2.虚構の構築
2-1.小説の作業工程(推敲について)
A.小説の作業工程
推敲は、唐代の詩人にまつわる話を集めた『唐詩紀事』に納められている故事に由来し、文章を練り直すことを意味する。
賈島は「鳥は宿る池中の樹 僧は推す月下の門」という詩を作ったが、「僧は敲く月下の門」の方がいいのではないかと思いつく。どちらがいいか迷っているところに、偶然、韓愈という漢詩の大家と出会い、助言を求めたところ、「敲く」の方が、門を敲く音が静かな夜に響いて風情があるだろうと答えた、といった概要である。
この故事に倣って、中国や日本では、ひととおり書いた文章を完成原稿まで持って行くまでの過程を「推敲」と呼ぶことになったわけだが、故事からもわかるように、もともとこれは詩の用語であって、小説の作業工程を表す言葉としては、やや大雑把なところがある。
もともと小説は西欧から輸入した概念であるため、その書き方についても、西欧のものを参考にすると、よりわかりやすくなるだろう。
西欧では、小説の作成のステップを、おおむね次のように分類している。
1.構想 "Prewriting"
2.起草 "Drafting"
3.改訂 "Revising"(推敲)
4.編集 "Editing"
5.公開 "Publishing"
1.構想 "Prewriting"
この段階では、アイデアを発想し、アイデアを練り、テーマを決め、プロットを立てる。
2.起草 "Drafting"
下書きの段階。とりあえずざっと書いてみる。この段階ではまだ、字数制限やプロットに従う必要はなく、とにかく思いついたら書いてみて、材料をたくさん作っておくことが重要になる。
同じシーンを別の角度からいくつも書いてみたり、違ったストーリー展開のバージョンをいくつか書いてみたりする。
なお、人物や舞台の設定を作るのはこの段階が最適。いろいろ人物を動かしてみたり、舞台をいろんな角度から書いてみたりできるので、ここで遊んでおくことで奥行きが出せるようになってくる。
3.改訂 "Revising"(推敲)
材料がそろってきたら、字数制限やプロットに合わせて、作品を組み立てていく。ここがいわゆる「推敲」と呼ばれる工程となる。
一般的なイメージだと、推敲に入る段階では作品はほぼ完成していると思いがちだが、実際にはまだ下書きの段階に過ぎない。推敲の段階で、初めて作品の形に組み上がっていくわけである。
ここでは、テーマやプロットを実現するために必要な材料がそろっているかを確認し、起草の段階で書いたシーンやバージョンから、どれを残すか、どの順番にするかを決めていく。足りないシーンがあれば新たに書き起こす。そして仮組みをしたら、全体のバランスを見ながら文章をブラッシュアップしていく。もちろん、途中で作品に問題点を発見したら、問題解決を計る。
可能であれば誰かに読んでもらって、意見を求めておきたい。自分一人で考えるとどうしても考えが凝り固まりがちになるので、どのバージョンがいいか、もっといいアイデアはないか、など聞けるとありがたい。
ひととおり完成したら、自分で読んでみて、テーマを表現できているか、意味はわかるか、面白いか、矛盾や事実誤認などはないか、自分の意図とは別の解釈をされた場合や批判的に読まれた場合に問題はないか(差別的なニュアンスや、公序良俗に反する内容、特定の個人や団体を攻撃していると取られる箇所があると後々問題になるので、そういった点は念入りに気をつける。覚悟の上ならともかく、気付かずに公開してしまうのは極力避けたい)、文章が効果的に配列されているか、などをチェックしていく。詳細は後述。
ついでに文法や誤字脱字のチェックも行うが、これを専門的に行うのは次の作業となる。
そうやって改訂(推敲)を繰り返して、原稿を完成させる。
なお、日本で「改訂」というと、一般には、公開された本の内容を修正することを指す。ここでは "Revising"の訳語として妥当なために「改訂」と表現しているが、日本でこの工程のことを表現する場合は、やはり「推敲」としておいた方が通りがいいだろう。
4.編集 "Editing"
完成した原稿の文法や誤字脱字等のチェックを行う。プロにお願いするのが一番だが、孤独な作家は自分でやるしかない。
ウェブサイトに投稿する際も、コピー&ペーストする際に文章がごっそり抜け落ちていたり、文字化け等が起こったりはありがちなので、最終チェックは忘れずに。
5.公開 "Publishing"
作品を公開する。かつては「出版」のことを指していたが、今ではそうとも限らない。
B.推敲のチェック項目について
先の「3.改訂 "Revising"(推敲)」において、ひととおり完成した後に自分で作品を読み、チェックを行うと書いたが、それに関して詳述する。
1.テーマを表現できているか
まず、そもそも自分がこの作品で一番やりたかったことは何だったのかを思い返し、それをきちんと表現できているかを確認する。
