第5話

 街の中心部に踏み込めば、祝祭は一層盛り上がりを見せていた。


 海が近いこともあって、屋台に並ぶ食事は魚介類を用いたものが多い。螺鈿細工のアクセサリーや貝殻を使った雑貨が並んでいたりもして、まるで異国に来たかのような目新しさだ。

 

 ケイリーお兄様は何かと私とウィルに買い与えてくれて、あっという間にお腹が満たされてしまった。私をもてなそうとしてくださる気持ちは言葉通り嘘ではなかったらしい。


 ドレスよりもずっと楽な深い紺色のワンピースを纏っているとはいえ、これ以上食べたら動けなくなってしまいそうだ。

 

「それだけでいいのかい? 遠慮しなくていいんだよ? 二人とも」


 新たな魚介料理を勧めてこようとするケイリーお兄様は、けろりとしたお顔をなさっていた。彼も私同様かなり食べたと思うのだが、大したものだ。


 これが男女の差だろうか、と思ったが、私の隣で必死にケイリーお兄様の申し出を断ろうとしているウィルを見ると、ケイリーお兄様がおかしいだけなのだと悟った。


「ケイリーお兄様、もうお腹は一杯です。今度は思い出に残るような雑貨が見てみたいですわ!」


 ウィルに助け舟を出すように提案をすれば、ケイリーお兄様は快諾してくださった。


「そういうことなら、こっちの道へ行こう。雑貨や、女の子たちに人気のアクセサリーなんかがあるはずだ」


「まあ、是非連れて行ってくださいまし!」


 食べ物から離れるための口実だったが、ミラー伯爵領の独特な趣のアクセサリーや雑貨に興味があるのは事実だった。お父様やルシア様へのお土産になるようなものがあれば尚よい。


 私はケイリーお兄様の手に導かれるようにして、食べ物の並ぶ通りから一本外れた道に踏み込んだ。中心部のような賑わいはないが、恋人たちが寄り添って歩いていたり、波の音がさらさらと聞こえてくる心地の良い通りだった。


 そこで私は、王都で待つ大切な人たちへのお土産を見繕った。お父様には螺鈿の飾りがついた品の良い小箱を、ルシア様には珊瑚を使った可愛らしい置物を贈ることにしたのだ。荷物はウィルが持ってくれた。


 お義兄様たちとは随分前に離れてしまったが、落ち合う約束をしているので問題はないだろう。お義兄様の視界から完全に離れてしまったことについては、後から理不尽なお叱りを受けそうな気もするが、過保護な彼の心配は甘んじて受け入れようと決めていた。


「ああ、そうだ、巡礼のお祭りと言ったら、これが有名だよ」


 ケイリーお兄様は小さな露店の前で足を止めると、陽の光にきらきらと光る飾り紐を手にした。紐の先端には爪の大きさほどの貝殻が付いていて、とても可愛らしい。


「祈りの飾り紐……というと何だか堅苦しいかもしれないけど、要は大切な人に願いを込めて贈るんだ。あなたが健康でありますように、とか、ずっとあなたの傍にいられますように、とか、願いは何だっていいんだけどね」


「随分と沢山の色が揃っているのですね」


 飾り紐と貝殻の色は無数にあり、組み合わせもさまざまであるために、一つとして同じものは無いように見えた。見ているだけでも楽しくなってしまう。


「贈る相手の好きな色とか、瞳の色をイメージして贈ることが多いからね。出来るだけ色を揃えているんだよ」


「それは素敵ですね。選ぶだけでわくわくしてしまいます」


 飾り紐はともかくとして、小さな貝殻にも実に様々な色があることには驚いてしまった。どれも人工的に着色された形跡はなく、淡く美しい色合いの貝殻だ。


「折角だから婚約者殿に買って行こうかな。ああ、でも彼女の美しい瞳と髪の色を表せる色があるだろうか……」


 ケイリーお兄様はさりげなく惚気ながらも、飾り紐を吟味し始める。何でもないことのように言ってのけたが、衝撃を受けるには充分だった。


「……ケイリーお兄様、ご婚約者様がいらっしゃったのですか?」


「あれ、言ってなかったっけ? 去年くらいに持ち上がった縁談でね……それはもう可愛い人なんだ! 彼女は蜂蜜色の髪に、空色の瞳の美少女なんだけど……ちょうどいい色があるかなあ」


 心の底から楽しそうに飾り紐を選ぶケイリーお兄様を見ていると、次第に驚きも薄れてきて、思わずこちらも頬を緩めてしまった。

 

 ケイリーお兄様に婚約者が出来たという話は初耳だが、思えばケイリーお兄様ももうすぐ20歳になろうかという年頃なのだ。貴族の婚約話が持ち上がる段階としてはむしろ遅いくらいなのかもしれない。


