第8話 はじめまして!王家ってなに?

家につくと、シュウはさっさと風呂場にいって傷口を洗い始めた。美羽の傷は、シュウの兄が見てくれると言う。


「とりあえず外衣脱いで。傷口洗うから。傷、それだけ?」


「はい……」


水桶に水を汲んで、内衣をはだけ、傷口を洗う。最初こそ恥ずかしかったが、遠慮なく傷口を洗うその手が痛くて、すぐにそれどころではなくなった。堪え切れずに声を漏らす美羽に、困ったような顔を向けるセン。


「痛いよね、でも、ちゃんと洗わないと後で大変なことになるから。もう少し、我慢して」


 傷口を洗い、薬を塗り終わった頃、シュウが戻ってきた。


「お前も、薬いる?」


 からかうようなセンに、いらねぇ、と少し不機嫌に呟くシュウ。こんなシュウは初めて見る。



「あ、の?」


「ああ、悪い。俺の兄貴で、セン。こんなヤツだけど、王女の護衛隊の隊長やってる。兄貴、美羽だ」


 紹介されたセンは『ひどいな、こんなヤツは無いだろう』と笑いながらも、右手を自分の胸に当てて美羽に向き直る。


「改めて、挨拶を。王女の護衛隊に籍を置いております、センと申します。お見知りおきを、いただけますか?」


「は、い。はじめまして、よろしく、お願いします」


 おどけるように差し出された手を素直に握り返した美羽に、『暗くなっちゃったから今日泊るね』と笑う。シュウの兄というが、シュウとは全く違う。笑ってはいるがシュウのような柔らかい笑顔ではない。何を考えているのか、まったくわからない。



 蒸した鶏肉と野菜という簡単な食事の後、センとシュウはワインを飲み始めた。シュウがお酒を飲んでいるのは、初めて見る。


「美羽ちゃんも、呑まない?」


 後片づけを終えた美羽に、センが声をかけてきた。未成年、という言葉はこの世界にはないのだろう。お酒は呑めないからと断われば、至極残念そうにされた。


「ワインじゃなくてもいいさ。好きな飲み物もっておいで。ここ座って」


 おいでおいで、と手招きをされた。

 本音は疲れてしまって早く休みたかったが、仕方ない。紅茶を入れてセンとシュウの間に座ると唐突にセンが話し始めた。


「美羽ちゃんは、王室の噂とか、聞いたことある?」


「王室の噂、ですか?王女が即位することを良く思わない人がいて揉めているって事ぐらいしか、知らないです」


 突然の質問に、たどたどしく答えればセンが笑う。シュウは苦い顔をしているが二人の話しに入る気は無いらしい。助けを求める美羽の瞳は空振りをした。


「そう、揉めている。理

ことわり

通り、王女が即位するべきなんだ。王女は、これまで王になるべくして生きてきた。それを今更王の弟になんて、馬鹿げている。でも、女性が王になることに意義を唱える者は少なくない」


「は、あ……」


 市場で聞いた噂を思い出す。女性が王になる事に意義を唱えるものが多いのは、美羽も肌で感じている。この世界での女性の正確な立ち位置はわからないが、男性優位であることは確かなのだろう。

 民の不満も希望も、王女の護衛隊隊長としては望まない事態なのだろう。


「本来なら、王女に王としての資質があるって民が認めてからの即位が望ましい。でも、女性である以上そんな日は来ない。現王の年齢からいっても、いつ不測の事態が起こるかもわからない。そこで、多少強引ではあるけど次の満月の夜に即位式をやることになったんだ」


「即位式?」


「そう。即位が済んでしまえば、誰も異議は唱えられない。王女はこの国の王だ。しかし、それまでに王女が即位できなくなれば、現王の異母弟が即位する……」 


「即位、できなくなれば?」


「王女自身が、即位を辞退するとか、死んじゃうとか?」


「死……」


「まぁ、辞退すればどこかで穏やかに暮らすこともできるんだろうけど。王女はとてもそんな事するような女性じゃなくてさ」


「は、あ」


 王女の護衛隊として勤めるセンの話は、おとぎ話のようで美羽の頭はついていけない。ついてはいけないが、怖い話だと言うことはわかる。

 センの苦労はわからなくもない。違う世界からやってきた美羽は、愚痴るには格好の相手なのかもしれない。でも、これ以上聞きたくない。

 そんな美羽の気持ちを察したのか、センの笑顔が苦笑にかわる。


「まぁ、もう少し聞いて。実は、王女って俺達の姉なんだ。俺達は側室の子、王女は王妃の子」


「は?」


「王位を狙っているって噂になっているのは、俺らの伯父上。前王の側室の息子で、王とは随分年の離れた弟だ。今は、王の参謀として城にいる。人望も厚いし、悔しいけれど王の資質もある。現在の王が即位する時も、彼を王に、なんて声も上がっていたんだ。王の退位が決まってからは、城の中でも伯父上を次期王に、と望むものも少なくない。叔父上がどう思っているのかはわからないけれど、城では明らかに叔父上に取り入ろうと必死になっている者も少なくない」


 淡々とに話すセンに、美羽は言葉が見つからない。やっと、センの顔を見た気がした。


 シュウが、王の子?こんな場所に一人で住んでいて、アクセサリーを売るような生活をしているのに?

 センも?王の子だと言うのに護衛隊?


 理解できない話に頭が真っ白になっていく。助けを求めようとシュウを見るが、その目は窓の外に向けられており、どこをみているのかはわからない。

 美羽の手の中にある紅茶はすっかり冷えて、カップを持つ手も冷たくなってきた。

 考えることを放棄した美羽の頭に、センの声が遠慮なく入ってくる。


「情けないんだけど、誰が味方で誰が敵かわからない。だから、信頼できる従者以外は暇を出した」


 情けないよね、と笑う姿に、どうしていいかわからず、冷えたカップを見つめた。


「さっきの、狼は?」


「証拠は、ない」


 真直ぐに視線を返された。『証拠』はない。それは、疑っているということなのだろう。


「平和な世界からの客人。君の世界では、こんなことは無いのだろうね」


 センが小さな声で呟いた。うつむいた美羽を見て、空気を変えるような明るい声をだしたセン。


「それで、今は護衛隊が足りないんだ。暫く、シュウを護衛隊として城に入れるから、今日はそのご挨拶。もちろんシュウの妹である美羽ちゃんも、一緒に来てくれて構わない。さっきみたいな事がまたあるかも知れないから、ここに一人でいるよりは安全だと思うよ」


「は?」


 慌ててシュウを見れば、シュウは気まずそうに目をそらした。その顔をみれば、城に行くのは決まっている事なのだろう。どうしていいのかも、何を聞いていいのかもわからずに、美羽は息を飲んだ。



「今夜は、霧が出そうだね」


 氷のように張り詰めた空気のなか、センの静かな声が響いた。窓の外には、綺麗な満月が浮かんでいる。『満月の夜、深い霧の中に居れば還れるかもしれない』以前、シュウに言われた言葉を思い出す。センも、美羽の還れる可能性を、知っているのだろう。


「明日の朝には、シュウはここを出る。美羽ちゃん、どうするか考えておいて」


 先に休むね、と言い置いて、センはシュウの部屋へと入って行った。

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