第15話 家族旅行
次の週、海斗の部活が休みに入り、毎年恒例の家族旅行へ出かけた。我が家では、毎年家族で海に出かけていたが、この二年、海斗と俺とで連続して高校受験だったので、泊りがけの旅行には行っていなかった。つまり、今年は三年ぶりの泊りがけの家族旅行なのである。両親は張り切って、俺の受験が終わるや否や飛行機とホテルの予約をし、沖縄旅行が実現したのであった。
三年前は海斗も俺も中学生で、まだ世間から見れば子供だったので、親子で飛行機に乗る事など普通だったが、今回は大人ばかりで何だか妙な気がする。羽田空港には人が溢れ、外国人もたくさんいるが、それでも海斗は何となく目立っている。若い女性同士の旅行客などは、悉くこちらを振り返る。こそこそキャッキャとしながら。沖縄旅行ということで、Tシャツ短パンサンダルといういで立ちの俺たちである。更に、サングラスも持って来ていた。俺は、早速海斗にはサングラスをさせた方がいいと思った。
「海斗さ、いっそ芸能人にでもなったら?」
だが、サングラスをしろ、ではなく、こんな事を言った。
「興味ない。」
海斗は即答した。俺ってかっこいいよな、と得意になったりしないのだろうか。むしろ煩わしいと思っているのだろうか。有名人になったらこんなもんじゃないだろうし。それか・・・もしかしたら、自分が有名になったら俺が誰の息子かという事が表沙汰になることを心配して・・・ってのは考えすぎか。
飛行機に乗り込み、通路をゾロゾロと並んでゆっくり歩いていると、既に座っていた外国人のおばさんから、
「彼、俳優さん?」
と俺が聞かれた。片言の日本語で。
「いえ、違います。」
と答えたが、周り中が一斉に海斗を見た。俺の前を歩いていた海斗を。まあね、これだけ顔が良くて背が高い日本人なんて、俳優かモデルくらいしかいない、と思うよな。でも、東京中探せば、けっこうたくさんいるのだと思う。だが、俺の知っている人で、これほどの一般人はいない。それを、毎日見ているのだから、俺は何て・・・幸運?いや、不運?よく分からないが、見ている事自体は、悪くない気がする。できればずっと見ていたいかもしれない。あまりジロジロ見ているわけにもいかないから、意外に毎日会っていてもそれほど海斗の顔を眺めてはいないものだ。
那覇空港に着いて、レンタカーを借りて、ホテルへと向かった。家族だけになって、やっと安心。空港でもレンタカーを借りるところでも、それはそれは海斗は目立って、一緒にいる俺までジロジロ見られて、落ち着いていられなかった。見られるのって、けっこうしんどい。疲れる。海斗はいつも大変だなあ、と改めて思う。海斗は至って普通だった。家族とも時々話すし、母が写真を時々撮るが、それにはちゃんとポーズを取って応えていた。周りの目を意識している様子もない。勝手に写真を撮っている人がいると、父さんが海斗とそのカメラとの間にさっと入るのを俺は見た!そうやって息子を守っているんだなあと感心した。俺もそんな風に海斗を守らないといけないのかもしれない。うん、今までの恩返しも含めて、それは俺が敢えて買って出るべき事かもしれない。学校でも。・・・あまり自信がないが。
大きなホテルに着いた。プライベートビーチを持っていて、プールも付いていて、豪華なホテルだ。チェックインの順番を待つため、ロビーのソファに座った。
「すごいホテルじゃん!父さん、母さん、ありがとう!」
俺はけっこうはしゃいでいた。母さんは俺の頭をなでなでした。母さんもはしゃいでいて、
「まず海に行く?それともプール?部屋に入ったらすぐに水着に着替えないとね。」
と言う。
「まずは昼飯じゃない?」
海斗はそう言ったが、
