第9話 おでことおでこ

 翌朝、学校へ行こうとして、玄関に兄貴の靴があるのを見て驚いた。

「母さん、海斗は?学校行ってないの?」

俺が驚いて母さんに訪ねると、

「そうなのよー。熱があるんだって。」

だそうだ。兄貴が病気になるなんて、ずいぶん久しぶりだ。

 昨日は顔も見たくないと言っておきながら、俺は一晩眠ってすっきりしていた。言いたいことを言ったからか。まあ、兄弟喧嘩なんてそんなもんでしょ。だから、また兄貴の心配なんぞしているのだ。昨日は頭に来たけれど、萌ちゃんの事は好きじゃなくなっても、兄貴の事を本当に嫌いになったりはしないものだ。

 学校に行くと、まず朝一番に、朝練を終えて来た笠原から聞かれた。

「岳斗、海斗さんが朝練に来てなかったんだけど、寝坊したのか?それとも具合でも悪いのか?」

「ああ、なんか熱があるらしいよ。だから今日は学校も休んでるよ。」

この時はまだ事の重大さを認識していなかった俺。一時間目が終わると、俺たちの教室にどっと人が、とくに女子が押し寄せて来た。

「ねえ、今日お兄さんはどうしたの?何があったの?」

と、俺は何十人もの人に取り囲まれた。

「え、え?えーと、兄は今日は熱があって、お休み、です!」

と言うと、

「えー、大変!お見舞いに行かなきゃー。」

「しんぱーい!お花買って行こうか。」

「それより、スポーツドリンクとかの方がいいんじゃなーい?」

などなど、ざわざわざわ。まさか、この人達みんなでうちに来るつもりじゃないだろうな。みなさん、うちを知っているのだろうか?はっ、俺が帰る時に、一緒に来るつもりじゃ?

 そうして放課後、俺は誰にも見つからないように、まるで忍者のように隠れながら、ダッシュで帰った。しんどい。後で友達から、先輩たちがお前を探していたぞとSNSで知らされた。危なかった。


 家に帰って来ると、母さんがご飯の支度をしていた。

「ただいま。母さん、海斗はどう?」

と声をかけた。

「おかえりー。海斗ね、さっきは眠っていたけど、まだ熱は高いみたいだったわよ。今はどうかしら。ちょっと様子見てきてくれる?」

と言われた。俺は二階へ行き、兄貴の部屋のドアをそっと開けた。兄貴はベッドの中で布団をちゃんと掛けて寝ていた。目を閉じていたので、眠っていると思ったが、俺が部屋に入ると、

「おかえり。」

と兄貴が言ったので驚いた。

「あ、起きてたの?ただいま。気分はどう?」

俺が近づいて枕元に座ると、兄貴は目を開けた。

「岳斗、昨日はごめん。俺、お前の気持ち考えてなくて。」

兄貴は、目に涙をためていた。

「海斗、泣いてるの?」

俺が尋ねると、

「だって、お前が俺とは口利きたくない、顔も見たくないって言うから。」

兄貴の目から涙が一筋流れた。俺は驚いた。確かに昨日は怒って怒鳴りつけたけど、まさかこんなに兄貴を悲しませたとは思いもよらなかった。

「ごめん、言いすぎたよ。」

俺は兄貴のおでこに手をやった。確かにまだおでこは熱い。

「岳斗、ごめん、ごめんな。」

兄貴は、おでこにあった俺の手を両手で掴んで、涙を流しながらそう言って謝った。

「もういいよ。もう怒ってないから。」

俺がそう言うと、

「本当か?許してくれるのか?」

と俺の顔を見上げた。

「ああ。」

「俺の事、嫌いになってない?」

「ああ、嫌いになってないよ。」

「ホント?俺の事、好きか?」

「ああ、好きだよって、何言わすんだよ。」

俺は苦笑いをした。兄貴は自分の両手で今度は自分の両目をこすり、にこっと笑ったかと思うと、俺の頭をいきなりその両手で抱き寄せた。

「あわわ!」

兄貴は俺の頭を自分の胸に抱き、

「ありがとう、岳斗!俺、岳斗の事、だーい好きだよ!」

子どもの喧嘩じゃないんだから、このやり取りはなんだ、兄弟で好きとか嫌いとか気持ち悪い。でも、ちょっとだけ嬉しい。俺の事が憎くてやったのではないようだ。兄貴は俺の事が好き、それが分かっただけでもまあいいか。

 兄貴は少し元気になって、夕飯には下へ降りてきて、ご飯を食べた。その後、しばらくそれぞれ部屋で過ごし、俺がお風呂に入った後、母さんからまた兄貴の様子を見てくれと言われ、兄貴の部屋を訪ねた。

「海斗、入るよ。」

俺が入ると、兄貴はベッドの上に座ってスマホを見ていた。

「熱はどう?下がった?」

俺は兄貴のおでこに手を当てた。ん?ちょっと温かいかな?自分のおでこにも手を当ててみる。ああ、自分も温かいか。どっちが温かいかな。

 分からないので、俺は自分のおでこを直接兄貴のおでこに付けた。すると兄貴が、

「うわっ!」

と言って飛びのいた。びっくりした。熱があるかどうか分からなかった。

「なんだよ、熱、分かんないじゃん。」

兄貴は目をまん丸くしている。壁際に引っ込んでしまったので、仕方なく俺はベッドに手をつき、屈みこんでもう一度おでこを付けた。今度はじっとしていてくれるようだ。うん、熱はもう下がったようだ。

 おでこを離したら、兄貴のマジな目が俺を捕らえた。まだ手に体重が乗っていたので、思わずそこで止まった。なんか、こんなに近くで兄貴の顔を見たのがすっごく久しぶりだったので、こうやってまじまじと見ると・・・目が綺麗過ぎる。兄貴がマジな顔をしているから、余計に綺麗過ぎる・・・。

「ね、熱は下がったようだなっ。」

俺はぱっと立ち上がった。あれ、俺なんでドギマギしてんだろ。ちらっと兄貴の顔を見ると、まだマジな顔をして、何かを考え込んでいる様子。

「海斗?」

「あ?何?」

「何考えてんの?」

「え?いや、別に。」

はあ、兄貴は綺麗な顔してて、いいなあ。うらやましい。そんなマジな顔を見たら、女子たちはどんなに悲鳴を上げることだろうか。迂闊に見せてはいけないものだな、うん。


 かくして俺たちは無事に仲直りしたのであった。兄貴はすっかり熱も下がり、また翌朝から元気よく学校へ通ったのであった。めでたしめでたし。俺の恋は終わったけれど!

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