ゴブリンに転生してしまった……

たろう

第一節

はじまり

第0話-a 目覚め

 遠くから雷鳴が響いてくる。それは少しずつこちらへ近づいてくる気配だ。

 そして、視界のすべてが一瞬真っ白になって耳を轟音が襲ったが、次の瞬間には世界に色が戻る。灰色の景色。黒い雲が空一面に垂れ込め、景色は薄暗く塗りこめられ、ただ彩度の低い濃淡だけの世界に変わってしまった。

 激しい雨が降り注ぎ、ほかの音はほとんど聞き取れない。

 まだ昼間だというのにまるで夜のとばりが降り始めたようなその日。一台の馬車が、おびえる馬を休ませるために、大きな樹の下に止まっていた。乗っていたのは父とまだ年若い息子だった。商売のために別の町へ移動の途中で突然激しい雨に見舞われ、立ち往生を余儀なくなされていた。

 馬車といっても荷車を一頭の馬に引かせただけのもの。雨をよけるための幌もない。そのため、二人は馬車を降りて木の下で突然の雨をやり過ごそうとしていた。

 本来ならばもっと先へ進んでおきたかった。この辺りは少し前に獣や獣人がでたと風の噂で聞いていた場所だった。雨だったとしても、せめてもう少し弱い雨だったならば、いや最悪雷が鳴らず馬がおびえるということがなかったなら、二人は濡れネズミになったとしても、無理をして先を進んでいたはずだった。

 二人にのんびり雨宿りするつもりはなく、常に周囲を警戒するようにせわしなく視線を動かし続けていた。各々が手に木の棒や短剣をしっかりと握り込んでいる。

 獣人のみならず獣に襲われることは、最悪死へとつながる。戦う術もない彼らは本来ならこんなところへ来てはならなかった。

 しかし、例え危険であったとしても昨今の不況のために苦境に立たされ、生活していくためには新しい商売相手を開拓しなければ、今後ますます状況が悪化するだけだと踏んだ彼ら親子は、思い切って新しい販路の開拓へと踏み切ったのだった。

 焦る父と緊張する息子の視線の先で、何度目かの雷鳴がとどろく。視界が光に覆われ、再び世界に色がもどったとき、彼らは自分たちが囲まれているのを見た。

 激しい雨音と雷鳴のために接近に全く気付くことができなかった。頼りの馬も全く気付いていなかった。

 ゴブリン。

 それも五体。

 ありふれた獣人であるが、戦う技術を持たない彼らには、一匹でも十分脅威であった。もし仮に、一体だけのはぐれゴブリンであったなら、彼らが力を合わせれば退治することもできただろう。例え二匹であったとしても、二人で力を合わせれば追い払うことくらいはできただろう。けれど、不幸なことにその場には五体のゴブリンがいた。

 人よりも小柄であるとは言え、十歳の子供程度の背丈以上になる。鋭い目つきと長い爪が侮りがたい相手であることを教えている。通常、彼らは人の寄り付かない場所に集落をつくり集団で生活する。そのため、動物とは比べ物にならないほどの社会性をもち、簡単な言葉でもってコミュニケーションをとる。手先も器用で単純な道具なら自分たちでも作ることができるという。

 気性は勇敢で、想像以上に知恵があり、時には村一つを計画的に収奪することもあるという。怪力ではないがすばしこく、獲物を集団で追い回し少しずつ手傷を負わせながら追い詰めて倒す。

 もし、今この親子が通常の精神状態で、かつよく相手を観察する余裕があったなら、その五体の内四体はまだ若いゴブリンであることに気付けたかもしれなかった。そこに気付くことができていたら違う結果になっていたかもしれない。

 つまり、それほど戦闘になれていないゴブリンを上手くかわして、集団のボスを初めに叩くことができたなら、撃退することも可能であったかもしれないということに。

 しかし、恐慌に達していた彼ら親子にそんな余裕は残念ながらなかった。囲まれたと気づいた瞬間、そして鋭い牙がにたりと嗤った口から突き出すのを見た瞬間。一気に恐怖が二人の思考を塗りつぶした。

 まして、二人の内一人は若く、実際に獣とすら戦った経験は皆無であっただろう。歯の根も合わないほどに恐怖で全身が震えていた。

 必死に父親が息子に落ち着いて対処するよう声をかけるが、彼の耳には全くとどかない。ただ、死の恐怖が全身を支配していた。

 馬がいななきをあげるが、雷鳴がそれを打ち消す。

 彼らの見てる前で大きなゴブリンが動く。それに合わせて残りのゴブリンが動き出す。武器を持った腕を構えて距離をつめる。

 持っている武器はこん棒と折れた剣とナイフに木の棒。本来ならば鼻で笑ってしまう得物であったが、数の優位は揺らがない。父親は息子をかばうように立ちふさがるが、彼も手に持っているのはただのこん棒にすぎない。それを持つ手が震える。

 威嚇するように、ほとんど効果がないと知っていながら、彼は声を張り上げてそれを振りまわす。その度に小柄なゴブリンたちはびくりと震えたが、徐々にこけおどしであることに気付き始めたように反応すらしなくなる。

 そして。

 再度稲妻がひらめき視界をまっ白に覆い、それがおさまった瞬間、一瞬おくれて天を裂くような音が轟くと、ゴブリンの集団が二人に襲い掛かった。

 一番体が大きく折れた剣を持つものがその切っ先を向けて突進してきた。小柄ながら動きは素早く迷いがない。父親は一瞬遅れてそれに気付くとこん棒を水平に薙ぎ払いけん制する。

