第505話 この出会いがなければ…(4)

 それは魔人騎士ヨメルの攻撃。

 いくらその身に魔装装甲をまとっていても、おそらく貫通するだろう。

 だが、その触手は弾かれた。

 カン! という甲高い音共に上空に跳ね上がると、一目散にヨメルへと引き戻る。

 そう、ジャックの前で円刃の盾が光を散らしていたのだ。

 低く構えるカルロスがヨメルの触手を跳ね返す。

「教官!」

 ジャックは安どの表情を浮かべた。

「油断するな! 聖人国のフィールド内と言えども、奴は魔人騎士!」

 さらに腰を低くしたカルロスの目がヨメルを睨み付けると、盾を両の手でしっかりと支えた。

 だが、ヨメルは余裕の様子。

「その盾は簡単には砕けそうにないの……だが、これはどうかな?」

 ヨメルの口が大きく開くと、大きく息を吐き出した。

 口から滝のように流れ落ちる息が、まるで紫の滝のように流れる。

 空気よりも重いのか、浅き地面の上を滑り広がる。

 咄嗟に口を押えるカルロス。

「毒か⁉」

「逃げようぜ! 教官!」

「ここで我らが引いてどうするというのだ!」

「毒はムリだって! 毒は!」

 カルロスの背後で泣き言を散らすジャック。


 カルロスは、とっさに懐から小瓶を取り出すとジャックに投げ渡す。

「この毒消しでも飲んでおけ!」

 受け取るジャックの顔はパッと明るくなった。

「もしかしてこの毒消しでヨメルの毒は無効化できるのか!」

 だが、カルロスは、ヨメルを睨み付けたまま。

「……幸い今、この門内にはエメラルダ様が来られている」

「だから何だって言うだよ! 教官!」

「それまで、毒を耐えしのげばよいだけのことよ!」

「えぇぇぇ! もしかして毒の効きを遅くするだけっすかぁ!」

 カルロスもまた別の小瓶を取り出して、グッと飲み干す。

「行くぞ! ジャック!」

 盾を構えたカルロスが駆ける。

「はぁぁ? マジでシャレにならないっすよ!」

 仕方なくジャックもまた小瓶を飲み干すとカルロスに続いた。


 紅蘭は森の奥へと逃げていた。

 だが、その走りは歩くのよりも遅い。

 夫を引きずるように抱えて進む紅蘭の息は小刻みに切れている。

 と言うのも、すでに紅蘭の体の感覚はヨメルの毒によって失われていた。

 思うように動かない足。

 にじむ視界。

 だが、これでも、まだましなのだ。

 ヨメルが毒を吐き出した瞬間、夫の体が紅蘭を庇うように覆った。

 そのため毒の直撃は避けられたのである。

 だが、そのせいで夫の背中は溶け落ちて白きろっ骨をあらわにしていた。

 肩に抱える夫の腕は、先ほどから紅蘭の歩調に合わせて力なく揺れるのみ。

 力の入っていない夫の体が重く感じられる。

 おそらく、もう、死んでいるのだろう。

 だが、その事実は受け入れがたい。

 なぜなら、夫の肌にはまだかすかにぬくもりが残っているのだ。

 ――治療すれば……治療すれば……きっと大丈夫……

 冷えゆく夫の肌に恐怖を感じながら紅蘭は思った。


 だが、そんな紅蘭もついに力尽きた。

 げぼぉぉ!

 吐き出される汚物。

 紅蘭の膝が地面につくのと同じくして、夫の体がまるで人形のようにころりと転がる。

 仰向く夫の体は動かない。

 それどころか、その体の下からは、赤き花がみるみると大きく広がっていくではないか。

 汚物にまみれた紅蘭の口からは嗚咽が漏れる。

 口を拭くこともままならない。

 ――夫はまだ生きている……

 一心にそれを信じて手を伸ばす。

 だが、体を支える力さえ、すでに失った紅蘭の四肢。

 たかが一本の支えを失っただけで脆くも簡単に崩れ落つ。

 ついに紅蘭の顔もまた、地面に吐き出された汚物の上へと転がった。

 汚物にまみれたその瞳。

 かすれゆく視界に手を伸ばす。

 残る力を振り絞り、固く地面を掴みとる。

 目の前に横たわる夫の体が、こんなに遠い。

 地面に食い込む爪先が次々と赤く裂けていく。

 だが、必死に抗った。

 少しでも前へ

 少しでも夫の元へ

 まだあの人は生きている……

 ――あなた……

 夫に向かって伸ばす指先が小刻みに震えていた。





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