第3話 世界の奇病

「ねえジョン、どうしたの?暗い顔して」


ドアを開けるとリリーがすぐに走り寄ってきた。リリーは看護師の補佐、メディカルテクニシャンとしてナース達の下で働いている。派手にブロンドに染めた髪をアップにして、爪を真っ赤に染めていた。あんなに長い爪で注射をされる患者を気の毒に思った。


リリーとはもともと遊びだったので、妻と揉めてからは出来る限り会うのを避けていた。


大人のお互いに理解した情事だと思っていた。しかしリリーは違う意見だったらしい。ベッドでのリリーは外見と全く同じく激しく情熱的だった。問題は行為の後からだ。


 「もう離れたくない」と言い出した。ジョンはぎょっとしたけれど、冷静を装って「どういう意味?」と聞いた。


 「はあ?何言ってるのよ?私たちやっと心も体も1つになったのよ。どういう意味か分かってるでしょう?あなたに夢中ってこと」と火照った体を寄せ、足を絡めてきた。たった今終わったばかりの行為の後で汗ばんだ体を押し付けられてジョンは突き飛ばしたい気持ちになった。


面倒くさい女かもしれないと思ったものの、リリーの魅力に負け、それからも何度も逢瀬を重ねてしまっていた。



、「本当に顔色悪いわよ」本気で心配そうに顔を見つめるリリーに


 「まあ、いろいろあってね」と答える。


 「つれないわよね、別居したって聞いたわよ。だったら、もうなにも私たちの間に障害はないじゃない?何回も電話したのよ。ねえ今晩いつものBarに行かない?そのあとうちに寄る?」


 リリーの緑色の目はキラキラと光り怪しく濡れていた。


「少し気になることがあるんだ。ああ、そう明日以降検査をするから、その後でまたではどう?」


「明日以降?さあ、もう用事があるかもね。でも電話してみて?私ね、結構しつこいのよ、ジョン 私本気なんだから、あなたのこと。距離を置こうとしてたわよね、見え見えよ。でも奥さん、帰ってこないんじゃないかしらね?これからもっと頻繁に会えると思うと嬉しいわ」ウインクをして、形の良いヒップを揺らしながら歩き去った。


 「ふん、何が本気だ。リリーと寝ていない医者はここにはいないと言われているのを知っているぞ。もちろん女医とも。ビッチめ」ため息とともに悪態をつく。


リリーは確かに素晴らしく魅力的な女だった。ウエーブをつけた長い髪に大きく胸元をあけたブラウス。締まった足首。 妻を愛してはいたが、魔が差したとしか言いようがない。まあ、妻は別居中だし、もう少しお楽しみが続いてもいいだろう。


リリーの豊満なボディーを思いニヤッと笑いかけたが、どうにも針のことが頭から離れない。




*******



その日仕事は殆ど身に入らなかった。 


トーランスからローンデール近辺の病院で医療器具のカタログを持ち営業をしたが、やる気も出ず、それはすぐに結果として現れた。


トーランス病院へ戻り駐車場に車を止めてネクタイを緩め休憩することにした。途中ドライブスルーで買ったソイミルク入りのラテとトルティアスキンで巻いたベジタブルラップをほおばりながらノートパソコンを取り出し検索した。


「世界の奇病」


「体から針が出る」


「針金がはえてくる奇病」



検索ワードを変えながら次々と読んでいく。


―2005年にはパキスタンのラホールの少女が体中に痛みを覚え、病院に行った所皮下にある針を発見。手術で除去するも、その後も針が出続けて医師を悩ませているという。また、1994年にはブラジルにて少女の体から針が出るという事例が報告されている―


どれほど信ぴょう性があるかわからないが、記事はたくさんあった。


―ラホールの事例に関して、医学的には説明が付かないとして現地では呪いや黒魔術の影響ではないかとする見方もある。彼女は身体の各所に頻繁に痛みを感じるようになり、病院に行く度、痛みを感じる箇所から針が発見されるようになったのである。この謎の現象に対し、医師は全く原因が掴めないまま、これまで少なくとも100本以上の針をサイマさんの前頭部、顎部、背中や腕などから手術で取り除いているという。彼女の治療を続けるマスード・シャヒム医師はこの現象に対し、現在の医学では何ら解答を得ることが出来ない、と話している―



