超恒星間清掃業者の日常
一ノ路道草
第1話
前にふらりと、僅かにつんのめるような感覚がして、俺は目を覚ました。
今日の現場に着いた事を、船のAIが女性の明るい声で告げた。
「これにて超光速航行を終了します。目的地、宇宙荘グランメゾン・サエヅカに到着しました」
「了解。……谷口君みたいに駐禁取られたくないしなぁ。このままドッキング頼むよ」
昨日不運な後輩に奢って懐が少々寂しいけども、今は警察が取り締まり強化月間らしいから、ドッキング料を宙路上に停めて節約、とはいかない。
別にこんなとこ、うちの船以外だとほぼ誰も通らんと思うのだが、AIの警官は律儀なもんだよなぁ。
「畏まりました。五番駐船ゲートに向かいます」
「おう、よろしく」
左右を見れば、こんなにも広い宇宙だってのに、ほぼ視界一面を薄赤く網目状の立体壁でずらぁーっと、通常航行禁止区域を表示しているもんだから、いやはやなんとも、狭く感じてたまらない。
かつて惑星環境汚染を卒業した人類が、また懲りずに宇宙環境汚染なんてのをやらかして、既に三世紀。かなり事態は深刻になっているみたいだから、仕方がないとは思うんだがね。
「こんにちは、橋立エミリオ様。こちらは宇宙荘グランメゾン・サエヅカ管制です。ドッキングが完了致しました。お支払い額をご確認の後、認証画面へと端末をかざして下さい」
「はい、分かりましたよ……っと」
俺は向こうさんのAIにいい加減な返事をしつつ、オレンジを基調とした通勤用防護服の左腕内側に内蔵された端末を、料金認証画面に近付ける。……チャージ忘れてないよな?
「お支払い手続きが完了しました。橋立エミリオ様、ご乗船お疲れ様でした。ようこそ、宇宙荘グランメゾン・サエヅカへ」
おっと、ぎりぎりもいいとこじゃない。まあ、いいか。
補充用の新しい清掃道具が入った浮遊式コンテナカートを引いて、俺はそこいらを網目状に走る白い構造材が特徴的な広い通路に出た。
まずは管理棟区画の事務室に挨拶して、清掃員用更衣室の鍵を貰わんとな。
気分をしっかりと仕事に切り替えて十分ほど歩き、事務室受付に近い机で作業していた、三好貴子という四十代の女性に話し掛ける。
「こんにちは、イイダ・メンテです。よろしくお願い致します」
「あらこんにちは、よろしくお願いします。鍵持ってきますねぇ」
明るい笑顔が素敵な三好さんが部屋の奥へと向かう。
すっかり顔馴染みとは言え俺はここの正規職員でないし、他にどんな鍵があるのかなど、当然見るわけにもいかんので、受付で彼女から鍵を借りる必要がある。
更衣室で俺が補充用に持ち込んできたコンテナカートの中身を、これから作業に使うコンテナカート1号と書かれた方へ移し、船外作業用にやや武骨で頑丈な造りの白い防護服に着替えると、コンテナカート1号を引いて船外へと通じる作業員用のハッチに向かう。
コンテナカート1号から汚染物質用の剥離剤ブラッシュマスターECR-Xと、洗剤と対汚染コーティング剤を兼ねるステラーピカリを充填した二本の金属製スプレーガン、そして汚染物質剥ぎ取りに使う複合素材の白いヘラに、高機能スポンジのミスター激消しを腰に差して、デッキブラシの紐を左手首に掛け、宇宙荘の外に出る。銀河標準時刻、1329時。
こうして今日も俺は、出口の手すりに腰から延びる安全用のワイヤーを二重に着け、担当区画の船外点検と清掃を開始した。
防護服のセンサーがおおよその反応を拾って教えてくれるので、点検自体はそこまで難しくはないが、宇宙荘の敷地……というより外殻面積が広大なので、それなりに時間は掛かる。
今月は汚染の飛来が多いから、先週の対汚染コーティングがそろそろ剥げている筈だ。
あまりに放置していると完全に癒着してしまって外殻を腐食させ事故に繋がるので、見落としなく汚染を剥ぎ取り、普段から飛来が多い箇所は特に、ステラーピカリを厚く塗らなければならない。
飛来が少ない隅から点検を始めて17分が経過した時、視界にいくつも並ぶ汚染数値のひとつが反応を示した。
恐らくそいつは、民間船の機関部と思われた。
直径1メートル近い真っ黒な長方形の金属塊に近付くにつれ、汚染数値と不気味な警告音のテンポが跳ね上がっていく。
宙難事故で船体が爆発し、ユニット型の部品がここまで飛来したんだろう。ほんの数年前に出た新品のはずだが、内部まですっかり溶けてしまっているようだ。
このように汚染された資源物は、まず汚染を除去してからシン・アビコ行星区が認可するごみ回収シールと発信器タグを打ち付けて、乗ってきた船で回収するのが規則となる。
まずは洗浄だ。右腰からブラッシュマスターECR-Xの充填されたスプレーガンを抜いて、噴射口下のレバー型安全装置をガチッと上げきる。
そんな時だ。作業に入る俺の視界……その端をうごめく、巨大な黒い手のひらのような物が見えた。
その名の通り、団扇ほどの大きさで蜘蛛にそっくりな宇宙生物、イシダオオウチワグモだった。
汚染物質を食ってくれるので益虫と言いたいんだが、やつらは音もなく現れ、いつの間にやらあの小さくも鋭い牙で防護服に穴を開けられている事例が毎年三十件はある。要するに立派な危険生物だ。
「頼むから、こっち来るんじゃないぞ……」
祈りは通じぬと見えて、やつが勢いよくこちらに飛び掛かってくる。
「――こなくそがっ!」
反射的にメインスラスターの推進剤を吹かし上へ飛んで回避しつつ、俺は左腕内側の端末を操作して姿勢制御を視線追従方式に切り替えた。やつを見る俺の視線にサブスラスターが反応し、外殻と垂直だった体を相対させる。
左手に持っていたブラッシュマスターECR-Xの入ったスプレーガンを両手で構え、宇宙蜘蛛へと噴射。
外殻壁に薬剤を定着させる働きを持つナノマシンによって白い泡がやつを包み込み、多少はマイルドな姿に変えてくれた。
――今だ、やるしかない。
「う、おおおあァァァッ!」
相手が視界を失ってもがいている隙を逃さず、俺は年甲斐もなく叫んで恐怖を振り払いながら推進剤を吹かして接近し、慣性によって体重が乗った渾身の力で、デッキブラシを振り下ろした。
「はっ……はあっ……はあ……」
宇宙に身を漂わせ、星々を眺めながら、乱れた呼吸を整える。
昔はあんな物、まるで恐くはなかったのに、今ではすっかり駄目になってしまった。
小学生の頃なんて、男子はみんな笑いながら、平気で肩や頭に乗せていたもんだがなぁ。
「……さあて、再開するか」
今日もまだ、仕事は始まったばかりだ。
超恒星間清掃業者の日常 一ノ路道草 @chihachihechinuchito
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