第429話 記憶の片隅(2)

 呆然とするディシウスは、その繭に手を伸ばす。

 その震える指先が、繭にふれた。

 まだ、温かい。

 これは、ソフィアのぬくもりなのか……

「ソフィア……ダメだ……ソフィア……」

 魔人騎士からも一目置かれる傭兵のディシウスだ。

 そんな男の目から、想像することができないほど、みっともないぐらいに涙がぼろぼろこぼれていた。


 ディシウスは、繭に額を押し付けた。

 この繭の壁のすぐ向こうにはソフィアがいるというのに……

 もう、二度とあの微笑みに触れることはできないのか……


 このまま時間が経てば、ソフィアの体はマリアナの荒神の気を吸収して、ドロドロに腐りとけてしまう事だろう。

 それは、ソフィアの死を意味する。

 そして、最愛のソフィアの笑顔を二度と見ることができないという事なのだ。


 ディシウスの額と手が、繭を伝ってずり落ちる。

 繭の前で力なく膝をつく。

 俺は……お前を守りたかったんだ……

 ただ、それだけでよかったんだ……それだけで……

 砂をつかむディシウスの手が、砂地を何度も殴りつける。

 ソフィアを失った悲しみに満ちていたディシウスの獅子の瞳が、それを救うことができなかった自分への怒りに変る。

 俺は、無力だ……

 何もできなかった……

 あの時、ハトネンに逆らってでも、ソフィアを連れて逃げるべきだったんだ……

 俺が、そうしなかったから、ソフィアは死ぬ……

 俺が……俺が……俺が……俺が……


 ディシウスの獅子の頭が降りあがったかと思うと、自ら地面へと叩きつけた。

 何度も、何度も叩きつける。

 獅子のたてがみによって砂が激しく巻き上がる。

 しかし、ほどなくして、ディシウスの頭が、動かなくなった。

 地につけたままピクリとも動かない

 そして、地面に向かって何やら、ぶつぶつとつぶやいている。

 考えろ……考えろ……考えろ……考えろ……考えろ……考えろ……

 今まで一般魔人のディシウスは、あらゆる戦場を渡り歩いてきた。

 そして、ハトネンに限らずいろいろな騎士のもとで闘った。

 その陣中では、同胞たちが話す無駄話が、自然と耳に入る。

 傭兵のディシウスは、とっさに思考を巡らせた。

 こんな時であっても、何か方法があるはずだ。


 ディシウスは、そんなたわいもない話を、片っ端から思い出す。

 何かないか……

 使えるものはないか……

 何か、頼れるものは無いか……

 どこかに、希望は無いか……

 何でもいい……

 かすかな、可能性でいい……

 何かあるはずだ………

 思い出せ!


 そして、ふと、思い出す。

 魔人国の第一の門の騎士ヨメルは、聖人国から輸入された天然の人間を定期的に食っているらしいと。

 それも若い子供の脳だと。


 魔物は人間の脳や心臓を好んで食べる。

 それは、脳や心臓に生気が多く宿っているからだ。

 魔物は、生気を食らい続けると魔人に進化する。


 なら、魔人になったものはどうなるのだろう。

 魔人となって、人を食らえば、当然、生気を得られる。

 しかし、残念ながら、これ以上進化することはないのだ。

 魔人は、魔人のままなのだ。

 だが、人の脳を食うことによって、これ以上に魅力的なものが得られるのである。

 そう、喰らった人間が持つ知識である。

 その知識の全てを吸収できるというわけではない。

 その人が持つ知識のわずかであるが、それが得られるのである。

 まるで、それは、人が本を読むような感覚。

 人が本を読むことによって少しづつ知識を蓄えていくのに対して、魔人たちは、人の脳を食って知識を蓄えるのである。

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