読者が作品を読んで何を感じるかは自由だが、だからといって作者が適当に作品を書いてもいい、というわけではない。読者の想像に丸投げしてしまったら、作者が作品を書く意味が無くなってしまう。作者は作者の責任として、自分がこの作品で表現したかったことを、きちんと表現するべきで、それができているかを確認するべきである。
2.意味はわかるか
論文などの場合、論理展開がきちんとしているか、説得力があるかなどをチェックするわけだが、小説の場合、特に気をつけたいのは登場人物の立ち位置。たとえば、AとBが道路を歩きながら話しているシーンから、そば屋でそばをすすりながら話しているシーンに飛んでしまって、「こいつら、いつそば屋に入って、席について、そばを注文して、店員がそばを持ってきたんだよ!」となることが結構ある。作者の頭の中ではあまりにも当たり前な出来事のために、こうした情報を書き忘れてしまうことが多いのである。
他によくあるのは、時刻、天気、季節の書き忘れや矛盾。「月明かりが明るい夜」と書いたそばから「真っ暗な夜だった」などと書いてしまう作者は意外なほど多い。また、時刻などについて何も書かれていないから、なんとなく昼のシーンなのかな、と思って読んでいたら、突然「空を見上げると月が見えた」とか書かれてあって、えっ、これって夜のシーンだったのかよ、全然そんな雰囲気無かったぞ、となることも多い。
なお、私がこれをチェックする場合は、まずは眠かったりして集中力がないときに読んでみて、それでも意味が理解できれば理想的だと考えている。次に集中力のあるときに読んで、細かい部分までチェックする。
3.面白いか
読んでいて集中力が途切れたり、読むのをやめたくなるような小説は話にならない。つまらない小説をいくらチェックしても無駄なので、この項目をパスできない場合は根本的に作品全体について考え直す必要がある。
私は、眠いとき、自分の小説なんか読みたくない気分のとき、集中力のあるときの三種類の状態でそれぞれこの項目をチェックしている。好意的に読んで面白く感じるのは当然なので、なるべく自分の小説に対して好意的な気分になれない状態で読んで、それでも面白いかをチェックしたいわけである。
眠くても面白いと感じられるのが一番いいが、作品によってはある程度読者に集中力を要求せざるを得ない場合もあるので、眠いときに読んで面白くないから絶対にダメだとも考えてはいない。
とはいえ、作者はどうしても自分の作品をひいき目に見るものなので、できれば信用できる何人かに読んでもらって率直な感想を聞きたいところではある。
4.矛盾や事実誤認などはないか
2の「いつそば屋に入ったんだ」とか「月が明るいのか真っ暗なのかどっちなんだ」といった矛盾もそうだが、ここで特に問題にするのは、たとえば「今日はみどりの日だった」といった文章があったとして、これが何月何日を指しているのか、といった、調べ物をして確認する必要がある矛盾や事実について。みどりの日は、作品の舞台がいつなのかによっては4月29日だったり5月4日だったり、あるいはみどりの日なんて存在しない場合もありえるので、こうした点は面倒くさがらずに一応チェックしておいた方がいい。幸い、現代ではたいがいのことはインターネットで調べがつく。
5.自分の意図とは別の解釈をされた場合や、批判的に読まれた場合に問題はないか
一見どうということのない文章でも、政治・宗教・スポーツその他、特定の信仰や信条を持つ人から見たら不適切に見えることがある。小説を書く以上、全く波風の立たない文章ばかり書くわけにもいかないので、ある程度は批判を覚悟することも必要だが、一応はチェックして、本当に批判覚悟でやる価値があるのかどうかは検討した方がいい。
基本的には、無駄にケンカを売るよりは、穏当な表現に変えた方がいいことが多い。短期的に見れば、世間の目を気にして自分の創意を曲げることは許しがたく感じるかもしれないが、この表現で無ければ絶対ダメ、絶対譲れない、という固定観念を持つよりは、もっといい表現方法があるはずだと模索した方が、作品をよりよくするチャンスを広げられる。
小説家なら文章技術にこそプライドを持つべきで、些末な表現にこだわるべきではない。
6.文章が効果的に配列されているか
「推敲」の語源に近いことをするチェック。「推す」より「敲く」の方が効果的なんじゃないかとか、このシーンをもっと前の方に持ってきた方がよりよいのではないかとか、そういったことを検討する。
ただ、すでに作者は「この形がベスト」と思って文章を配列しているはずなので、ここは推敲の語源となっているエピソードのように、できれば誰かに意見を聞いたほうがいいところではある。語源のエピソードでも、作者は「敲く」に音の効果があることに気付いておらず、指摘されて始めて知ることになる。こうした意見を取り入れることで、作品により深みを増すわけである。
7.文法や誤字脱字のチェック
これらは「編集」の工程でしっかりチェックするが、1から6のチェックを行っている際に、気付いたミスはついでに潰しておく。
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