「ふふ、私もお手伝いいたしましょうか?」


 これだけたくさんの色が合ったら大変だろう、そう思い、言い出したことだったが、ケイリーお兄様にしては珍しく首を横に振った。


「折角だから、自分の手で選ぶよ。エルもウィルも、誰か大切な人に贈ってみたらどうだ?」


 そう言って飾り紐に意識を集中させるケイリーお兄様を前に、私とウィルは顔を見合わせた。ウィルの橙色の瞳がどこか戸惑うように揺れている。


「……エレノア様、お探しになったら如何ですか? まあ、銀と紺碧の飾り紐は珍しそうなので、見つかるか分かりませんが……」


「銀と紺碧?」


 思わずウィルの言葉を復唱するように小首をかしげてしまったが、その色合いでぱっと思い浮かぶ人物はただ一人だ。言うまでもなく、お義兄様である。


「っ……べ、別に、私とお義兄様はそういう関係では……」


 たった三日しか共に過ごしていないウィルにも、私とお義兄様の親密さは見抜かれているのか。その事実に頬が熱を帯びるのを感じた。


「そういう関係?」


 今度はウィルが首をかしげる番だった。「狂愛のスノードロップ」に登場するヤンデレの中では随一の可愛さを誇るだけあって、私より年上なはずなのに、こんな仕草も様になる。多分、人の目には私より愛らしく映るはずだ。


 しかし、これは墓穴を掘ったのではなかろうか。ウィルはきっと、私とお義兄様を普通の義兄妹として仲が良いと言ってくれていたのだろうが、私がお義兄様を変に意識しているせいで勘違いをしてしまった。


「ああ、そう言えば、エレノア様とルーク様は本当の兄妹ではないのでしたね。へえ……そうなんですか」


 どこか面白がるように私を見つめるウィルから、思わず顔を逸らしてしまう。ケイリーお兄様なら流されてくれたところだと思うのだが、ウィルはなかなか勘が鋭いらしい。


 だが、やられっぱなしになるわけにもいかない。一呼吸着いて再びウィルに向き直ると、私はずい、と彼との距離を詰めて、悪役令嬢らしい含みのある笑みを見せた。


「ふふ……そういうあなたこそ、苺色と紫の飾り紐を見つけなくてもいいのかしら? 何なら、手伝って差し上げてもよろしくってよ」


 苺色と紫。言うまでもなく、リリアーナのストロベリーブロンドの髪と薄紫の瞳を指しての言葉である。


 感情が表情に出やすいウィルらしく、彼は僅かに頬を染めて大袈裟なくらいの動揺を見せた。


「なっ……僕は、そんな……」


「うふふ、リリアーナと私の瞳の色はほとんど同じでしょうから、参考にしてもいいのよ? もっとも、あなたの目にはリリアーナの瞳の方が余程美しく映っているのでしょうけれど」


 ケイリーお兄様には聞こえないように、内緒話をする近さで囁けば、ウィルがどこか悔し気に橙色の瞳を揺らした。


「……そんなに、僕らは分かりやすいですか」


 私から顔を背けたまま、ウィルは声を絞り出す。ちょっぴりしてやったりな気持ちだ。


「あなたの様子を見ていたら、ぴんと来てしまったわ。リリとお義兄様が一緒にいるだけで、あんなに嫉妬を露わにしていたらね……。まあ、私がその手の感情に敏感だって言うのは大きいのかもしれないけれど」


 ヤンデレと病みの気配を察知する能力に関しては、そうそう私の右に出る者はいないはずだ。私の唯一と言ってもいい特技かもしれない。


 もっとも、そのおかげで、お義兄様が私に向ける感情が日々重くなっていっている気配を、まざまざと突き付けられているのだけれども。

 

「……旦那様や奥様には、どうか内緒にしていただけませんか」


 不意にウィルの声に覇気が感じられなくなったかと思えば、彼はあからさまにしょんぼりと肩を落としていた。


 少し、言いすぎただろうか。流石は悪役令嬢というべきか、ちょっと意地悪をすると想像以上の打撃を相手に与えてしまうのが、エレノアの見た目の良くないところだ。


 私は慌てて柔らかく笑って、軽くウィルの背中を叩いた。


「ええ、もちろんよ。ごめんなさい、ちょっぴり意地悪が過ぎたわね。きっとリリも白と橙色の飾り紐を用意するでしょうから、あなたがお返しの飾り紐を持っていなかったら困ると思って勧めただけなのよ。リリが悲しむ顔は見たくないから、あなたも早く選びましょ!」


 この返しは予想外だったのか、ウィルはしばらく驚いたように私を見ていた。


 だが、それもほんの僅かな間のことで、彼はやがてふっと安心するような笑顔を見せた。やっぱり、可愛らしいと言う表現が似合う青年だ。


「ありがとうございます。……エレノア様は、お優しいんですね」


 口調は変わらないが、先ほどよりいくらか親密な雰囲気を醸し出すウィルを前に、私も自然と頬が緩む。


「優しくはないと思うわ。自分の望みのために生きているだけだもの。今の望みはまさに、リリがあなたと幸せになってくれることね!」


「人はそれを優しいと言うのだと思いますよ」


「どうかしらね……」


 物は言いようだ。レインにも似たようなことを言われたが、みんなして、私がちょっと人の幸せを願うようなことを言っただけでこんな反応を示す。多分、不良が猫を拾っていたらそれだけでいい人に見えてきてしまう、あの理論と似たようなものなのだろう。

