第3話

 ルーファス様への挨拶を終えた後、男性陣は視察にまつわる手続きがあるとかで、談話室へ引きこもってしまった。


 私もついてくるか聞かれたが、仕事の邪魔になってはいけないと思い、花畑の傍にティーセットを用意してもらって彼らの帰りを待っている状態だ。


 運ばれてきたお茶は、青い薔薇を使った紅茶らしく、鮮やかな青色をしていた。砂糖を入れずとも蜂蜜のような甘さの漂う、不思議なお茶だった。正に、魔法の紅茶という気がする。


 花畑の中では、「天使」こと7番が一人で楽し気に遊んでいた。花を摘んだり、花冠を作ったりしているようだ。


 翼を携えた可憐な少女が花と戯れる、まさに楽園のような光景を眺めながら、私はぼんやりと、ルーファス様と7番の物語をおさらいしてみた。




 「ヤンデレ魔術師×実験体の少女」ことルーファスとカトレアの物語は、ルーファスの生い立ちを語るところから始まる。


 ルーファスは、ミトラ侯爵家の次男として溢れんばかりの祝福の中で生まれた。立派な両親に、弟の誕生を待ち望んでいた兄。優しい使用人たち。彼を苛むものなど、彼の周りには何一つなかった。


 だが、そんな幸福な人生も彼が4歳の誕生日を迎えたときに終わりを迎える。皆が寝静まったころ、突然に、彼の中に眠っていた魔力が暴走し、侯爵邸を青い炎で焼き尽くしてしまったのだ。


 それまで彼が魔術師の素養があることなど、誰も気づいていなかった。防ぎようのない、悲しい事故だったのだ。


 ルーファス本人は母親に抱きかかえられて屋敷から脱出し、何とか難を逃れたが、父親と兄、そして使用人たちは皆、燃え盛る屋敷の中で帰らぬ人となってしまった。


 母親も、ルーファスを助けて間もなく息を引き取り、ルーファスは幸せな日常から一転、天涯孤独の身の上になってしまったのだ。


 親戚もルーファスを気味悪がり、彼は転がり込むようにして魔術研究院に身を寄せた。里親代わりとなったのは、魔術研究院の院長だった。


 魔術の素養がある貴重な存在であるルーファスを、院長を始め魔術師たちは歓迎したが、彼の心の傷が癒えることはなかった。月日が経つにつれ、表面上は明るく振舞うようになったが、その心はいつまでも青い炎でじわじわと焼かれるような痛みを感じていたのだ。


 そんなある日、彼は一人の実験体の少女と出会う。先輩の魔術師が残した「天使」を生み出す実験を引き継ぐ形で。


 魔術でまがい物の「天使」を生み出すことは、倫理的にも魔術研究院の立場的にも危うい実験だったが、ある魔術師の純粋な好奇心から、それは密かに進められていた。女神と天使を信仰する王国ハルスウェルにとっては、使い方によっては王家の利となる可能性もあり、魔術研究院としても黙認している状態だったのだ。


 6人の少年少女の犠牲の末に生まれた、7番目の少女は、偶然にも、王国の伝承に伝わる天使と同じ、亜麻色の髪と亜麻色の瞳を持つ可憐な少女だった。


 小柄な体に見合わぬ純白の翼を携えたその少女を前に、ルーファスは、家族を失って以来初めての光を見ることとなる。


 7番は、赤子のころに魔術研究院に買われた実験体だった。外の世界のことを何も知らないためか、己の身に施される数々の実験の残酷さも理解せず、無条件に魔術師たちを慕う、純粋無垢な少女だった。


 ルーファスにとって、その純粋さはあまりにも眩しかった。本来であれば、目を背けたくなるほどに。


 だが、無条件に魔術師を慕う可憐な7番の姿に、ルーファスも次第に心を許すようになる。7番は、ルーファスが十数年ぶりに触れた温もりそのものだった。


 いつしか7番と過ごす時間だけが、ルーファスにとっての癒しであり、日々を生きる意味になっていったのだ。


 だが、作り物の「天使」の存在に対して、神殿が否定的な態度を取ったことで状況は一変する。


 王家の威信を高める道具となるかと思われた7番だったが、神殿の教えと信仰に反する存在であるとの烙印を押され、神殿との関係を尊重した王家からも、7番を早々に処分するようにとの命令が下る。

 