「じゃあ、水着に着替えてからランチね!まずは海に行こうよ。」
と、母さん。母さんは海が大好きなのだ。ランチの時間も惜しい様子だ。父さんはそんな母さんを見て微笑んでいる。
我が家の番が来て、チェックインを済ませた。もう大人四人なので、二人ずつ二部屋に分かれて宿泊しなければならない。和室のあるホテルなら四人部屋もあるが、洋風のホテルでは、四人で一部屋に泊まろうとすると大抵ベッド三つにエキストラベッド一つという事になる。エキストラベッドは小さい。昔は一つのベッドに俺と兄貴が二人で寝ていたが、もうそういうわけにも行かないのだ。
そう言えば、俺がうちに来た頃、俺は独りになるのが怖くて、いつも海斗にくっついていた。ちゃんと俺の個室とベッドをしつらえてもらったのに、お風呂に入るのもベッドに寝るのも一人では嫌で、海斗と一緒だった。海斗もよくこんな俺を疎ましく思わなかったものだ。いつも俺を受け入れ、一緒に寝てくれた。それを、今更ながら思い出した。
いつの間にか、俺は独りでも怖くなくなっていた。外に友達も出来たし、海斗と一緒にいたくて始めたサッカーもやめ、土日に海斗と別行動をするようになって、徐々にべったりではなくなっていったのだった。
両親の部屋と俺たちの部屋は隣同士で、部屋の前で別れた。十五分後に水着に着替えて出発しよう、と約束して、それぞれの部屋に入った。
「うわっ、部屋から海が見える!」
俺はまだはしゃいでいた。部屋は十五階で、眼下にはプールのある中庭が見えていた。
「ふー、疲れた。岳斗は旅に強いな。」
海斗がベッドに横になってそう言った。だから、海斗は人に見られているから余計に疲れるんだって。けれどそれは言わない。ああ、そしてこの、人の多いプールなどに出かければ、また大勢の人に見られて疲れるのだろうな、と俺は中庭を見やった。
十五分後、部屋をノックする音が聞こえ、俺たちも部屋を出た。ノックしたのは母さん。水着の上に全員パーカーを着て、ビーチサンダルを履いて、出発だ。エレベーターで一階へ行き、中庭へ出る。
「だから、昼飯でしょ。」
海斗がそう言って、四人は中庭からまたホテルの中に引き返し、一階にあるレストランで食事をとった。
さて、食事も終わり、ビーチへ。外には照り付ける太陽。母さんはサングラスをし、フードをかぶった。ビーチに出ると、バナナボート乗り場があった。ホテルのプライベートビーチなので、混雑しているほどではなかった。父さんは荷物を持っていると言って留守番をし、母さんと俺たちと三人でバナナボートに乗った。その様子を父さんがビデオに撮っていた。
シュノーケリングもできるそうだが、今日はこれからプールに行こうという事で、ホテルの中庭へ戻った。今度は父さんに代わって、俺が荷物番をすると言って、みんなの荷物を預かり、パラソルの下に腰かけた。俺は特別水泳が得意なわけでもないし、海は好きだけれども泳ぎたいわけでもない。
パラソルの下にはテーブルと椅子があって、飲み物を買ってくればそこで飲める。綺麗な色のジュースを飲んでいる人を見て、俺も欲しいなあと思いつつ、横目で見ていると、隣の椅子に人が座った。
お酒と思われるドリンクを持って来たその男性は、椅子をわざわざ俺に近づけて、座った。なんだこの人、と俺はちらっとその男性を見た。すると、男性は俺の事をジロジロ見てくる。そして、
「Where are you from?(どこから来たの?)」
と言ってきた。
「トーキョー。」
と答えた。すると、その男の人は、テーブルの上に置いていた俺の腕を指先でつーっと触った。
「え?」
俺、びっくり。何?セクハラ?痴漢?それとも、何か別の意味があるのか?
