第4話
それから三日後。
私たちロイル公爵家一行とミラー伯爵家は、午前の内に神殿で慎ましく儀式を済ませ、昼食をとるがてら、神殿のふもとで栄えるある街にやってきていた。
巡礼の季節には、私やお義兄様のように、領地外から多くの人がミラー伯爵領に訪れるため、普段は見かけない屋台などがずらりと並ぶ。おかげで、街はちょっとしたお祭り騒ぎと言った様子だった。
叔母様と伯爵は、「若者だけで楽しんでいらっしゃい」とだけ言い残して、先に屋敷にお戻りになってしまったため、今は私とお義兄様、ケイリーお兄様、リリアーナ、ウィル、レインの六人で街を回っている次第だ。もちろん、全員裕福な平民に扮した服装をしているし、遠巻きに私たちを見守ってくれる護衛もいるので安全には気を配っている。
それにしても、と私は同行者たちを改めて見つめた。
……このパーティーは、ちょっとばかりキャラが濃すぎるんじゃないかしら?
「狂愛のスノードロップ」におけるヤンデレその四の執事ウィルと、ヒロインその四のリリアーナ、ヤンデレその五のお義兄様、ヒロインその五のレイン、そして私は悪役令嬢。唯一役柄のないケイリーお兄様も、街を歩けば女性たちの目を引く端整なお顔をお持ちだ。
しかもこともあろうに、ウィルはお義兄様を警戒するように見つめてはリリアーナの傍を離れようとしないし、レインはお義兄様ではなく私にぴったりと付き添っている。お義兄様は、私が視界から外れるとあからさまに不機嫌そうなお顔をなさるし、その度に私は苦笑いを零す始末だ。
唯一、ミラー伯爵家兄妹だけが祭りを楽しもうと意気込んでいるが、彼らも彼らで人目を引いているだけに、問題だらけのパーティーとしか言いようがない。
……この面子で何も起こらないなんて、まずありえないわね。
思わず頭を抱えながら小さく溜息をつけば、きらきらとした眼差しで祭りの様子を眺めていたケイリーお兄様が、私の顔を覗き込んできた。
端整なお顔立ちであることに間違いはないのだが、ヤンデレに囲まれて過ごし、ヤンデレをこよなく愛する私としては、ケイリーお兄様の爽やかな笑顔は少々眩しすぎる。
いわゆる、光属性というやつだろうか。いい人だとは思うけれど、必要以上に近付き過ぎると疲れてしまいそうな気もする。
「折角の祝祭に溜息なんかついて、どうしたんだい、エル」
ケイリーお兄様の温かい手が私の頬を撫で、藍色の髪を耳にかけてくれた。それは恋人にするような、というよりは妹に向けるような慈しみのある仕草で、ある意味、このところのお義兄様よりよっぽど「兄」らしい仕草だった。
「いえ……私たち、何だか目立ってしまいそうだな、と思いまして」
嘘は言っていない。現に、こうして立ち止まって祭りを眺めているだけでも、道行く人々の視線を奪っている。
「それはそうだよ。ここには可愛いリリとエル、レインちゃんがいるんだから」
何ともケイリーお兄様らしい発言だ。レインにまでしっかり言及するところには恐れ入った。こんな調子だから、王都を歩く度に、女性に付きまとわれるのではないだろうか。
「だから、今日は僕らが君たちの騎士だね」
ケイリーお兄様は眩しい笑顔でそう言ったかと思うと、私の左手を取り、指先に口付けようとした。
……まずい、これはまたお義兄様に叱られてしまうわ。
咄嗟にそれを悟った私は、無礼を承知でケイリーお兄様から手を引こうとしたのだが、それよりも早く、横から伸びてきた冷たい手がそっと私の手を包み込んだ。
「……ケイリー殿、エルはこの間怪我をしたばかりなので、そのようなことはお控えいただけると幸いです」
僅かに微笑んではいるが、明らかに牽制するような眼差しでケイリーお兄様を見つめるお義兄様に、何だかはらはらしてしまう。ケイリーお兄様には到底分からないだろうが、お義兄様は既に怒っていると言ってもいいだろう。
だが、ケイリーお兄様独特の天然っぷりがいかんなく発揮されているのか、彼はやっぱり眩しい笑顔を浮かべて、お義兄様の肩をとんとんと叩いた。
「ケイリー殿、だなんてよそよそしいなあ。たしかに僕らは血は繋がっていないけど、エルの義兄ということは、君は僕の従弟と言ってもいいわけだろう? 呼び捨てにしてくれて構わない。僕もルークと呼ばせてもらうから」
ケイリーお兄様の嫌味のない眩しい笑顔を前に、お義兄様は、無理矢理浮かべていたであろう微笑みを僅かに引きつらせていたが、ケイリーお兄様は気づかないようだった。
やがて、ケイリーお兄様は壊れ物に触れるような手つきで私の手を取ると、にこりと私に微笑みかける。
「久しぶりに会えたんだ。祝祭をエスコートする名誉は僕にくれるかな、エル」
恐らくケイリーお兄様は、本当に従妹との再会を喜んでくださっていて、滅多にない機会だから、私の手を引いて歩きたいと言ってくださっているのだろう。
