異世界大正ロマン 帝都の魔導小町 ~悪魔なんて召喚しませんわ、猫を召喚しますの♪~
春古年
<大正:プロローグ>
第1話 魔道小町
「貴子もう少しまってておくれ。お父さんが、もうすぐ生き返らせてやるからな」
燕尾服の男はそう言い、魔法陣の中央に横たわる少女の頬を撫でた。
少女の肌は青白く生気は全く感じられない。
男は立ち上がると、魔法陣の横に設けられた祭壇へと向かう。
祭壇の上にも一人の少女が横たわっている。
魔法陣と祭壇の周りに立てられた燭台の微かな炎が、二人の少女を照らす。
祭壇の少女は長い茶髪を祭壇からたらし、両手を胸元で組んで眠っている。
こちらの少女も青白い肌だが、微かに生気が見て取れる。
男は、祭壇の少女の前に立つと深々と頭をさげた。
「お嬢さま、このような事をしでかし本当に申し訳ございません。長年、
声は震え、大粒の涙を流しながら謝罪を続ける。
「許してくださいとは申しません。どうか、わたくしをお恨みください。事が成就すれば、この命をもって償い致しますので、どうかそれまでは……」
男は頭を上げ祭壇に近づくと、涙をぬぐわぬまま準備を始める。
燕尾服の懐から短剣と懐中時計を取り出し、短剣は一旦祭壇に置いて
懐中時計で時間を確認する。
「もうすぐか……」
お嬢様の心臓に短剣を突き刺すことが自分にはできるのだろうかと、
ため息を付きながら辺りを見渡す。
広々としたレンガ造りの倉庫の中。
天井付近にある明かり取りの小窓から僅かに差す月明かりが、魔法陣を照らす。
ここは、東京湾に面する倉庫街の一角で、男が主人の名を使って手配したものだ。
もちろん合法的に、そして書類も残すような事はしていない。
この魔術の成否は、月や惑星の並びに左右されると男は聞かされていた。
それも、僅か5分ほどの間に済まさなくては成らない。
もう一度懐中時計を見る。
「お嬢様、どうやらお時間の様です」
そう横たわる少女に声をかけると、短剣を手に取り鞘から抜く。
刀身は2匹の蛇が絡み合っている様なデザインで、くねくねと波打つ刃に月明かりが反射する。
短剣を逆手に持ち両手で強く握りしめると、男は両目を瞑った。
それは、これから血を流すだろうお嬢様を、直視出来そうに無いからである。
そして、短剣を握った両手を振り上げたその時。
「ニャー」
と猫の鳴き声が。
それも男の目の前から聞こえる。
とっさのことで、一瞬固まった男は我に返り、そっと目を開けると一匹の黒猫が祭壇の上に座っていた。
それは、まるで少女を護るかの様に、男と少女の間に。
「いったいどこから?。いや、そんなことより、時間がない」
「シッ!シッ!」
と手で猫を追い払おうとする。
「シャー!」
と唸るような鳴き声を上げて猫は男の手をひっかいた。
「イタッ!」
手の甲にひっかき傷が出来、血がにじむ。
もう時間がない。
猫にかまわず短剣をお嬢様の心臓に突き刺せばいいのだ。
男はそう自分に言い聞かせて再度短剣を振り上げようとすると。
「ニャー!」「ニャー!」「ニャー!」「ニャー!」「ニャー!」
「ニャー!」「ニャー!」「ニャー!」「ニャー!」「ニャー!」
祭壇に10匹程の猫がいた。
「い、いったいいつの間に!どけっ!」
それでも強引に短剣を振り下ろそうとすると、今度は一匹の猫が飛び掛かり手首に噛みついた。
「ぐわっ」
カランと音を立てて短剣が床に落ちる。
慌てて落とした短剣を拾おうとした時、男は気付いた、自分が無数の光る目に囲まれていることを。
「こ、これはいったい何なんだ……」
ニャーという鳴き声がそこかしこから聞こえてくる。
「全部猫なのか?」
数百、いや千匹はいるだろうか。
自分以外、横たわる二人の少女しかいないはずの倉庫の中に突然これだけの猫が現れ、そして、囲まれている状況に男は恐怖し硬直した。
そのとき背後から、カツ……カツ……カツ……とゆっくりとした足音が聞こえてきた。
男は硬直した体を無理やり背後に向けると、小柄な人影が近づいてくる。
男からは月明かりが逆光に成っていて、顔はわからない。
「その魔法陣では駄目ね。人を蘇生させる事なんて出来ませんわ」
凛としたその少女の声に、男は聞き覚えがあった。
少女が歩み寄ってくるにつれ、姿がはっきりしてくる。
赤い矢絣(やがすり)模様の着物にあずき色の袴とブーツを履き、
お嬢様の御学友の少女だ。
「もっとも、人を蘇生させる魔法なんて聞いたことありませんし、仮にそんな術があるとして、あなたが安倍晴明でもない限り、上手くはいかないでしょうね」
少女は安倍晴明の逸話として、
そんなことより、この娘はどうやって此処までたどり着いたのだ?