 7番の処分を任されたのは、彼女の実験の責任者であるルーファスだった。この世で唯一大切な存在だと言ってもいい7番を殺す使命を負ってしまったルーファスは、葛藤と絶望の中で、次第に心を病んでいく。


 そんなルーファスを見て、7番もまた、自分が生きていてはいけない存在なのだと悟ってしまうのだ。


 ハッピーエンドとバッドエンドの分岐点はここからだ。


 7番が、ルーファスに対し「一緒に生きていきたい」と生まれて初めての願いを口にすることが出来れば、ルーファスは彼女を連れて、魔術研究院から逃げ出す道を選ぶ。国や神殿からは追われる身となるが、彼らは王国の外れの深い森の中で、二人で穏やかな一生を終えるハッピーエンドだ。


 しかし、7番が願いを口にすることなく、自分は死ななければならないという定めと真正面から向き合ってしまうと、二人を待ち受けるのは凄惨なバッドエンドだ。


 己の定めを受け入れようとする7番に、ある日、ルーファスは一輪のスノードロップを手渡す。「君が何よりも愛おしい」という、告白めいた言葉と共に。


 この時点で、ルーファスが7番を殺す決意をしていたかどうかは怪しい。だが、スノードロップを受け取った7番は、自らの身の上を初めて呪い、「この翼さえなければルーファスさまと一緒に生きられたのに」という悲観から、ある夜に短剣で自らの翼を削ぎ落してしまうのだ。


 ろくな処置もせず翼を削ぎ落せば、当然大量の血を失う。7番は結果的に、それが原因で命を落としてしまうのだ。


 ルーファスが彼女を見つけるのは、皮肉にも、彼女が血の海の中で息を引き取ったほんの僅か後のこと。まだ温かい7番の体を抱きしめ、それをきっかけにルーファスの心は壊れてしまう。


 ルーファスは、無理やり削ぎ落された翼を綺麗に修復し、彼女の遺体ごと標本にする。標本はガラス張りの棺に納められ、胸には7番が好きだったカトレアを飾って、その日からルーファスは、標本に語り掛ける日々を始めるのだ。


 その悲しい病みようと言ったらなかった。7番の標本に縋りつき、毎日カトレアを供え、笑いかけるルーファスの姿はあまりに痛々しくて、いくらヤンデレ至上主義な私でもこれには涙を流してしまった。


 ルーファスのその悲惨な日々は、7番が亡くなってから数年後、彼が7番の標本の傍で衰弱して息絶えるまで続く。その間の彼の心境を思うと、思わずこちらも塞ぎこみたくなるほどの鬱々しさだった。


 ちなみにこのルートでも、エレノアはきちんと悪役だ。


 7番の処分が決まった際に、エレノアは監視役のロイル公爵家の者として「そんな気持ち悪い化け物、さっさと殺してくださらない?」とルーファスを散々追い詰める。それはもう、聞くに堪えない残酷な言葉で捲し立てるのだ。


 ハッピーエンドルートの際、エレノアは逃げ出すルーファスと7番の前に立ちはだかり、人を呼ぼうとするのだが、7番へのその散々な物言いが仇となったのか、ルーファスに何の躊躇もなくあっさり殺されてしまう。


 そして、人が死ぬ、という現象をよく分かっていない7番に、ルーファスは「何でもないからね」と優しい笑みを浮かべ、そのまま7番の手を引いて逃げ出すのだ。


 正直、そのシーンは大変美味しかった。7番のためならばいかなる犠牲も厭わないという彼の態度は、二人で逃げ出した後、ルーファスはこの世のあらゆる醜い感情からも残酷な現実からも7番を隔離して、溺愛に溺愛を重ね大切にしていくのだろう、ということが窺えるものだったからだ。


 それだけに、そこはかとない病みを漂わせるこのシーンは、歪んだ愛が大好物の私としては言葉もないほど尊かった。


 しかも二人の関係性が、恋愛感情ではなく、依存と親愛で結ばれている印象を強く持たせ、二人の間に恋が芽生えるとしたらこれからなのだろう、という妄想を膨らませるにも大変役立った。恋愛シミュレーションゲームとしては賛否両論ある終わり方だったが、私はこの結末が大好きだ。


 正に、純愛の物語。思い出すだけでも、満ち足りた気持ちになってしまう。


 エレノアに生まれ変わってしまった今、正直、このルートでのエレノアは、逃げ出す二人を見つけ出し、人を呼ぼうとした行動自体は至極真っ当であるだけに、あっさり命を落とすことには若干の理不尽さを感じないわけでもないが、まあ、いいだろう。7番に罵詈雑言を浴びせず、逃げ出す二人に出くわさないようにすればいいだけなのだから。