数年ぶりに会ったことを思えばある意味自然なことであるし、本来ならば断わる理由もないのだが、横から刺さるお義兄様の視線が痛い。何も仰っていないのに「分かっているよな?」と圧力をかけられている気がする。
これには一も二もなく、従うほかない。お義兄様とレイン、そして私の関係に迷いが生じ始めているこのところだが、お義兄様の圧力の前では、事を荒立てないためにもお義兄様に従った方が賢明だ。
「あの……とても嬉しいのですけれど、私のエスコートはいつもルークお義兄様と決まっているのです」
やんわりと断ろうとするも、私の手を取るケイリーお兄様が引く様子はない。むしろ楽しそうな笑顔を見せて、私を引き寄せる勢いで畳みかけてきた。
「それは王都での話だろう? たまにはエルと歩きたいな……」
ケイリーお兄様は私の肩を抱くようにして引き寄せると、くるりとお義兄様に向き直った。その拍子にお義兄様の紺碧の瞳と目が合ってしまうが、温度を感じさせない鋭い眼差しをなさっていた。
「そして、ルーク! 君はどうか、僕の可愛いリリをエスコートしてやってくれないか? 頼むよ!」
ケイリーお兄様は、意外と押しが強い方らしい。
お義兄様はと言えば、必死に取り繕っていたであろう僅かな微笑みも崩れ始めて、いつもの無表情に戻り始めている。この調子では、祝祭が終わるころには、怒りに翳った瞳をなさっていてもおかしくない。
これは何とかしてケイリーお兄様の提案を拒絶しなければならなそうだ、と口を開きかけたところで、ストロベリーブロンドをなびかせた愛らしいリリアーナが駆け寄ってきた。
「ふふ、ルーク様! エスコートしてくださるの? どうぞよろしくお願いいたしますね」
リリアーナもリリアーナで、天然なのか場の空気を読んでいるのか知らないが、お義兄様にそっと手を差し出している。
お義兄様は基本的には紳士的な方だ。公の場では、女性に差し出された手を無下に扱うようなことはなさらない。
お義兄様はなぜか私を睨むように一瞥した後に、リリアーナの手を取った。表面上の付き合いをするときに見せる微笑みを浮かべてはいるが、どうにも不満そうだ。
「ウィルは僕たちと一緒に、レインちゃんはリリたちの傍についていくといい。さあ、祝祭を楽しもう!」
「ええ! ルーク様、参りましょう! わたくし、これでも素敵なお店をたくさん知っておりますのよ!」
ぱっと愛らしい笑みを浮かべるリリアーナを前に、お義兄様はぎこちなく頷いていた。その傍で、レインがどこかしょんぼりと肩を落としている。
……やっぱりレインは、お義兄様が他の女性といるのを見るのは辛いのかしら。
意外なところで二人の物語の進展を実感しながらも、私とケイリーお兄様の傍にやって来た、ヤンデレその四・執事ウィルの登場に、思わず息を呑んだ。
夕暮れ色の瞳には、明らかな嫉妬の感情が浮かんでいる。ここまではっきりと感情を表すヤンデレは、ウィルが初めてかもしれない。
それもそのはずだ。リリアーナとウィルは、お互いがお互いを想い合っていることを知っているのだから。この状況を面白く思うはずがない。
……一番厄介な組み合わせを作ってくれたわね、ケイリーお兄様。
私とケイリーお兄様とウィル、リリアーナとお義兄様とレイン。
駄目だ、誰も幸せになっていない。はらはらする気持ちが増すだけだ。
だが、抗議の声を上げるには既に遅く、私はケイリーお兄様に手に引かれるまま歩き出した。そのすぐ傍をウィルが付き従ってくる。私たちの組が、リリアーナたちの先を行く形だ。
ケイリーお兄様の歩みは、思ったよりも早かった。動きやすいワンピースを着ていたのでついていく分には問題はないが、ドレスだったら躓きかけていただろう。それくらいの速度だった。
お義兄様たちと十分な間を開けたところで、ようやくケイリーお兄様が歩みを緩める。何か理由があったのだろうかと彼を見上げてみれば、彼は紫の瞳を細めて悪戯っぽく笑った。
「ごめん、エル。無理やり付き合わせてしまって」
「いえ……私も久しぶりにケイリーお兄様とお話ができて嬉しいです」
一応話は合わせるものの、誰も幸せになっていないこの組み合わせに何か理由はあるのかと聞いてみたくなる。
だが、尋ねるよりも先に、ケイリーお兄様は内緒話でもするようにそっと私に耳打ちしてくれた。
「……実は、どうしてもリリとルークを一緒に歩かせてやりたくてね。リリがあんな風に誰かに見惚れているところは、初めて見たんだよ。ここは兄としてはちょっとお節介を焼きたくなってしまったんだ」
耳に顔を寄せるようにして囁かれた言葉だったが、どうやら傍に控えていたウィルにも届いていたらしく、彼の顔があからさまに不機嫌になる。
