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「まぁでも、読者の期待には応えないといけないからね。さっきの答えはきれいすぎたよ」

 井乃原衛は肩をすくめてみせる。

「そういう感想を別の軌道でもらってね。だから改めて考えてみなくちゃ」

 井乃原衛は苦笑している。

「なんというか、読者に期待に応える、ということは作者が本心から思っていなくても、読者がそうと思えるような、納得できるようなことでなければならない、ということだね」

「作者の思いに関わらず」

「そうだ。だからたとえ作者がフィクションとその効果に対して疑問を持っていたとしても、だからこそそういう部分を信じようとしなければもう書けなくなっている、きっとそのことを描かなければ回答として納得してもらえない。読者を説得することができない、そういうことなんだろう」

「それはなんだか寂しくないですか?」

「何が寂しいものか。読者に対して正直で、まっとうであるということがどれほど難しいのか――これほど挑戦しがいのあることは他にはないよ」

「でもそれでは、作者は決して読者に理解されることはない、ということなのでは?」

「いや、それは問題の設定から間違っている。もう、ボクはさっき小説は読者に本音を伝えるためのツールではない、と言ったじゃないか」

「では――小説はあなたにとって、どういうツールなんですか?」

「いま自分が直面している問題に対して回答を得るためのツールさ。小説をひとつ書き上げることでどうにかボクは成長することができる。いま遭遇している人生の問題に対してボクは小説の執筆を通し、解決策を模索することで、救いのない虚無しかないこの世界をどうにか生き延びることができるんだ」

 これがきっとボクの中でギリギリ残ったフィクションの価値なんだよ、と井乃原衛は言った。

 ぼくは思わずふきだした。なんだそれは――それではまるで、まるっきりぼくたちと変わらないじゃないか。

 突然笑い出したぼくに、憮然とした表情で井乃原衛が問う。

「笑うところではないだろう。何がそんなにおかしかったかね?」

「いや――そういうわけではないんです。そうじゃなくって……」

 じゃあなぜ、と井乃原衛はぼくの反応を待っている。

「もうご存知だとは思いますが、ぼくは人間じゃないんです。検索代行者というネットワーク上に走る一種のアルゴリズムなんですよ」

「この軌道と呼ばれる世界で」

「はい。ぼくは、ぼくたちは言うなれば、いま生成されつつあるテクストなんですよ。いまはこの軌道では、ぼくが検索対象たるあなたに自分がいったいどういう存在なのか説明している、そういうシーンとして描写されています」

「ふむ、それが先ほどの笑いに、いったいどうつながるのかな?」

 実に興味深そうに井乃原衛は続きを促す。

「検索代行者は代行者というだけあって、依頼人クライアントからの検索を代行する役割を持ちます。検索とは問いがあり、その回答を調べるわけですね。ぼくたちは依頼人から提示された問題を代行して調べるわけです。では、どうやって調べるのか――」

「ここで調べるのか」

「はい。軌道ここがぼくたちの仕事場です。まず検索対象のライフログを元にネットワーク上に、かつてそうあったはずの世界を構築します。その世界を舞台に、検索代行者と検索対象者を両輪に、推進力として問いかけることを中心にした小説を生成します」

 もちろん、ここでいう検索対象者は井乃原衛だ。

「ライフログに書き残されたあらゆるテキストデータ、その順列組み合わせの果ての果て、それがこの世界です。ひとつひとつの言葉が、相互に影響しあってひとつとして同じ小説が生成されることはありません。同様に出力のたびに得られる回答も変化します。そのため、試行は幾度となく行われる、ようです」

「ようです?」

「ぼくは、今回の、この軌道が何万回も繰り返される試行の、そのうちのひとつであることは知っていますが、いったい何回目なのかは知らないのです」

 本隊とのつながりが回復したとはいえ、そのことはぼくには開示されない情報なのだ。井乃原衛がこの世界が軌道であることを知っていたことと同様に。

「井乃原さん、ぼくたちは小説という形式を通して、依頼人に提示された問題の回答を得る、そのために用意された検索代行者エージェントです。小説生成を通して得られた回答――問題の解決策、それが描かれたであろう小説を依頼人が読むことで、任務は完了となるんです。――ほら、つながったでしょう、一緒じゃないですか、ぼくの役割と、井乃原さんにとっての小説が」

 なるほどね、と井乃原衛はうなずく。

「それで君の目的は終わったのかな?」

「はい」

 そうだ――目的は達成された。

 ぼくは検索代行者として井乃原衛に問いかけ、回答を得たのだ。

 謝辞を告げ、ソファから立ち上がる。

「じゃあ入部はなしか、君ならさっきの設定でおもしろい小説を書けそうなんだがな」

 と井乃原衛は律儀に慰留してくれる。

「そういえば、ボクは君の名前を訊いていないような気がするんだが?」

 井乃原衛が苦笑し右手を差し出す。

 その手を握り返し、ぼくは応える。

「川口です、川口健伍かわぐちけんご。――じゃあ、また来ます」

 原則としてぼくは、ぼくたちは依頼人の名前を名乗ることになっている。

「じゃあ、また」

 井乃原衛はぼくの応答に、満足そうに笑った。

 振り向くと、最初から変わらずそこにあったように、扉がぼくを待ち受けていた。

 その扉を開くと、ぼくは光に包まれた。

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