何重にも魔術的な罠や結界を張り、人が近付かないようにしたはずがどうして……。
それも、こんな小娘が……。
さらに男にとって聞き捨てならないのは、この魔法陣では蘇生出来ないなど、簡単に認めるわけにはいかない。
「邪魔をするな!」
男はそう恫喝すると、祭壇に向き直った。
何としても儀式を完成させねば成らなかったからだ。
「ニャー」「ニャー」「ニャー」
猫が一斉に飛び掛かり手や足に噛みつく。
「どけ!放せ!」
男は猫を振り払おうとするが、矢継ぎ早に飛び掛かる猫に後退る事しかできない。
気付けば祭壇から数メートル引き離されていた。
そして、猫たちは当然のように彼女に道を開け、少女は祭壇の傍までたどり着いた。
「遅くなってごめんね、
そう言いながらも表情は険しい。
この出来の悪い魔法陣と粗末な祭壇のせいで、無駄に
「早く祭壇から降ろさないといけませんわね」
そうつぶやくと、少女は引きずる様に
祭壇の下でベットの様に、人ひとり横に成れる幅と長さに整列した猫たちの背の上に寝かした。
「あなたたち
猫たちはニャーとひと鳴き返事をし、
「やめろー!」
男は祭壇から降ろされた
その時、ザッザッザッと数人の人が倉庫の中になだれ込んでくる。
「
女性の声が倉庫の中に響き渡る。
「……って、あれ?」
勢いよく突入したものの、この状況に軍服姿の女性は戸惑う。
何しろ、倉庫の中は無数の猫、数十匹の猫に纏わり付かれて半狂乱に成っている男、そしてにこやかに手を振りながら近づいてくる顔見知りの少女。
「小町ちゃん!」
「御免なさい
女性が促されるまま視線を落とすと、足元には猫たちのもふもふの背に乗せられた少女が横たわっていた。
「なっ!なんと羨ましい……コッホン」
一瞬我を失いそうに成ったが、女性は襟を正した。
「それでこの猫ちゃん達は、もしかして小町ちゃんが?」
「ええ、わたくしが召喚しましたの。後数分で消えてしまいますけれど、良かったら一匹抱いてみます?」
差し出された子猫に手を伸ばしたいのをグッと抑える。
「いや、それよりも黒川の身柄確保を優先しないと」
「そうね、さすがに私も大人の男性を取り押さえるのは無理でしたから、猫たちに足止めさせるのが精いっぱいでしたの。
「分かった」
「曹長!黒川をとりおさえろ」
兵士の一人が「ハッ」と敬礼したその時、狂気に満ちた高笑いが聞こえてきた。
「ハハハハハ、最初からこうしていれば良かったのだ」
男は数十匹の猫を体に纏わせながらも、祭壇の前までたどり着いていた。
そして、そのまま祭壇の上によじ登る。
「執念ですわね。嫌な予感がします。一旦兵士の皆さんに下がる様に仰って頂けませんかしら?やはり私が何とかしますわ」
少女はそう真剣な眼差しで女性を見つめる。
「いや、しかし」
目の前の少女が
それでも、彼女に任せるのが得策なのだろう。
「了解した。総員後退し、距離を取れ!」
「それと銃も必要有りませんわ」
そう微笑みかける。
「わかった。総員銃を下ろせ」
少女は再び祭壇へと向かう。
「おやめに成って、黒川さん。そんな事をなさっても娘さんを苦しめるだけですわ」
「お前が、お嬢様を祭壇から降ろしてしまったから……。もう時間が無いんだ!だが、これでいい……これでよかったんだ……」
そう云うと
流れる血が祭壇のレリーフを赤く染める。
