応援コメント

3-2.小説の文章技法」への応援コメント

  •  私も趣味で文章を書いているのですが、このページに書かれていることが自分に一番欠けていることのように思えました。会話文を上手く利用して、複数の登場人物を特徴づけていくのは特に苦手です。例えば、主人公が五人の盗賊に囲まれてしまったとき、「やい、金を出せ」「殺すぞ、てめえ」など五人に似たようなことを喋らせてしまいます。誰が首領格なのか、誰が一番下の地位なのか、を分かるように描かねばならないということですよね。

     描写についても同様で、文節の冒頭に「今夜は美しい月夜だった」と書いておきながら、その五行くらい後に「彼は満月の美しい光に魅了された」とか、似たような文章が次々と出て来てしまいます。『素人なんだから、それでいいんだよ』と開き直ることも出来ましょうが、この趣味に没頭したいので、できるだけ上手くなりたいものです。

     物語からの脱線といえば、ドストエフスキーですが、私が真似をして語り手を饒舌にするととても聞き苦しい文章になってしまいます。まあ、蛇足というか、余計な語りになるんですよね。この辺も天才と凡人の差ですから、致し方ない部分もあるのですが、もっと勉強したいと思います。今後とも、参考にさせて頂きます。ではまたー

    作者からの返信

     登場人物の言動は、作者の都合と登場人物の都合の兼ね合いで決まります。

     作者の都合というのは、ストーリーを進める上でこう動いてくれないと困る、というもの。とりあえず盗賊には主人公を襲っていただかないと困るわけですね。

     登場人物の都合は、その人物がある状況に置かれたときどうするか、というもの。

     盗賊稼業は狩りに似ています。どうせ狙うなら、金目のものをたくさん持っていて弱い奴を襲ったほうがいいわけです。
     主人公が明らかに弱そうで金持ちそうなら、盗賊は嬉々として襲ってくれるでしょう。とりあえずいきなりぶん殴ってから「やい、金を出せ」と言うかもしれません。

     しかし、主人公が明らかにヤバそうなオーラを漂わせている場合、「やい、金を出せ」はあり得なくなります。それは素手でカバにケンカを売るようなもの。
     強そうな奴に強気で行って殺されるのはRPGの雑魚チンピラの宿命であり様式美ですが、現実にはそんな自殺志願者な盗賊はいません。

     作品によっては様式美に則るのが正解なこともありますが、そうでない場合は、作者の都合と登場人物の都合に折り合いを付けなければなりません。その不自由さにキャラクターの個性が出てくるわけです。


     描写の場合も考え方は同じですね。まずは、その描写の主が誰かを考える。描写しているのが非人称の話者(いわゆるカメラワーク)の場合、主観的な表現はできるだけ削ったほうがよくなります。「今夜は満月だった」とか、必要な状況を説明するだけでいい。
     登場人物の視点を通した描写を行う場合は、その人物によるバイアスのかかった表現になります。

    「彼は空を見上げた。(視点がどこかの説明)
     暗闇が広がる何もない夜空に、満月だけが白く輝いている。(描写が細かくなるほど、彼は月をじっくりと見ていることになる。つまり、「魅了された」と書かなくてもその様子が表現できる。また、月に対してポジティブなイメージを多く与えることで、「美しい」と思っていることも表現できる。本当に夜空に月以外の星がないかどうかは、この際関係ない。主観視点の場合、描写が歪んで不正確でも構わない)
     美しい、と彼は思った(必要なら最後に念押ししておく)」


     饒舌体はすでにやり尽くされた感がありますし、やったから文学と言われる時代はもう終わったと思います。文学的試みとして何か意味があるなら別ですが、無理にやることはないでしょう。