ハードボイルド・ビッチライフ
甘露
プロローグ
文章の美しさに魅入られること早十年の歳月が経った齢二十五の、桜がまばらに咲き始める早春の候(西暦50**年)読者諸賢におかれましては、益々のご健勝のことと思いますれば、早速ではありまするが、まことに不躾ながら、私の世にも不幸な出来事をお聞きいただきたく存じます。
もちろん、ご健勝でない方がこの前置きを読んでいらっしゃるのならば、何を馬鹿な、と一笑に
この時に気をつけねばならぬことは、ちゃんと賢い犬を選ばなければいけません。馬鹿な犬は食べてしまいますが、賢い犬は
もちろん一番よい使い方は読んでいただくことであると、私は信じておりまするが、何分、趣味趣向は人の数だけ千々に色を変えますから、どうにも相性が悪いなあ……となると、私に止める手立ては御座いませんし、私と致しましても、これを手にとってくださった御方には有意義に時間を過ごしていただきたく思っておりますので、どうぞ、著名な方のものを取り直した末に、飽くなき読書欲を満たすべく、活字との戦いに身を投じていただければ、そうしてこの小説に感じた相性の悪さを払拭して頂ければ幸いにございます。
一番に辛いことは、私の小説で読書を嫌ってしまうことですから。
さて、どれ程の御方がこの本を犬に与えられたのかは見る術ございませんが、私は私で伝えたいことがあるから筆を執っている次第でして、めげることなく、文章を書き連ねていく所存でしたから、まずは冷静に、自己紹介から始めさせていただきます。
私は
将来の夢はもちろん傑作を完成させることにあって、その為にあちこちを渡り歩いては、こうして細々と筆を執っているのです。
現在書いているこの小説は、いわゆる紀行小説、または自伝小説として読者諸賢の手元に存在していることと思いまするが、ことの発端は、我らが祖国である大日本帝国オオサカ領の、ゼニという町にて、とある美貌の女性と出会ったからでした。
初めて相まみえた時、全身を雷のような衝撃が奔ったのを覚えています。思えば、ある種の運命だったのかもしれません。彼女の美しさについては追々余すことなく書き連ねていく所存ではありますが、出会ってから行動を共にするとなった頃から、これは書くべきだ、今書くべきだろうと、こうして筆を走らせた次第でして、彼女はその美貌以外にも、私のようなパッとしない男とは違って、特筆すべきことがたくさんございました。これは書かないではいられなかった。きっと、同業者であれば、この気持がいたく分かった事でしょう。兎にも角にもこうして物語が幕を開けた訳でした。
奇妙なほどにごく普通な私と、奇妙なほどに普通ではない彼女との旅路。
何度も言うようですが、奇々怪々な世の中です。
この奇想天外な組み合わせが、そんな世の中を旅するのですから、加えて私は不幸体質というか、面倒ごとに巻き込まれてしまうという不思議な体質で(嘘ではございません)、ああ、何でもっとはやく出会えなかったのであろうか、という具合に、インスピレーションが湧きたっているのを夜な夜な感じておりまして……もしかしたら、読者諸賢の中の何人かは、何故夜なのだ、と感ぜられた方もいらっしゃるかもしれませんが、詳らかにすれば何とも俗な話で、おいおい公になってしまうにしても、とりあえずは一旦端においていただきたいのです。
彼女を語る上では、夜の話は欠かせませんから、本編に進まれたなら、すぐにでもその意味が理解出来ましょう。と、私も一小説家の性として、己の小説を犬っころの餌にされたくはありませんので、読者諸賢の意欲を掻き立てるような言葉を残し、一先ずは筆を置かせて頂きたく存じます。
さてはて、いったいこの物語はどうなることやら、作者の私ですら分からないのですから一体何が何やらという感じですが、そのどう転ぶか分からないスリリングを愉しんでいただければと思います。願わくば、この小説を愛してくれる方が、その方にとっての傑作とならんことを祈っております。
と、そうでした。
私の不幸を話さなければならないのでした(筆を握りなおしながら)。
読者諸賢におかれては阿呆の私のように忘れていたなんてことはないでしょうから、きっと頭の上には疑問符がやまほど浮かんでいた事と思います。
まことに申し訳ございませんでした。至らぬ私をどうか
正直、前述の通り特殊な体質の私ですから、道行くだけでも不幸の連続なのですが、とりわけ不幸に感じたのは、やっぱりこれもまた、ほのめかしていたあの女性に寄るところのなのでした。
私は零細作家ですので、金もなく、腹をぐうぐうと鳴かせながらゼニの町を歩いていた時のことです。
私は商店が立ち並ぶ大通りにいたのですが、前方から悲鳴と銃声が聞こえ、何事だと、職種がら野次馬根性を発揮してしまったのが運の尽きで、一陣の風とともに駆け抜けてきた彼女の美しさに目を奪われ、暫しぼうっとして、ハッと我に返ると、その彼女が私を指さしていて、「この男が発砲したぞッ!」「逃げろッ」「殺されるぞッ」と大きく透き通るような声で、口々に言うと、また人混みを掻き分けて走り去ってゆきました。
私は呆然とその後ろ姿を眺めていると、「あいつか!」「そこを動くな!」と明らかに私を指して言っている警官の姿をとらえ、その時、商店の軒もとに避難している人々の、
罪を擦り付けられたのだと。そう、彼女はそういう奴なのでした。
「クソッタレ!」
私は叫びました。
ねえ、不幸でしょう。
これほど唐突に現れる不幸も珍しいとは思いませんか?
幸い私は逃げ足に自信がありますから事なきを得ましたけどね。次あの女に会った日にゃ、本当に銃弾をお見舞いしてやろうという心境でした。もちろんそんなもの持っていないんですけれど、そういうふうに怒っておりました。こと私の小説に関しては、彼女との出会いを心待ちにしていた次第なのですが、そういった事情を抜きにするのならば、私にとってこれほど厄介で、これほどはた迷惑な人種もいなかったのです。
確かに彼女は美しい。しかし、それを打ち消して余りあるほどの、大きな欠点を抱えていたのでした。その生き様はある種の恰好良さもございまするが、やはり世間一般的な見解をするのならば、きっと、後ろ指を指されるような、それでございましょう。
さて、不幸な話もしましたので、今度こそ本当に、一旦筆を置かせていただきます。
願わくば、美しい彼女に相応の天罰が下らんことを。そうして、私たちの物語は幕を開けたのでした。
山田小五郎の
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