第10話 体育祭

 我が校の体育祭の日がやってきた。強い日差しの照り付ける、五月晴れの土曜日。俺たちは、あちぃあちぃと言いながら、クラス毎の応援席を埋めていた。

 何をしていても、ついつい兄貴に目が行ってしまう。俺は身内だからしょうがない。けれど俺以外の多くの生徒も、目が行っているのが分かる。

 応援団の人たちが、黒くて長い法被の裾をなびかせて、縦割りクラスの前で応援合戦を繰り広げた。応援団の人たちもかっこいい。兄貴を見ると、そんな応援団たちを盛り上げようと、声を張り上げて声援を送っていた。兄貴のそういう所がまたいいんだよな。すかしてるのではなく、自然体で。

 体育祭の花形と言えば、運動部の部活対抗リレーである。と、先輩から聞いた。山岳部もれっきとした運動部なので、リレーに参加しなければならない。六人制なので、部長の門倉さん以外全員出る事になっていた。つまり、俺も、萌ちゃんも。男子が多いので男子の部に出る。

 男子の部の中でも二つのレースに分かれていた。最初に走るのが、山岳部、剣道部、柔道部、空手部、体操部、バレー部である。山岳部には女子が入っていて不利ではあるが、何しろ俺たちは重たいリュックを背負って走るので、勝とうとは思っていないのだった。それは剣道部も同じで、胴着を着て素足で走るようだ。それぞれの部がユニフォームなどを着て走る。部活の宣伝、アピールの場と取ればいいだろうか。

 リレーに出るため、「山岳部」と書いてあるゼッケンをつけ、列に並んだ。山岳部にはとくにユニフォームなどないので、代々体育祭のリレー用に受け継がれているゼッケンがあるのだった。俺はなぜか第一走者にされた。一年からね、と篠山さんに言われたから仕方ない。第一走者が位置に着く。俺も位置に着く。

「よーい。」

パン!

号砲が鳴って、一斉にスタート。俺は、一応頑張って走ったが、何せ重たいものを背負っているのでスピードは出ない。それでも、素足で真面目に走っていない剣道部よりはちょっとだけ先を走っていた。すると、

「や、ま、とー!頑張れー!」

とひと際でかい声の声援が聞こえた。そちらを見やると、ああやっぱり、兄貴だった。兄貴の周りには、女子たちがキャーキャー言いながら取り囲んでいた。兄貴が自分の席にいる時にはクラスメートに守られているが、一歩外へ出ると先輩後輩、様々な女子ファンたちがすぐに取り囲んでしまうようだ。だが、兄貴はそんな事は気にしない様子で、俺に向かって手を振っていた。・・・今日もまた、穴があったら入りたい境地。ただでさえ頑張って走って暑いのに、急に顔がぼっと熱くなった。だが、目の前を通り過ぎる時に、無視するのもどうかと思った俺は、ちらっと兄貴と目を合わせ、にやっとした。した、と思う。顔が多少引きつっていたかもしれないけれど。

 そして、萌ちゃんにバトンを渡した。兄貴が萌ちゃんの事も応援するのではないか、とヒヤヒヤした。何しろ、そんな事をしたら周りの女子たちがどうするのかと心配したのだ。だが、俺が走り終わると、いつの間にか兄貴の姿は消えていた。取り巻き女子がいなくなっていたのですぐに分かるのだった。

 アンカーは篠山さん。最初はやる気のなかった剣道部だが、最下位にはなりたくないと見え、山岳部とはアンカー同士意外と燃えるレースを展開していて、俺もみんなも懸命に応援した。そして、会場も盛り上がった。重い荷物を背負っていても、素足の剣道部よりは少し有利だったのか、最後の最後で篠山さんがレースを制した。剣道部が最下位になったのだった。ちなみに、バレー部は、こちらのレースに入らされる事に不満たらたらだったのだが、実際走ってみたら、一番だったのはバレー部ではなく体操部だったから驚きだった。体操部、バレー部、空手部、柔道部、山岳部、剣道部の順だった。

 さて、次はサッカー部、野球部、バスケ部、バドミントン部、テニス部、陸上部のレースだった。水泳部は、陸の上では勝負しないという事で、レースには参加しないのだそうだ。足の速い生徒はこれらの部活に所属しているわけで、どの部も今年こそは一番になるぞと気合を入れているのが見て取れる。

 兄貴を見つけた!やっぱり、サッカー部の選手に入っていた。消えたと思っていたら、次のレース待ちで入場門のところに並んでいたというわけか。先輩情報によると、毎年このレースを制するのは陸上部だが、サッカー部と野球部が二位をかけてデッドヒートを繰り広げるのが見ものだそうだ。

