第32話血を分かつ

 フォリンは水面ギリギリを飛び、山小屋の近くで彼を降ろした。

湖には大きな影が映った。ダラクサスが目前に迫っているのだ。フォリンは震えが止まらないようだった。硬くなった鱗を丁寧になで、私は黒いマントの男、ナイトを見た。

「弱い。弱いとすぐに追い詰められる」

 ナイトは高笑いする。強く彼を睨んだ。

「私の母はどこ」

「ん? よく見たらお前……」

 夢で聞いた声が響く。

「あぁ、あの女の子供か」

 ナイトはもっと可笑しそうに笑った。

「あの女は隙があればいつも逃げようとした。だから、片足を切って逃げられないようにしてやったよ」

 マントの中から赤い目が見える。

「そんで、お前はその時消えた子供か」

 ククク。と笑う声が聞こえた瞬間。私の矢はまっすぐ彼に向かった。すんでのところで男は矢を避ける。

「おいおい、せっかくお父さんに会えたのに困るよ」

 背筋がぞっとした。彼らはゆっくりと湖面まで下がってくる。

「なんだ? お父さんだぞ。会えて嬉しくないのか?」

 挑発するような口調に我に返った。ゆっくりと空気を流し込む。そして、もう一度矢をつがえた。今度の矢はダラクサスの方に向けていた。私はどうしてもその矢を放てなかった。彼、ダラクサスの目はどこか憂いを帯びていたから。茶竜はナイトに促され、こちらに飛びかかってきていた。フォリンは慌てて上空へ向かう。ダラクサスが吐き出した容赦ない炎がフォリンの尻尾をかすめた。ナイトは余裕の笑みを浮かべている。

「あの時の黒竜も、まだ生きてたんだな」

 フォリンは急降下するとダラクサスの下に潜り込み火を吹いた。火の粉が私の顔にも降り注ぐ。そこからフォリンは背中の私を忘れてしまったかのように急上昇、急降下を繰り返した。ダラクサスも大きく火を吐き、上空は炎で包まれる。私は再び矢をつがえた。その時だ。フォリンが真上に向かって飛んだ。背中から落ちる。

「フォリン!」

 私の姿を捉えると手で優しく受け取った。真上からダラクサスの爪が迫ってきているのが見え、ぎゅっと目をつむる。強い衝撃と共にフォリンの体は落下した。湖面は一瞬ダラクサスが吐いた炎で包まれた。フォリンは私を両手に抱えたままふらふらと地面に着地し倒れる。茶竜の炎で弓の弦は切れてしまった。そこへナイトが降りてくる。

「無様なもんだねぇ」

 足をくじいたのか立つことさえ叶わなかった。一歩一歩近づいてくる彼を見つめる。彼の目は本物のルビーのように赤く染まっていた。遠のく意識の中、私の口は勝手に動き出した。

「お兄ちゃん。もうやめて」

 ナイトはマントを捨てると目を瞠った。

「ナターシャ……」

「お兄ちゃん。私はもう大丈夫だから」

 ナイトは私の顔を見ると、涙を流した。

「ごめんな。あの時救ってやれなくて。もっと強くなって、必ずあいつらに復讐しような」

 兄の顔になっている。灰色とグリーンが混ざったような目。そして、私をあやすように抱きかかえた。

「もう終わりにしよう。お兄ちゃんも帰ろう」

「いや、俺はまだやり残したことが……」

「ありがとう。私のために戦ってくれたんだよね」

 涙が私の顔に落ちる。

「でも、私、お兄ちゃんのこと、ずっと待っていたんだよ。もう待ちくたびれちゃった。だから、ね。一緒に行こう?」

 彼はぽたぽたと涙を流しながら何度もうなずく。そして、私の体は宙に持ち上げられた。けれどすぐに抱き損ねたかのようにそのままドサッと音を立てて地面に落ちる。彼は透けた体の少女を抱えて森へと消えていった。時が止まったかのようにダラクサスは森の方を見ていた。フォリンは地面にぐったりと伏している。二人の方に向かって呼び止めるかのように鳴いていた。私は静かに首にさげていた指輪をはめた。前に祖母が指輪を通してくれた丈夫な植物の繊維は、ちょうど弓にぴったりだった。それでピンと弦を張ると、矢をつがえる。

ダラクサスは、私たちの方を見もしなかった。ただ彼らが消えた方向を見つめている。矢を放つまでもなかったのだ。茶竜は、彼が行った方へ飛び立とうとする。段々とその存在が薄くなっていって、バラバラと、朽ちた――

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