 

 私とウィルは改めて飾り紐の山に向き合って、互いの目的の色を探し始めることにした。お互いにお互いの求める色を理解しているので、さりげなく助言を出し合ったりする。


 ケイリーお兄様は少し離れたところで飾り紐を探しておられるため、こちらの会話が聞こえることは無さそうだ。


 この機会に、それとなくウィルの出自を探ってみることにした。リリアーナとウィルの物語をハッピーエンドに導くためには必要なことだ。


「……それにしても、あなたの髪の色も瞳の色も、とても珍しい色をしているわね。お父様かお母様から受け継いだの?」


 私は彼が孤児としてミラー伯爵家に拾われた事情を知っている以上、少々心苦しい質問だったが、自然に攻めるにはこの流れで行くしかない。さりげなさを装って、左手は飾り紐を探し続けた。


「もしかするとそうなのかもしれませんが、確かめようがありません。僕は、孤児なので。ミラー伯爵領の海辺で見つかったのですよ」


「そう、だったの……」


「発見された時の様子からして、恐らく船に乗っていた際に、なんらかの事故があって海に投げ出され、漂流したのではないかという話でした。旦那様や奥様は船の事故が無かったか調べてくださったのですが……結局手掛かりは見つからず、そのままミラー伯爵家にお世話になっている次第なのです。もしこれが本当ならば、奇跡みたいな話ですよね」


 ……海辺で見つかった少年、船、漂流。


 たった今語られたウィルの短い言葉をきっかけに、「狂愛のスノードロップ」にまつわる朧気な記憶が、少しだけ紐解かれたような気がする。


 そうだ、確かウィルは、ウィルの生家が経営する商会の貿易船に乗っていて、旅の途中、その船が賊に襲われたのだ。ウィルは攫われる最中で賊とも離れ離れになり、ミラー伯爵領の海辺に辿り着いた、というような筋書きだったような気がする。


 船自体が事故に遭ったわけではないから、ウィルの生家の商会に繋がる手掛かりを見つけられなかったのも無理はないのかもしれない。


 残念ながら肝心の商会の名前は思い出せないが、これだけでも大きな手掛かりだ。ウィルが拾われた十数年前の時点で、他国に向けて船を出せるような大きな商会は限られている。加えて賊に襲われたという事件を思い出せたのだから、時間をかければこれだけでも商会を絞り込めるかもしれない。


「あなたが奇跡と思っているのならば、良かったわ。……辛い過去かもしれないけれど、その奇跡があなたとリリを巡り会わせてくれたのね」


 二人の物語に対する展望が開けた嬉しさから、つい知ったような口を聞いてしまう。


 はっとして顔を上げれば、ウィルもまた、橙色の瞳を瞠って私を見ていた。


「この話をすると、大抵人は僕を憐れむのですが……」


 そこまで言って、ウィルはふっと楽しそうに頬を緩めた。リリアーナと一緒にいるときに見せるような、幸福そうな笑みだ。


「まさに、エレノア様の仰る通りです。神様とやらがいるのならば、僕はむしろ感謝しています。おかげで、リリアーナお嬢様に出会えたのですから」


 リリアーナの名を口にする瞬間のウィルは本当に幸せそうで、とてもじゃないが彼女との心中を考える青年には見えなかった。お互いがお互いを想い合っているのに、生を諦める選択肢しか取れないのはあまりにも悲しすぎる。


 やはり、何としてでもウィルの生家を特定して、二人をハッピーエンドに導かねばならない。


 一人そう意気込んだところで、ふと、ある飾り紐が指先に触れた。


 それは、まさにリリアーナのために作られたかのような、苺色の紐に紫色の貝殻が付いた、可憐な飾り紐だった。よりにもよって私がこれを見つけてしまうなんて。


「ウィル……これ」


 苦笑いと共にその飾り紐をウィルに差し出せば、彼は明らかに悔しそうな表情を可愛らしい顔立ちに浮かべた。


「いや……まだリリアーナ様に相応しい色が隠れているかもしれませんし」


 どうやら私にぴったりの色を見つけられたことが相当悔しかったようだ。多少ムキになって再び飾り紐の山と向き合う彼を微笑ましく思いながら、私も私で自分の目的の飾り紐探しに戻った。


 結局、似たような色を見つけることは出来たものの、私が見つけ出した飾り紐より相応しいものはなく、ウィルは散々迷った末に私の見つけた飾り紐を買うことになった。


 私も私で、銀糸の折り込まれた紺色の紐に、紺碧の貝殻の付いた飾り紐を見つけ、包んで貰った。想像以上にお義兄様にぴったりの色が見つかって嬉しい。飾り紐の包みを胸に抱えながら、満足感と少しの悪戯心から、一人微笑んでしまう。


 ……これがあれば、お義兄様の機嫌もちょっとは良くならないかしら?


 なんて、ほんの少しだけ打算的なことも考えたことは誰にも内緒だ。

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