第22話夜の庭

「この傷、どうしたの?」

 少年からは恐怖の色が見られた。

「ダ、ダラクサス……」

「ダラクサス?」

 ポケットの中でフォリンが震えたような気がした。私は少年の肌にリリアンダーの液を垂らしていく。痛がる彼を見ていると胸が締め付けられた。

「これは傷口を消毒してくれるからね。それに治りも早くなるの。我慢してね」

 そう声をかけることしか出来ない。後ろの王子二人は心配そうに見守っていた。エデンさんに運ぶのを手伝ってもらい、少年を私の部屋で寝かせる。傷は大きかったが、数時間もすると痛みはおさまったらしい。私は傍の椅子で寝顔を見つめていた。グレーの瞳に落ち着いた黒髪の少年。彼はどんな経験をしてきたのだろうか。大きな傷をつけたダラクサス。父に変えられてしまった兄。聞きたいことが沢山あった。ずっとポケットに入れていたフォリンを出すと、彼は思いっきり伸びをした。どうやらこの時を待っていたようだった。すぐにベッドの少年に気が付くと慎重に顔を覗き込む。彼の瞼がゆっくりと持ち上がり、フォリンは驚いて私の後ろに隠れた。

「気が付いた?」

「うん……」

 フォリンがひょっこり顔を出す。

「う、うわぁ!」

 少年の大きな声にまた隠れてしまった。

「驚かせちゃった? この子は黒竜のフォリン。私の友達だから大丈夫よ」

「ダラクサスの仲間だろ!」

 彼は取り乱していた。

「そんなに動いちゃだめ! まだ傷は塞がってないんだから」

 私たちの声でエデンさんが駆け付ける。

「大丈夫か?」

「フォリンが怖いみたいなの」

 少年の方を見ると、エデンさんはフォリンを抱いてベッドに腰かけた。

「ほら、近くで見てごらん」

 そう言って少年とフォリンを引き合わせる。すると、フォリンは不思議そうに少年を見つめた。締まらない表情に少年の顔も和らぐ。

「ぐおん?」

「意外と、可愛いかも」

 照れたようにいう少年がおかしかったが、指摘すると頑なになってしまいそうなので心にそっとしまう。しばらくして、夜になると業務を終えたシアンさんも部屋に来た。

「シアンさん、お疲れ様です」

 当たり前のように私の隣に来ると少年の方に目を向ける。

「シルバー君は……大丈夫そうだね」

 エデンさんの視線を感じながら、私は席を立った。

「どうか、座ってください。私は薬草を採って参りますので」

 そうしてフォリンと夜の庭に出た。月は雲に隠れ、フォリンも闇に馴染んでいる。いつの間にか元の大きさに戻っていた。冷たい夜風が頬をかすめる。こんな暗さでは当然採取どころではなかった。雨上がりの新鮮な空気が肺に送られていく。それは森の空気と少し似ていた。ゆっくり息を吸うと同じくらい長く吐く。城の周りの森がかさかさと鳴っていた。ただの風の音だ。そう思っているのに心臓は嫌な音を立てる。暗い森で逃げ惑う白いうさぎを仕留めるような、嫌な感覚がこみ上げてきた。その時、冷たいものが首に触れた。驚いて横を見るとフォリンと間近で目が合う。そろそろ帰ろうと言っているようだった。私は彼の首に触れ、子犬のサイズにすると部屋に戻った。

帰りがけに白い花を一輪摘み取る。もちろん薬草ではないが。それを持って部屋に入ると、三人共こちらを向いた。

「遅かったね」

 シアンさんの柔らかい声が心地良く聞こえる。

「ちょっと夜風にあたってて」

「薬草は?」

 エデンさんに指摘に気まずそうに下を見ると、意外にも少年が口を開いた。

「その花、見せてよ」

「あ、うん。その、森が暗くて……薬草は断念したの」

 そう言いながら少年に白い花を渡す。彼のグレーの瞳が揺らいでいた。

「いい香り」

「でしょう。私も大好きなんだ」

 夜はすっかり更けていた。

「ぼく、ここにいてもいいの?」

 昼間の剣幕はもうない。まだ幼いのだと改めて認識させられた。

「もちろん!」

 その声は少しずれながらも、それぞれの言葉で口にしていた。王子たちの許可が下りればこっちのものだ。

「私の弟ということにしておきましょう!」

 少年に希望の光が灯る。もう大丈夫。安心していいよ。私は心の中で唱えながら少年に微笑みかけた。王子たちも戸惑いながらも承諾してくれる。

「しかし、問題はどこで寝るかだ」

 少年と私が楽しそうにおしゃべりしていると、エデンさんが現実に引き戻した。

「ジルバートにはここで寝てもらうわ」

 ジルバートとはさっき決めた新たな呼び名だ。シルバーだと変に浮いてしまう。

「それじゃあ、ナタリアは?」

「私もここで……」

 と言いかけると、珍しくシアンさんも顔を曇らせた。

「さすがにそれはよくないと思うな」

「ジルは私と一緒の部屋は嫌?」

 親しみを籠めて自然とジルと呼んでいた。

「ぼくは嫌じゃないけど、お兄さんたちが嫌そうだから……」

 二人を振り返ると気まずそうに視線を外される。エデンさんが近づいて耳元で囁いた。

「自覚なさすぎ」

 少し躊躇った口調で言われて、私もやっと意味を理解する。

「明日からは、ばあやにもう一つ部屋を用意させる。それまでは僕の部屋に来てもらおうか」

 勝手に顔が熱くなってくる。しかし、エデンさんは冷静だった。

「代わりに僕がこの部屋で寝る。ジルバートも心細いだろう」

「あ、そ、そうですよね。ありがとうございます」

 ジルはまだ傷を持つ身だ。下手に動かすわけにもいかない。いざエデンさんの部屋に来ると、何だか落ち着かなかった。フォリンはふかふかなベッドに顔をうずめて早速寝息を立てている。私も戸惑いながら眠りについた。

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