 エアコンが効いているはずの車内だが、じっとりとワイシャツが汗ばんで背中にくっついてきた。


つい最近ガーナでも発見されたらしい。


―人間の体内に針が存在する事などあり得ない。医師は外科手術でこれらの針を撤去しようと考えている。レントゲンで確認できただけでも数千はあったため、手術は大がかりなものになると見られている。皮膚直下にも針が存在している事が確認できたため、磁石を体に付けてみたところ、18本の針が出てきた―



 急に食欲をなくし、ベジタブルラップは半分残した紙のバッグに戻した。



―インドのパテフール小さな町出身のアヌシュヤ・デイビー(Anusuiya Devi)という女性は、足の膝から下の部分から針や釘などが持続的に出てくる。そのせいで彼女の足はへこんだ傷だらけになり、深刻な痛みで歩くこともできない。

しかし、医師が審査して、X線を撮ってみた結果、アヌシュヤがわざと足に針を入れたと推測した。その中の一人のラッシュ・ビシャルは、人間の体の中で針や釘が作られることは絶対にあり得ないことだと断言した―


 「ピーターもそう言うだろうな。俺が自分で入れたと。精神科を進められるかもしれないな」


インドネシアのノールシャイガのケースではなんと針金だという。



―医師は血液検CTスキャン、レントゲンなどによっての検査を行ったが、針金が生えてくる原因や体内になぜ針金があるのかといった原因は不明のまま。わかったことは、40本ほどの針金が体内にあり、そのうちの数本が腹部から飛び出そうと準備していることだけだった。その後4人の医者に診てもらったものの、いずれも原因はわからず―



遠く日本でも発見されている。


―うめの容態は身体中あちこちがひどく痛いと云って甚だ苦しむ様子だ。そこで母が痛むところを撫でていると、乳の下の皮と肉の間に針があり、皮を突き破って出てきたので爪で引き抜いた。同じように頭から1本、膝から2本、女性器から3本、いずれも錆も無い絹糸針が出てきた。この他にも針が見つかりましたが場所が難しい所なので治療できず仕方なくそのままにしていた―

次々に単語を入れ替え検索を続けていった。


(原因不明)


(黒魔術)



世界中に症例があった。


「冗談じゃない、そんなことがあってたまるか」そう思いながらも恨まれるとするとリリーしか考えられない。本気になるような女ではなかった。リリーはいかにも冗談で呪いをかけそうなタイプだなと考えた。LAのダウンタウンの占いの館に行きたいと言っていたこともあった。


『ねえ、ジョン私達って運命で結ばれているのよ、ディストニーだと思わない?』


あの日の舌足らずの声が甘ったるい香水と主に蘇ってきた。


もし仮に針が出てくる症状が黒魔術や呪いのたぐいだとしたらリリー以外考えられなかった。数多くの浮気相手は相手もそのつもりの大人の関係だったはずだ。


リリーは何回も何回もテキストメッセージを送ってきた。セクシーなというのはあまりにもどぎつい写真を送ってきたこともある。粘着質なリリーのことを甘く見ていたのかもしれない。距離を置いたとたんに呪いをかける?リリーならそれもあり得そうな気がした。


 妻ケイトも俺を恨んでいるはずだ。しかし自分よりも現実主義者のような妻がそんなことをするわけはない。


「それによく考えてみろ。黒魔術だと?そんなものあるわけがない。だとしたらこれは一体何なんだ?」小さくつぶやきノートパソコンを閉じたその瞬間


 またしても、あの激しい痛みがジョンを襲った。


「う、うわあ。くそ!勘弁してくれ!」今度はわき腹だ。すぐにシャツをめくると朝より太い針が柔らかいわき腹を内側から押し上げているところだった。ゆっくりと皮膚が盛り上がってくる。


 腕どころではない激痛だ。 


「やめてくれ!」あまりの痛みに顔が真っ赤になり汗が吹き出した。めまいが襲ってくる。 うめきながら、なんとかスマホを拾い上げる。腹を押さえながら震える指でピーターの番号を押した。


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