涙目の上位魔神

「それにしても、愚かですね……見ず知らずの者をここまで信じてしまうなんて」


 バンケットの酒場で食事を取っていた際に、上位魔神ティリス──もちろん人化の術を用いている──が呆れたように言った。

 ティリスは上位魔神グレーターデーモンと言えども、人と同じく何でも食べれる。これまでも保存食のショートブレッドを食べていたし、スープも飲んでいた。ちなみに、今は仔羊のテリーヌを食べている。魔神が人族を食べているだの何だのというのは、完全に人族が作った作り話だそうだ。ただ、人族の料理は魔族のそれより格段に美味いらしく、さっきから「おいしいです」しか言っていない。

 彼女が俺のサーヴァントになってからは、こういったまともな食事は初めてだ。今までは隊商キャラバンから寄贈された保存食で賄っていた事もあって、ようやく彼女にちゃんとしたものを食べさせてやれる。


「なに、修道女は人を疑う事を知らないのさ。特に、こんな田舎町では、どいつもこいつも顔見知りだからな。騙す騙されると言った警戒をする必要がないんだ」


 ここで育った聖女ラトレイアは、どういうわけだか性格がひん曲がってしまったようだが……ただ、ナディアの話によると、もともとはそうでもなかったのだろうか。もしかすると、聖女という名誉を得て、性格が変わったのかもしれない。

 しかし、聖女の性格変化にどんな理由や経緯があろうとも、俺にやった事は変わらない。俺が味わった屈辱も変わらない。罪は罪だ。許してはならない。


「それに、シスター・ナディアからすれば、俺達が魔王軍を退けてくれたらラッキー程度に思っているのだろう。これこそが女神テルヌーラの加護がどうのと言って、勝手に喜んでくれるだろうさ」

「誰かの功績を自分の功績にしてしまうなんて、女神テルヌーラの方が魔神よりもよっぽど極悪人ですね」


 ティリスの皮肉に、全くだ、と俺は鼻で笑った。

 ただ、宗教というものはそんなものだろうと思う。幸運があれば神様の恩恵、不幸があれば自分や不運の所為。神の所為にはならない。


「それに、仮に失敗して死んだとしても、彼女からすれば、俺達は初対面。多少は心が痛むかもしれないが、その程度さ」

「そういう汚い考え方、魔族みたいで嫌いじゃないです」

「心の汚さは、魔族も人族も変わらないさ」


 むしろ……人は魔族よりも弱い。弱いからこそ、もっと汚いのではないのかな、とすら考えてしまうのだった。

 そろそろ食べ終わろうかという時である。不意に、ティリスがそわそわし始めた。


「あの、アレク様……」


 迷いながら、躊躇するように切り出してきた。

 そして、何故だか凄く申し訳なさそうにこちらを見ている。


「なんだ?」

「いえ、やっぱりいいです……」


 なんだろうか。彼女がこういう反応をするのは珍しい。

 何か言いたい事でもあるのかな。


「言ってくれ」

「いえ、何でもないので……大した事でもありませんし」


 珍しく動揺しいている。顔は赤いし、いつもより落ち着きがない。こんなティリスを見た事がないので、新鮮だった。

 もしかして具合でも悪いのか?


「大した事じゃなくてもいいから」

「それは、その……でも、ほんとに大した事じゃないので」


 まだ口を割らないらしい。


「<命呪オーダー>使うぞ」


 <命呪オーダー>スキルとは、テイマーが〝ネームド・サーヴァント〟に対して強制力を持って命令する事だ。これを使うと、〝ネームド・サーヴァント〟はどんな命令でも従わなければいけなくなる。

 だからこそ、<ネーミング>を受け入れる魔物はほとんどいないのだ。最悪、自害しろと<命呪オーダー>スキルを用いて命令されたなら、サーヴァントは本当に自害しなければならない。それをされても良いというぐらい、サーヴァント側がマスターに対して心酔していなければ<ネーミング>は受け入れられないのだ。だから俺は「正気か?」と最初に訊いたのである。


「そ、それはずるいですよ……ッ」


 上位魔神グレーターデーモン、まさかの涙目である。


「じゃあ言ってみろ」

「うう……」


 彼女は散々っぱら迷った挙句……テーブルにあるメニューを指差した。


「その……この〝カニの甲羅焼き〟というのも食べてみたいな、と思っただけです……」


 彼女の皿を見ると、仔羊のテリーヌは綺麗に食べ終えられていた。

 ああ、なんだ。もっと食べたかっただけか。


「お腹空いてたのか?」

「そ、そういうわけではなくてッ。その、どういう味か知りたかっただけで……」

「っていうのもあるけど、ほんとはもっと食べたかったんだろ?」


 顔を覗き込んで訊くと……口をぱくぱくさせて何かを言おうとするも、黙り込み、こくり、と恥ずかしそうに頷いた。なんだ、この可愛い生き物は。


「いや、別に食べたかったら食べたいって言えばいいじゃないか」

「そ、そんな事言われてましても! その、人族の男性はあまり食べ過ぎる女性は好きではないと聞いたので……」


 なんだ、もしかして俺に気を遣ってたのか。

 そんな事気にしないのに。


「あのな、ティリス」

「はい……」


 ちらちらと俺を見つつも、顔を伏せている。

 なんだか子供を叱っているみたいだ。俺よりも何年、もしかしたら何十年と長く生きているはずのティリスだが、案外子供っぽいところもあるものだ。


「食べたいものとか欲しいものがある時は、ちゃんと言え。そんなので嫌いになったりしないし、むしろティリスがどんなものが好きなのか知れて嬉しいからさ」

「本当ですか……?」

「本当。だから、約束な?」

「……わかりました。頑張ります」


 何を頑張らなきゃいけないんだか、と思わず苦笑いをしてしまった。

 それが可愛かったので、俺は頭をぽんぽんと撫でてやってから、カニの甲羅焼きを注文してやった。

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