「ヘイ!」
いきなり俺の腕が掴まれて、その男の人の指から放された。今度は誰!?とパニックになった俺。
「何してんだよ、おっさん!」
それは海斗だった。
「Are you his boyfriend?(君、彼のボーイフレンド?)」
「イエース!Don’t touch him!(彼に触るな)」
海斗がそう言うと、男の人はチっと舌打ちして、去って行った。いやいや海斗、英語分かってるか?そこはイエスじゃなくてノーだろ。周りの日本人が理解していませんように。
「岳斗!お前、無防備過ぎるだろ。ちゃんと抵抗しろ!」
「か、海斗、何でそんなに怒ってるんだよ。」
そう言うと、海斗は黙った。でも、助けてくれたんだよな。
「でも、ありがと・・・。」
俺は一応お礼を言っておいた。と、パーカーを脱いだ海斗の上半身が、なんと立派な筋肉!この一,二年でずいぶん筋肉が付いたものだ。そして、髪が濡れて水も滴るいい男。ほらね、ビキニの女子たちがキャピキャピし始めたよ。
「ねえ君たち、私たちと一緒に遊ばなーい?」
なんて、声をかけて来た女の人も。けっこう年上だと思われる。相手は俺の事も誘っているようだが、どう考えても海斗目当てなので、俺が断ってもあれだなあと思って海斗を見ていると、海斗は無視するようだ。
「岳斗、部屋に戻ろう。」
と言って、俺を促した。俺は両親の荷物も持って、歩き出した。
「父さん、俺たち部屋に戻ってるから。タオルとパーカーはそこに置いておくぞ。」
海斗はプールにいる父さんにそう声をかけた。ちなみに、タオルはホテルのタオルで、使ったらホテルの入口にあるボックスに入れておけば、また新しいタオルをエレベーターホールから持って行っていいのだ。海斗は自分の体を一枚のタオルで拭き、ボックスに入れ、俺の手からパーカーを受け取って羽織った。ホテル内は水着での往来禁止となっている。
部屋に戻ると、海斗はすぐにシャワールームに入ろうとして、
「お前も来いよ。」
と言う。
「いや、海斗が先に使っていいよ。俺はもう乾いてるし。」
と断った。すると、
「でも、海に入ったんだから、そのままベッドに腰かけない方がいいだろ。早く流して着替えた方がいいよ。」
と言われた。
「立ってるから、いいよ。海斗が先に着替えなよ。」
と言うと、海斗はそれ以上は何も言わず、独りでシャワールームに入った。当然でしょ。いくら男同士だからって、狭い部屋で一緒に脱ぐとか、変でしょ。
海斗がシャワーを浴びている間、俺はまた窓の下を眺めていた。さっきの外国人は、なぜ俺の腕を触ったのだろう。水着の女の子がたくさんいるところで、俺なんかをいじって何が楽しいのだか。やっぱり、あの人はゲイだったのだろうか。だから、海斗が来た時にお前はボーイフレンドなのかと聞いたのだろうか。そう考えると、腕をつーっと触られたことが、急に気持ち悪く感じて、寒気が走った。
「大丈夫か?」
海斗がいつの間にかシャワーを終えて出て来ていた。腰にタオルを巻き、小さいタオルで髪の毛を拭いている。
「う、うん。平気、平気。じゃ、俺シャワー浴びるね。」
俺は急いでシャワールームに入った。
食事を済ませ、みやげ物店を覗いたりして、家族で一階を徘徊しているうちに、辺りはすっかり暗くなった。中庭に小ステージがあり、誰かが歌ったり、子供を集めてゲームをしたり、様々なイベントが行われていた。部屋に戻ってすぐ、打ち上げ花火の音がして、窓の方を振り返ってびっくりした。ホテルのプライベートビーチから打ち上げていて、すぐ目の前で花火が弾けた。
「すげー!近い。」
海斗もさすがにはしゃいだ。俺たちは、それぞれベッドに腰かけて、花火を見た。おーとか、わぉとか言いながら見ていたが、その花火も終わり、イベントも終了した夜十時頃、海斗が急に立ち上がった。
「岳斗、花火やろうぜ!」
と言う。
「花火、今見たじゃん。」
「いや、打ち上げ花火じゃなくて。売ってたの見たんだよ。ビーチでやろうよ。俺たちだけで。」