 俺たちは退場し、自分のクラスの席から応援することになった。ああ、身内が走るのってハラハラする。兄貴もそんな思いであんなに前まで来て応援していたのだろう。だが、俺は引っ込み思案だから、というよりも兄貴の親衛隊の前へ出られるわけもないので、むしろ後ろから応援した方が見えやすいというもの。会場が盛り上がり、スタートの号砲が鳴った。歓声が響く。

 兄貴は足が速い。母が陸上部で短距離走をやっていたそうで、兄貴は素質もある上に、母から走り方を教わっているので走り方がきれいなのだ。更に背が高いという事は足も長いので、鬼に金棒である。俺も母から走り方は教わったような気もするが、やっと普通になれた程度。元々素質がないのだろう。まあ、俺の事はいいとして、兄貴にバトンが渡った。すると、キャー!という女子の甲高い声援がより一層響き渡った。

「頑張れ、海斗!」

回りの声援にかき消されながらも、俺は思わずそう叫んだ。兄貴は、少し前を走っていた野球部の選手を追い抜き、陸上部の次にバトンを渡した。サッカー部は大喜び。そして、そのまま順位が変わることなく、陸上部、サッカー部、野球部の順でゴールしたのだった。ちなみにその後は、テニス部、バスケ部、バドミントン部の順だった。


 お昼休憩になり、それぞれ教室へ戻ろうとした時、俺は二年生数人に取り囲まれた。

「お前、城崎の弟なんだろ?全然兄貴に似てないな。」

ヘラヘラと笑いながら、俺に突っかかってくる。俺はなんと答えてよいか分からず、立ち尽くした。

「お前も気の毒になあ。いいとこ全部兄貴に持っていかれてさあ。ああそれか、お前、もらわれっ子なんじゃないのか?」

アハハハ、とその人達が笑う。すると、俺の胸の辺りにがしっと誰かの腕が絡まった。

「おい、俺の可愛い弟になんか用か?」

兄貴の声だった。可愛いは余計だよ。振り仰ぐと、そこにはすごい形相の兄貴の顔があった。今まで俺をからかっていた先輩たちは、急に凍り付いたように顔をひきつらせた。そして、兄貴をというよりも周りの目線を気にして、何も言わずにそそくさと去って行った。

「岳斗、俺が走るとこ見ててくれたかー?」

奴らが去ると、気を取り直して笑顔になった兄貴が、俺の顔を覗き込んでそう言った。俺が、気分が落ちて暗い顔をしていたからか、兄貴は俺の頬を両手で包んだ。そして、

「あんなの、気にするなよ。」

小さい声でそう言った。俺は、それこそ人目が気になった。周りの女子たちが、口に手を当ててキャーっと言ったからだ。俺は兄貴の手を自分の手で引っぺがした。恥ずかしくて逃げ出したい気もしたけれど、あまりないがしろにすると兄貴が拗ねると思い、

「大丈夫だよ、あんなの慣れっこだから。それより、また足が速くなったな。」

と言ってやった。兄貴はぱぁっと顔を輝かせた。これで十分だろうと思い、俺は挨拶もそこそこに、兄貴から離れて教室へ向かった。

 午後には騎馬戦やクラス対抗リレーなどがあり、相変わらず兄貴は目立っていた。女子からはキャーキャー騒がれるし、足は速いし、みんなが兄貴を見ているようだった。それでいて、兄貴は自然体で、楽しそう。ああ、どうして兄貴はあんなにも輝いているのだろう。


 体育祭の余韻冷めやらぬ中、制服に着替えて一斉に生徒が下校するさなか、後ろから、肩をがしっと抱かれた。

「岳斗、今日部活ないから、一緒に帰ろ!」

と、兄貴が。そして、そのまま肩を抱いて歩こうとする。キャー!という悲鳴が後ろから上がる。おいおい、ずいぶんたくさんのお連れ様がいるではないか。普段は部活で遅いし、流石にこんなに後ろにファンを侍らせて帰るわけではないだろうが、今日はずっと兄貴を見ていてその眩しさに当てられた者たちが、こうやって聖者の行進よろしくぞろぞろと後について来るのだ。

 兄貴と帰るのは別にいいけれど、こういうのは嫌だなあと思った俺。だが、兄貴に一人でこの聖者の行進をさせるのは忍びなく、また、嫌だと言っても結局同じところに帰るのだからと、諦めた。俺は、兄貴のなすがまま、肩を抱かれて帰途に就いたのだった。

 もう、聖者の行進だから仕方がない。俺は神に捕らわれた子羊である。

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