もうそろそろ町からは逃げ出すつもりだと言っていた。

 オーガ──すなわち、鬼族。これは俺達人族からすれば、かなりの強敵なのだ。正直なところ、上位魔神グレーターデーモンがいなければ、俺もバンケットは諦めてさっさと逃げていた。

 そのオーガが軍勢となっているとは……大丈夫だろうか。


(いや、大丈夫だよな? 上位魔神グレーターデーモンなんだし)


 何処か物憂げにして街並みを眺めるティリスの横顔を見て、俺はほんの少しだけ杞憂を感じるのだった。

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