確かに、子供の頃は夜にビーチになんて行けなかったし、それは楽しいかもしれない。両親はお酒を飲んでけっこう酔っぱらっていたので、今頃部屋で寝ているだろう。俺たちは二人で部屋を出た。
売店で花火を一袋買い、ライターと口の広い缶の飲み物を買った。飲み物を二人で飲み干し、海へ繰り出す。ここに水を入れて燃え尽きた花火を入れるのだ。海は真っ暗だが、ホテルの灯りのお陰で、足元が完全に見えないわけでもなかった。遠くで同じように花火をやっている若者たちがいたが、俺たちが花火を始めると、間もなくホテルへ戻って行った。そして、完全に静かになった。
花火が盛んに燃えている時には、お互いの顔が見えるが、消えてしまうと暗くて見えない。そうやって、お互いの顔を見たり、花火を見たりしていたが、残すところ数本の線香花火のみとなった時、海斗はその場にお尻をついて座った。なので、俺も隣に座った。海斗は手にした線香花火に火をつけ、足の間でそれを灯す。その海斗の顔を見ると、すごく美しかった。俺も線香花火に火をつけた。線香花火を見て、ふと海斗の方を見たら、海斗は俺の顔を見ていた。
今まで、海斗はこんな目で俺を見ていただろうか?こんな、熱い目で。なぜだか胸が締め付けられるような気がした。鼓動も速くなる。どうしたんだ、俺。
ぽとっと線香花火の先端が落ちた。海斗の花火も落ちて、辺りは急に暗くなった。一瞬何も見えなくなり、俺は思わず海斗の方に手を伸ばした。すぐ隣にいるんだから、手を伸ばせばすぐに触れる。俺は海斗の腕を握った。すると、海斗は反対側の手で俺の手を握った。目が暗闇に慣れてくると、海斗の顔も見えるようになってきた。まだ、さっきの熱い目で俺を見ている。
は、いけない、と俺は思った。とっさに立ち上がった。
「帰ろう。」
俺がそう言うと、海斗も立ち上がった。
「そうだな。」
言葉少なな二人は、花火の片づけをし、部屋に戻った。もう一度それぞれシャワーを浴び、ホテルの浴衣に着替えた。
急に緊張した。この、二人だけの部屋。ベッドが二つあって良かった。・・・あれ、何考えてんだ俺。兄弟なのに。いや、本当の兄弟じゃない。海斗にとっては、ずっと兄弟じゃなかったのだ。でも、幼馴染、親友だと思えば、別に二人でホテルに泊まったっていいじゃないか。それなのに、なぜ変な感じになっているんだ。そうだ、海斗がやたらと顔がいいから変に取ってしまうだけなのだ。俺が意識しすぎなのだ、きっと。俺は、海斗の方は見ないようにして、ベッドにもぐりこみ、海斗に背中を向けて眠ろうとした。だが、なかなか寝付けなかった。海斗が今どうしているのか、どんな顔しているのか、眠ったのか。
あー、気になって仕方がない。俺は、寝返りを打って反対側、つまり海斗が寝ている方を向いた。すると・・・海斗は両手を枕にして仰向けになっていたが、俺が寝返りを打ったので、こちらを振り返った。目が合う。部屋の灯りは消したけれど、ホテルの中庭にある灯りのせいで、ほんわりと明るい。
「眠れないのか?」
海斗がそう言った。
「うん、まあ。」
俺が曖昧に答えると、海斗はベッドを降りようとしている。何をするのだ?身構えていると、やっぱり、海斗は俺のベッドに入ってくる!
「なに?なんで?」
俺が慌てて言うと、
「一緒に寝ようぜ。久しぶりに。」
と、けっこう嬉しそうな顔で押し入ってくる。
「狭いだろ。」
と言っても、聞きやしない。ベッドに入ってきて、俺のすぐ目の前に横たわる、美少年。ドキドキドキドキ、鼓動が速くなっている。もう、これは自分の事もごまかせない。
「岳斗、好きだよ。」
海斗はそう言って、俺を抱きしめた。俺は、気を失った・・・のではなく、眠りについた。懐かしかったのだ。いつも、こうやって抱きしめてもらって眠っていた。あの七歳の夏を思い出した。
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