そして、魔法陣が淡く赤黒く輝きだす。
「こ……これで……貴子は……生き返る」
男は苦悶と狂喜が入り混じった表情で、魔法陣の中央に横たわる我が娘を眺める。
「なんということを、黒川さん
「な……なに?」
「先ほども申しましたが、この魔法陣は死者を蘇生させるものではありませんわ。ネクロマンシーの魔法陣、死体に魂を閉じ込め使役する……そういう魔法ですわ」
「そ……それは……生き返る……ということでは無いのか……?」
「ゾンビと言っても分かりませんわね」
この時代の日本人にゾンビと言っても伝わらない。
「そうですわね、あなたは娘さんを死霊の様なものにしてしまいましたの。しかも……」
そのとき、魔法陣の中央に横たわっていた少女がピクンと動いた。
「貴子!」
最初はピクピクと痙攣するほどの動きだったが、徐々に動きは大きくなり、手足をバタバタと動かしながら暴れ始めた。
そして絶叫を上げる。
「ギャーーーーーー!!」
「死者の体に押し込められる魂は、地獄の様な苦痛に喘ぐと聞きますわ」
「そ……そんな……」
貴子の死体は手足を止め、ぎこちなく立ち上がり、顔を上げる。
その顔は生前の面影などなく、血に飢えた悪鬼のそれである。
最初はゆっくりと、手足の動きを確かめる様に祭壇の二人の元へと歩み始める。
そして、徐々に歩みを早め「キシャーーー!」と奇声を上げ襲い掛かってきた。
小町はおもむろに左手を上げ、手のひらを貴子に向ける。
手袋の手のひらに描かれている魔法陣が輝くと、圧縮された空気の塊が突風と成って、飛び掛かってきた貴子の体を吹き飛ばす。
「た……か……こ……」
黒川は
取り返しのつかないことをしたと。
「安心して。私が貴子さんを助けて差し上げますから。もっとも、あなたの望む結果とは違うでしょうけれど」
小町は右手の人差し指と中指を立て
「
数百匹の猫が、今にも立ち上がろうとしている貴子を中心として、小町が描いた魔法陣の形に整列する。
「捕縛」
さらに五匹の猫がその魔法陣の中に飛び込むと、姿を変え細長い鎖の姿へと変化し、一方は貴子の両手足と腰にそれぞれ巻き付き、もう片方の先端は地面に突き刺さった。
「キシャーーー!」「キシャーーー!」「キシャーーー!」
身動きが取れなく成った貴子は奇声を上げ続ける。
小町はさらに、別の魔法陣を宙に描く。
「
猫たちもまた、その魔法陣と寸分違わぬ陣形に整列する。
「浄化」
魔法陣の猫たちが白く輝きだす。
それと同時に今まで黴臭かった倉庫の空気が浄化され、清涼感さえ感じられる様になった。
今まで悪鬼の様だった貴子の顔つきが、穏やかで安らかな表情へと変わる。
そして、この中の数人、魔力や霊力を持ったものだけが、清らかな笑顔で天に上る少女の魂を見ることが出来た。
「良かった……」
ドサッと黒川が力尽き祭壇の上で倒れる。
慌てて小町が駆け寄り確認すると、未だ息はある様だ。
「
「曹長、黒川を軍病院に急いで搬送する様に」
「済まない、全て小町ちゃんに任せる事に成ってしまった」
「いえ、そんなことは有りませんわ。それに、何より
「これから
「もちろんだ。先ほど車を倉庫の前まで回す様に指示をしておいたから、そろそろ行こうか」
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