霧の向こうの即位式!
麗華
第1話 世界が変わるのは突然で
目が覚めたのは、真っ暗な世界。
ひどく、身体が冷たい。
還らなきゃ。
どんなに非力でも、このままでは、終われない。
黙って居なくなったら、あの灰色の瞳がどれだけ悲しむだろう
そんなことは、させられない。
あの日から、ずっと守ってくれたんだから。
今度は、私が……。
意地でも、ここから這い出てやる。
桜が咲き始めた三月も終りの頃。
ずっと二人で暮らしていた母が、頬を染めながら再婚すると言いだした。
少女のように笑う母に複雑な思いはあったが、母の幸せを邪魔するほど子供ではない。美羽は、『おめでとう』と笑った。
新しく家族になる義父は優しく、美羽の高校入学と同時にそれまで母と二人で暮らしていたアパートから、マンションに引越をするという。憧れだった自分の部屋がもうすぐ手に入る。
狭いアパートでは近所に気を使い、友達を呼ぶことも大きな音でテレビを見ることすらできなかった。でも、これからは、いつでも友達を家に呼べる。
母も美羽も、新しい世界を手に入れるのだ。世界に、急に色がついたようだった。
「お母さんもお義父さんも、遅いなぁ」
志望校合格のお祝いと、義父と母の結婚式の打ち合わせを兼ねて三人で食事をする約束になっていたのに、約束から30分近く過ぎても二人は現れなかった。母の携帯には何度かけているが、つながらない。急な仕事で遅くなるのだろうか、何かあったのだろうか。
冬に戻ったかのような冷たい風に、身震いする。
「美羽です。もう寒くなっちゃったから、帰るね。これ聞いたら連絡ください」
何度目からの留守番電話に吹き込みをいれる。母は自宅に居る時はほとんど携帯をとることはない。自分が日にちを間違えていて、家に帰ったらご飯を作った母に笑われるかもしれない。そう思って冷えきった身体で駅に向った。
「ただいまぁ。お母さん?」
誰もいない真っ暗な部屋。この時間なら母は帰っているはず。居ないということは、やっぱり今日だったのだ。日にちではなく時間を間違えたのか、それとも・・・。頭に浮かぶ不安を無理やり追いやって電気をつける。買い置きのお菓子を食べながら待ってみるが、母は帰ってこない。
もう一度、と母の携帯にかけるとつながった。
「お母さん?今どこ?」
「お嬢様ですか?こちらは第一病院です」
知らない声と、理解できない言葉。
何も理解できないのに、病院の場所を聞いて美羽は反射的に部屋を飛び出した。
「お母さん!」
病院に付いた時には、母の顔には白い布がかけられていた。
義父の運転する車に気付かなかったトラックが車線変更をしようとして事故になったという。運送会社のものだという男性が何かを言いながら頭を下げていたが、美羽の耳にはなにも届かなかった。
義父は、意識こそないが生きている。それでも、この男性と家族になることはもうないだろう。義父の兄だという人がなにか話しかけてきたが、なにも耳には入ってこない。
誰と何を話したのか、これからどうするのか、まったくわからないまま気がついたら美羽はバスの中だった。窓の外は知らない景色。空には満月が浮かんでいる。違うバスに乗ってしまったのか、降りるバス停を乗り過ごしたのかも良くわからない。降りなくちゃ、と思うのに身体が重くて立ち上がれる気がしない。
頭の奥に、靄がかかったように何も考えられない。
「お客さん、終点だよ。起きて」
いつの間に眠ってしまったのか、運転手の不機嫌な声に起こされた。
美羽は、これ以上運転手を怒らせないように、重い身体を精一杯急がせてバスから降りた。バスの外は深い霧に包まれていて、すぐそこにあるはずのバス停すら見えない。帰りのバス停の場所を聞こうと美羽が振り向くと同時に、無情にもバスのドアは閉じられ、発車してしまった。自分の指先すら見えない、真っ白な世界。まるで今の美羽の頭の中のよう。
誰も、いない。
「ここ、どこなんだろう?」
病院の近くのバス停には、たくさんの沿線のバスが通る。適当に乗ったらしい美羽は、どこに来たのか全く分からない。いったい自分はどのくらい寝ていたのか。
「あ、携帯」
GPSで位置がわかるかも、と携帯を取り出したが、圏外。
圏外、なんて文字は、山奥の温泉宿に行った時以来だ。携帯が使えなければ、タクシーすら呼べない。時刻は、夜の10時を過ぎている。
不安ではあるが、この霧では動くこともできない。とりあえず、ソロソロと動いてベンチらしきものに腰を下ろす。霧が晴れればバス停も見えるだろうし、電話もどこかにあるかもしれない。そう思うと、少し落ち着いてきた。
どうせ、連絡する人もいないし、いいか。
そう思うと、急に涙が出てきた。
「ここで何をしている?どうやってここに来た?」
不意に、頭の後ろから声が聞こえた。声からして若い男性だ。威圧的な言葉だが、声色は穏やかで少し安心する。
「本当は宮町三丁目なんですけど、バスを間違えちゃったみたいなんです。降りたらこの霧で、帰りのバス停もわからなくって」
心底困った声を出すと、その人は少し考えているようだった。
「宮町三丁目、バス……」
声の主は美羽の住む町を知らないらしい。よっぽど遠くに来てしまったのか。
「そんな事で泣くな。俺は知らないが、誰か知っている者を探してやる。霧が晴れるまで、ここに居ろ」
涙の理由を勘違いした声の主はそう言って、どこかに行ってしまった。
どうして、泣いていたことが分かったのか。美羽からは、姿を見ることもできなかったのに。得体のしれない恐怖を感じたが、深い霧の中では動くこともできない。
どれくらいそうしていただろう。さっきの声が戻ってきた。
「待たせて、悪かった。宮町三丁目、知ってる者がいなくて……。でも、バスを知っている者はいた、来てくれるように頼んできたから。もうすぐ霧も晴れる。それまで、待とう」
そう言って隣に座ったようだが、相変わらず霧が深くて姿が見えない。
「この霧で、私の事がわかるんですか?」
「お前は、わからないのか?」
不思議そうな声が響く。
強い風が吹き、息苦しさすら感じていた霧が一気に晴れた。お礼を言おうと隣をみると、そこにいたのは灰色の大きな犬。周りを見渡しても、人の姿は無い。
「バスを知っている人、呼びに行ったのかなぁ。夜遅くて危ないから、犬をおいて行った?」
考え込んだ美羽が呟くと、犬が首をかしげた。
「来てもらうように頼んだから、呼びにはいかない。さっきから話していたのは、俺だが?
その声は、確かに霧の中で聞いた、男性の声。犬が、喋った。
「待たせたのう。バスで来たっていうのは、アンタかい?」
頭の上から、年配の男性の声。恐る恐る振り向けば、そこにいたのは丸い目をした大きな梟。美羽は叫びだしそうになるのを必死でこらえた。
「バスを、知っているのって……」
「ああ、わしじゃ」
間違いない、確かに梟が喋っている。喋る犬と梟。美羽の意識は、そこで途絶えた。
「あぁ、倒れちゃったよ。どうする?じい様」
「放っておくことも、できんじゃろう」
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