第75話

『おお、お、おかあしゃんを……虐めるなでしゅうーっ』


 そう叫んでイカが墨を吐いた。


「おわっ!」

「がうっ」

『ンベッ』

「み、みなさん大丈夫ですか?」


 弓使いは少し離れた位置から獲物を狙う。

 そのセオリー通り、俺たちから少し離れた位置にいたエアリス姫だけが無事だった。


 黒い墨を被った俺たちは……か、体が……この墨、まるで餅みたいにねちゃねちゃする!


「ルーク様!? こ、この化け物めっ、覚悟なさい!!」


 ギリギリと俺の耳に弦を引く音が聞こえる。

 雷の、しかも最上位だろう最強魔法が付与された矢だ。


『おお、おかあしゃん……』


 ぷるぷると震えるイカ。

 おかあしゃま──つまりこのイカは、子イカ。

 そして海に潜っているのが母イカ!


「ま、待ってくださいエアリス姫! こ、こいつらは言葉を話していますっ。だからっ」

「で、でもルーク様!? それは船を襲う海の化け物なのですよっ」

「そうですが、でも何か理由があるのかもしれな──」


 最後まで言い終える前に、足元が揺れ、子イカの背後の海面が盛り上がった。

 冒険者にやられたのだろう。ぼろぼろになった足で我が子を守ろうとするクラーケンの足が出てきた。


「ま、待ってくれ! 話が通じるのなら、聞いてくれっ」


 クラーケンは一般の商船を襲っても、船乗りは死なせていない。

 何故か海賊だけはその対象ではないようだけど。


「頼みがある。船を襲わないで欲しいんだ。俺たち人間にとって、大事な輸送手段だから船を壊されると困るんだよ」

『きゅるるるぅぅ。おかあしゃん、ぽくを──ぽくたちを守るために、船を遠ざけようとしたでしゅ』


 焼け焦げ、肉のえぐれた巨大な足が我が子を包もうと伸びる。

 その痛々しい姿が俺の胸に突き刺さる。


「ぽくたち? 兄妹がいるのか?」


 そう尋ねると、子イカは凄く悲しそうな顔をした。

 そして流れる大粒の涙。


『おにいしゃんいたでしゅ。おにいしゃん、黒くて白い絵が描かれた旗の船にころされたでしゅうぅぅぅ。きゅるるるぅぅっ』

「ウーク、それきっと」

「あぁ。海賊船だ」

『ンベェェ』


 ボスがべとべとする体を必死に動かし、イカの傍まで行った。

 そして泣きじゃくるイカに身を寄せ、まるで慰めるように舐めてやる。


『ありがとうでしゅぅ・きゅるっ、きゅるるっ。おかあしゃん、おかあしゃんっ。この人たち悪い人じゃないでしゅ。陸の魔獣しゃんとお友達でしゅし』

『ンベェー。ベェ、ベェンベェーベ』


 何か喋っているようだ。

 それにしてもイカは人の言葉を喋れるのに、羊はダメなのか。


 やがて海面から三角のイカの胴が現れた。

 でもそれだけ。

 いや、そこまでしか海面に出られないんだ。周りが氷だから。


『ルークエインよ。どうするのだ?』

「話をしよう。きっと何か理由があるはずだ。お前みたいにな」

『……そうやもしれん。どれ、氷を割ってやろう。ちょっと沈んでろ』


 ゴン蔵がそう言うと、理解したのかクラーケンは我が子を連れて潜った。

 ゴン蔵が氷の上に着氷する。そして拳をダンッと突き立てた。

 割れる氷。

 そして少し離れた位置に新しい氷を作って、そこに舞い降りて腰を下ろしている。


 ずずずっと海面が揺らぎ、そしてさっきの子イカが俺たちの乗る氷の上に出てきた。

 その背後か……ら……ひぃ!

 頭と胴だけでも50メートルあるんじゃないのかこれ!?

 あ、足も合わせるとゴン蔵よりデカい。マジか……。


『お怪我はありませんか?』

「え……い、いや」


 聞こえてきたのは、めちゃくちゃ優しそうな女性の声。

 怪我って、あんたこそボロボロじゃないか。


 振り返って船を見ると、現れたクラーケンの本体に驚いている冒険者の姿が。

 大きな声を張り上げ、心配ないと伝える。


「そ、それでだ。できれば船を襲わないで欲しいんだ」

『……襲うつもりはありません。子供がいたので、近づかないで頂きたかったのです』


 あぁ、やっぱりそういう事だったのか。


『しかし、来ないでとお願いしようと腕を伸ばせば攻撃をされてしまい……我が子を守るために致し方なく』

「あぁ、それは……うん、人間側が悪いです。本当に申し訳ない」

『いえ……』


 なんていうか、めちゃくちゃ温厚そうなクラーケンなんだけど。


「商船の船員を襲わなかったのは、何故なんです?」

『彼らも生きるために、私を見て驚いて攻撃してきました。でもそれは自衛のため。私と同じです。しかし海賊は違う……』

「分かりました。もう、いいんです。ありがとう」


 辛いことを思い出させるのは忍びない。

 ここまで分かったら、商船にはこの辺りの海域を通らないよう、トロンスタ国王にお願いして近隣諸国の船にも伝えて貰おう。


「はぁはぁ、ご、ご領主! いったいどうなってんですか」

「ギルマス。んー、実はね」


 ここでの話をギルマスに説明し、商船にはこの海域を通らないようして貰うことを話した。


「いや、商船だけの問題じゃねーんですよ。クラーケンが魚をごっそり食ってしまうんで、漁師の生活が死活問題レベルですから」

「そうだった……うぅん、クラーケンは何故大陸のほうに? 元はもっと深い外洋にいたんだろう?」

『子を育てるためです。深い海には同じ種族がいますが、私たちは自分と家族以外は全て敵……ですから』


 なんとなく悲し気な顔の母クラーケン。

 隣までやってきたギルマスが俺に耳打ちした。


「ちなみにご領主。クラーケンってのは父親でも我が子を食うそうです」

「うぇ……そりゃあ大海原に帰ってくれとも言いにくいなぁ」


 どうしたもんかと考えていると、ボスがクラーケンと会話をし始めた。

 なんで片方はベーベー言ってて、片方は人語で喋ってるのに言葉が通じるのか。


『ンベ。ベベェー、ベベンベェ』

「ウーク。ボスがね、クラーケンさん引っ越しさせたらどうかってゆーてるの」

「引っ越し? どこに──ってもしかしてトリスタン島か!?」

『ベェー』

『ご、ご迷惑おかけするのは申し訳ないです。も、もう深海に帰りますのでっ』


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