 瞬間ゴブリンは後ろへ跳んでよけるが、その横からこん棒を持った一体が前へ飛び出し、がら空きになった下半身を殴りつける。

 思わず父親が痛みに顔をしかめて体勢を崩すと、木の棒を持ったもう一体が飛び出してきてその頭を狙って振り下ろした。父親はとっさに頭をかばってうずくまる。棒が男の頭をはずれて肩を強かに打った。

 うめき声をあげて男が地に倒れる。それを見た息子が恐慌に駆られて大声を上げながら短剣を振り回した。運よく近づいてきた別の一体の持つ木の棒に当たり、跳ね返る。それを合図に後ろに飛び退ったゴブリンが再び近づく。

 折れた剣が振り下ろされて、息子の足を切り裂いた。傷口から血があふれ、その痛みに彼は片膝をつく形になった。持っていた短剣をその瞬間取り落とす。それをみた他のゴブリンたちが、奇声を発して襲い掛かってきた。

 それは親子二人への無慈悲な虐殺の合図だった。こん棒が、木の棒が振り下ろされ、折れた剣が二人の皮膚を切り裂く。二人はもはや抵抗もままならずただ恐怖に声を上げてうずくまるだけだった。


 その影で一体のゴブリンが両目を見開いてい身じろぎもせずに立ちすくんでいた。ナイフを握った手をだらりとおろして、ただまっすぐに前を見据える。

 その瞳はせわしなく動き、ゴブリンと彼らに襲われる二人の親子を見据えていた。息子が痛みに叫び、それを聞いた父親がかばうようにその体に覆いかぶさる。その上に容赦なく振り下ろされる武器。

 血があたりに飛び散り、徐々に二人の声は小さくなっていく。

 まなじりが裂けるほどに見開かれた瞳に、ゴブリンにはそぐわない知性の光がともったように見えた。

 何事かをしゃべるように大きな口が動いたが、その口からは耳障りな音が漏れただけであった。

 彼は幻を見ていた。それはゴブリンと親子とに重なって見えた。

 そのとき、離れた場所から二人が最後の力を振り絞るようにして叫ぶのが、立ちすくむ彼の耳に届いた。

 瞬間、彼はナイフを両の手に握りしめ、咆哮を上げながら走り出した。

 怒りの炎がその瞳には宿っている。

 そのまま、折れた剣をしっかりと握りしめ、二人に最後の一撃をたたき込もうとしている一番体の大きなゴブリンの背中めがけて突進した。

 ひときわ大きな稲妻が鳴り渡った。

 大柄なゴブリンがはっとして振り返る。何が起きたのかを理解しようと自分と相手を交互に見て、状況を理解する。

 深々とナイフがそのゴブリンの背中に突き刺さっていた。急所だった。一つ何事かを言おうとした瞬間に、ぐらりと上体が揺れてゴブリンは地に伏した。

 それを見ていた他の三体のゴブリンが、状況を理解できずに固まる。その隙をつくように、ナイフをただの肉と変わり果てた体から引き抜くと、そのまま次々襲いかかった。喉を切り裂かれ、腹をさされ、眼球を刺し貫かれて残りの三体も最初の一体と同様に静かになった。

 辺りに血なまぐさい匂いが広がる前にすべて雨に流れて消えた。

 

 残ったゴブリンが荒い息を継ぐ。

 自分のしたことを茫然とした目で見つめる。そしてナイフを地面に落とすと、震える両の掌をじっと見つめていた。その震えは武者震いか恐ろしさのためか、それともただの筋肉の硬直だったのかはわからない。

 そのゴブリンは自分の体を見下ろすように頭が傾げ、自分の腕をしげしげと眺め、体をまさぐり、自分の顔を両の手でなぞる。

 自分が何者であるのかを確かめるように。

 そして、突如彼の口から絶叫がほとばしる。

 その知性の宿るような瞳をもつゴブリンは、空に向かって悲痛な声をあげ、それは雨音に吸い込まれて消えた。誰の耳にも届かない驚きと絶望の声だった。

 徐々に雨脚は弱まり、全身を汚していた血のりは洗い清められていった。そのまま半時ばかりじっとして動かなかったゴブリンは思い出したように、襲われた二人を見やった。

 脱力した足に力を込めて歩き出す。

 お互いがお互いをかばうようにして折り重なる二人を悲しそうな目で見降ろした。そっとそのいびつな指が肌にふれた。まだぬくもりがあるが、ぴくりとも動かない。

 ゆっくりと顔を伏せた。

 しかし、上下にかすかに動く胸が、まだ二人の息があることを彼に告げる。

 ゴブリンはそのことに気付くとうるんだ瞳で二人をみつめて、傍目にはただ不気味ににたりと笑ったようにしかみえない表情を浮かべた。



 雨が小雨になるころには二人を馬車の荷台に積んだ。小柄な彼にはそれだけで重労働であっただろう。息を切らしてへたり込む。

 しかしすぐに立ち上がると馬を木に繋いでいる手綱をほどく。そして自分も馬車に乗り込むと馬にムチをあてた。

 自由になった馬は歩き出す。指示を出す者はいない。馬を操れる人間は荷台に横になっている。ゴブリンはただ馬の進むに任せて馬車を進ませる。

 雨はもうすぐ止むだろう。空はまだ黒雲に覆われていたが、遠くのほうでは雲の切れ間から光が覗いていた。

 

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