戸馳誠司は筋肉に命令して笑顔を作った

「じゃあ、寄り合いすっぺか」


 なまりを含んだ声で発言したのは、アラハバキ商店街最年長の積杉つみすぎ諸持しょもつだ。本屋「積杉書店」を経営している。


 土曜の夜、商店街の馴染みで集まり酒を飲むことを、彼らは寄り合いと呼んでいた。一応、眉間にシワなど寄せて商店街の今後を憂いたりもする。一応、仕事のつもりなのである。

 集まった店主たちは概ね四十代から五十代。居酒屋の座敷に集まった男衆の中に、一人だけ女性がいた。


「最近、少しだけ売上がいいのよね」


 精肉店「ハートビート」の三代目であるにくばやしささみは生ビールを飲み干し、ターンと強くちゃぶ台に叩きつけた。ご機嫌である。


「うちはダメだ。このままじゃ潰れちまう」


 嘆いたのはからとおる。ブティック「ハイセンス」の店主だ。ここ数年、毎週のように潰れちまう、もうダメだと言っているせいで、誰も同情はしていない。若者が少ない町で、しかもブティックを名乗る時点で経営センスが無いと言わざるを得ない。


「服と一緒に、魚を売ったらどうだべ」


 米屋のいなますが、実に無責任なことを言った。米の産地ということもあり、三代目の店長となる「まいフレンド」の経営は基本的には安定している。


「いつも言ってんだろ。匂いがひっついちまうよ、くせえ魚の匂いが服によ」

「うちだって、手前んとこみてえなだっせえブテックに魚を下ろすわけねえべ」


 ブティックをブテックと発音したのは、魚屋「しんかいぎょ」の鱗骨うろこつ勝男かつおである。お互いに60歳は越えているが、昔から相性が悪いことで知られていた。理由は誰も知らない。というより誰も興味がなかった。


「そういや、まだトルコと酒屋が来てねえな」


 積杉が2杯目のウーロンハイに少し舌をとられながら、赤い目で言った。高齢ということもありアルコールに弱くなっている。


「積杉さん、今はトルコって言っちゃあなんねえ。ソープランドだ」


 葉空佐が暗い顔で忠告をした。


「なんでだ」

「外国で風俗店のことを『ジャパン』って呼んでたら、やだべ?」

「まあ、んだな」

「いやー遅くなりました、もう皆さんお揃いで」


 背広姿の若い男が入ってきた。最近ソープランド「モーミング娘、」の店長に就任した、戸馳とばせせいは店員に生ビールを注文して席に着く。


「いやー、なかなか帰ってくれないお客さんがいまして」

「どんな奴だ?」


 田舎町は狭い。特徴を言えば個人の特定は容易いが、そこまで個人の情報を漏らしていいものではない。


「どんな人かは置いておくとしまして、皆さんはもう結構飲まれてる感じですか?」

「んにゃ、まだ2杯目だっぺ。全然飲んでねえべ。おめえさん、そろそろ東京が恋しくなったんじゃねえか?」


 鱗骨が売れ残ったの魚のような目で答えた。実はもうしこたま飲んでおり、泥酔の一歩手前だ。


「そんなことないですよ。ここはいい町です。そういえば、こんな噂を耳にしたのですが。みなさんご存知かなと」


 戸馳は周囲を見渡し、あくまで噂ですよと声を潜める。


「なんでも、大型ショッピングセンターが渡稲歌町にできるとか」

「そういう噂は定期的に出てくるわね、フハッ!」


 肉林が馬刺しを2枚つかみ、口に運びながら笑った。他に応じるものがいないところを見ると、今までこの噂が出ては立ち消えていたようだ。


「だいたい場所がねえべや、ガハハ!」

「来るとしたら採算に見合うってことだべ」

「どこが来るってのも具体的に言われねえからな」

「ああ、ララポットとか超急とか言われりゃあともかくな」

「このいなまちには、我々アラハバキ商店街で十分だべ、ガハハ!」


 程よく酔ったのと泥酔寸前のとがそれぞれに勝手なことを言い、戸馳は若干不安を覚えた。もし本当にそんなものが来たら自分たちの店は無くなるということを理解しているのだろうか。


「で、その噂はその遅くまでいた客が言ってたのか?」


 急に話しかけられ、戸馳は咳き込んだ。葉空佐の暗い目が戸馳を無遠慮に見つめる。どうにもこのおっさんは苦手だと自覚した。何しろ全てに疑いを持ってかかる。世の中にも、冗談にも、自分の人生にも。


「まあ、それはそうですね」


 葉空佐の顔を見ずに戸馳は答えた。あんただって隠し事の一つや二つあるだろうと言ってやりたくなる。少しだけうなじの毛が逆立ったところへ、最後の一人、酒屋「しゅらんどう」の酎條ちゅうじょう勘三かんぞうがやってきた。

 普段はにこやかな酎條の表情が暗い。随分と酔ってきた商店街の面々が、思わず軽口を叩いた。


「お、酒屋どうした。パチンコで負けたか」

「五百億兆ドルは5の付く日以外は出ねえって」

「あそこの店長、渡稲歌町の出身らしいわよ」


 わやわやと勝手に騒いでいると、酎條がなにやら沈痛な声で言った。


「まあ、それもある。パチンコ負けたのもある。だけど、もっと良くない知らせがあるんだ」


 座が静まった。それほどに真面目な声色だったのだ。


「この町にな……」


 一同が固唾を飲み、次の言葉を待つ。すると酎條は表情と声色を一変させ、急に下唇を突き出しておどけた。


「ま〜たこの町にショッピングセンターができるってよ〜! 何件目だよワハハハ!」


 炸裂したような笑いが座敷に満ちる。


「ほんと勘三っつあんは商店街一のひょうきん者だべ!」

「ほら飲んで飲んで! 肝臓破裂させて!」

「永遠だっつの! アラハバキ商店街は!」


 高らかな笑いに包まれながら自分も笑いの表情をこしらえた戸馳は、本当に大丈夫なのかこの町はと軽く頭を掻いた。

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