 つまりこの二人の物語において、私は何もしなければいい、ということになる。


 そもそもハッピーエンドに至らないように工夫すれば、私の命は全く危険にさらされないのは確かだが、それはそれで気が引けるというものだ。


 バッドエンドのルーファス様はそれだけ悲惨なのだ。画面越しであれば歪んだ愛と切なさの混じり合うあの結末は大変素晴らしかったが、生身の彼の心が壊れていく様を喜んで見守るほど残酷にはなれない。何より、あの愛らしい「天使」を標本にしたくなかった。


 もっともハッピーエンドを迎えてしまうと、彼らは私の前から立ち去ってしまう訳なので、ハッピーヤンデレルートの結末のその先をこの目で見ることは叶わないのだが、これも人助けだと思って手を貸そう。


 大体の方向性は決まったわね、と一人、魔術研究院の温室でほくそ笑む。


 少しぬるくなった青い紅茶をそっと口に含むと、ふと、目の前に7番ことカトレアが舞い降りてきた。


 真っ白なワンピースから伸びる手足はあまりにも華奢で、間近で見ると痛々しさすら感じる。大きな翼に栄養を持っていかれているので、体がなかなか発育しないらしい。


 カトレアは、雑多な花々で編まれた花冠と、カトレアの花束を手にしていた。甘い香りに包まれた彼女は、惜しみのない無邪気な笑みを浮かべて、その両方を私に差し出してくる。


「これ、あげます! 綺麗なお花でしょう? ルーファス様が咲かせているのですよ!」


 彼女は私より2、3歳年下なだけだと思うのだが、こうして見ると随分幼く思える。これが外界から隔離されて生きてきた結果なのかもしれない。


「ありがとう。いい香りね」


 まずはカトレアの花束を受け取り、そっと顔を寄せた。爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「ルーファス様が、このお花の名前をカトレアにくださったのです。カトレアはこのお花が好きです」


 にこにこと微笑む彼女に、自然と私も笑みを浮かべる。すると彼女は翼を広げて軽く舞い上がると、花冠を私の頭に乗せてくれた。


 正直、悪役の私に花冠なんて似合いはしないと思うが、こうして「天使」から授けられると悪い気分はしない。何だか特別な存在になったように思ってしまう。


「よくお似合いです! えっと……」


 言い淀んだ彼女を前に、まだきちんと自己紹介をしていなかったことに気づく。


「……エレノアよ。エレノア・ロイル。さっきここでルーファス様とお話をしていた、銀髪の男の人の義妹なの」


「ぎ、まい?」


「……要は、妹ってことよ」


「いもうと……」


 カトレアは困ったようにうんうん唸り始めてしまった。思ったよりも物事を知らないらしい。家族という言葉に縁がなさすぎるせいだろうか。


「まあ、親しい人ってことよ。あなたとルーファス様のようなね」


「なるほど‼ 理解しました!」


 カトレアはぱっと表情を明るくさせて笑った。陽だまりのような少女だと思う。ルーファス様が彼女に光を見出すのも当然だ。


「エレノア様はお外からいらしたのですか?」


 カトレアは人懐っこい笑みを浮かべると、興味津々と言った様子でじっとこちらを見つめてきた。とても可愛らしい子だ。


「ええ。王都から来たのよ。王都は分かるかしら? 王様やお姫様がいる、この国で一番大きな街よ」


「王様! カトレア、王様のことなら知っています。カトレアは王様のために生まれたのに、要らない、って言われちゃったんですよね? 魔術師様たちがお話しているの、聞いちゃいました」


「っ……」


 そうか、もうそのあたりまで話が進んでいるのか。無邪気な笑顔で、微塵も怯えることなく自分の定めを語る彼女が、痛々しくてならない。


「カトレアの前には、6体の実験体があったと聞いたことがありますが……カトレアも、失敗作、だったのでしょうか?」


 失敗作ではない。むしろ成功してしまったからこそ危険視されているのだ。だが、そのあたりの事情を話していいものか躊躇ってしまう。


「だとしたら、残念です。この身が、魔術師様方の……ルーファス様のお役に立てなくて」


 どこか寂しそうな表情をするカトレアを前に、気づけば私は口走っていた。

 

「あなたは失敗作なんかじゃないわ」


 その言葉に、カトレアの亜麻色の瞳が大きく見開かれる。

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