ウィルは今までのヤンデレたちと違って、どちらかと言えば可愛い印象を受けるような顔立ちをしているのだが、嫉妬と怒りにも似た感情が浮かぶと、流石はヤンデレというべきか、なかなか凄みのある表情になるようだ。
それにしても、と私は小さく息をついた。ケイリーお兄様は厄介な勘違いをしてくれたものだ。
確かにリリアーナはお義兄様を「本当に素敵、綺麗な人ね」と褒め称え、見惚れているような素振りもあったが、あれは単に美しいものへの賛美とかそういう類のもので、恋焦がれるような熱が無いことは一目瞭然だったのに。
「ウィルもそう思っただろう? リリはルークみたいな色気のある男が好みなのかなあ」
少なくとも色気とは無縁の可愛らしい顔立ちのウィルには、この言葉は鋭く突き刺さっただろう。執事らしく当たり障りのない笑みを浮かべてはいるが、その橙色の瞳は苛立ちを隠すかのように揺らいでいた。
「……そうなのかもしれませんね。ルーク様を前にして、心がときめかない女性などいないでしょうし」
笑うような声だったが、ウィルが微塵も同意していないことは明らかで、可哀想なくらいだ。何とかフォローは出来ないものかとウィルを見つめていると、ケイリーお兄様がそっと私の髪を耳にかけ、頭のてっぺんに口付けを落とす。
「ああ、でも、こうしてエルをエスコートできたのは嬉しいなあ。……ちょっとした表情は変わらないものだね。こんなに美しくなっても、君はいつまでも愛らしいエルであることに変わりはないみたいだ」
「ケイリーお兄様ったら……お上手ですこと」
触れ方一つでも、彼が私に邪な気持ちを持っているわけではなく、全て親愛の気持ちからやっていることなのだと理解できるが、背後から漂う嫌な気配に、己の呑気な思考を呪うこととなった。
ちらり、と半身で振り返ってみれば、お義兄様が最早殺意ともとれる眼差しで私を睨んでいた。まさか、たった今ケイリーお兄様が私の頭に口付ける光景を見ていたのだろうか。
ケイリーお兄様は、人の地雷を踏み抜く天才なのかもしれない。屋敷に戻ったら私、お義兄様に殺されるのではないかしら、と冗談めかしつつも半分くらいは本気の不安が押し寄せる。
「今日は、僕が全力で君をもてなすよ。ウィルも、気になるものがあったら遠慮なく言うんだ!」
楽しそうなケイリーお兄様を見ていると、恨むような気持ちすら湧いてこない。それはウィルも同じなのか、私と同じタイミングで小さく息をついた。
呑気なケイリーお兄様を前に、私とウィルは互いに共感しあうように目配せをし合った。
お互いがお互いを憐れむような不思議なやり取りだったが、波乱の祝祭を前にして、妙な絆が生まれたように感じる。お互い、この状況を苦しく思っている同志なのだ。
「……どうぞよろしくね、ウィル」
苦笑交じりに告げれば、彼もまた、どこか疲れたような表情で小さく笑った。
「はい。……これ以上、ケイリー様を暴走させないようにしましょう」
こくりと頷けば、数歩先を行くケイリーお兄様が華やいだ声を上げた。
「エル! ウィル! 綺麗な飴があるぞ! 食べるか?」
彼の中では私たちは随分子どものような扱いらしい。だが、その心遣いに悪意は一切なくて、精一杯私たちを楽しませようとしてくれているのかと思うと、やはり憎む気にはなれなかった。
「ふふ……では小さな飴をひとつだけ。可愛らしいものがいいですわ」
不安要素ばかりだが、こうなってしまったのならば仕方ない。
私はウィルと共にケイリーお兄様の元へ歩み寄り、なるべくお義兄様の視線から逃れるようにケイリーお兄様の陰に隠れた。
少し離れたところからはリリアーナのはしゃいだ声が上がる。その声にウィルが僅かに表情を歪めるのを視界の端に収めながら、ケイリーお兄様に買って頂いた飴を一粒口に含んだ。
甘ったるい砂糖とほんのわずかな果物の香り。口の中で小さな飴を転がしながら、子どもに戻ったかのような感覚を楽しんだ。
私の隣では、ウィルが複雑な表情で飴を口に運んでいた。こうして見れば本当に可愛らしい顔立ちをしていて、ここにきて初めてまともに彼の顔を見た気がする。
そうだ、逆にこれはチャンスだと考えよう。お義兄様から離れて、ウィルと接触できる機会なんて、もしかするとこの祝祭限りかもしれないのだ。
この機会に、ウィルの生家の紹介に繋がるヒントを得ることが出来れば、リリアーナとウィルの物語をハッピーエンドへ導く強力な手掛かりとなるはずなのだから。
こうなってしまったのなら、流れに乗ってやれるだけやってやろう。絶対に、ウィルの手からリリアーナにスノードロップを贈らせるわけにはいかないのだから。
波乱しか見込めない祝祭の幕が上がる。どこからか流れてくる華やいだ音楽を聞き流しながら、私は一人、歪んだ恋物語に立ち向かう決意を固めたのだった。
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