第二章 魔術師は人工天使を縫い留めたい

第1話

◆ ◆ ◆


 雑多な種類の花や薬草が生い茂るガラス張りの温室の中、生温い陽光の中を楽し気に駆け回る彼女の姿を、今日も気づけば目で追っている。


「ルーファスさま、ルーファスさま! このお花は何というのですか?」


 亜麻色の髪に亜麻色の瞳を持った可憐な少女は、その小さな体に不釣り合いなほど立派な純白の翼を畳んで、ある花の前にしゃがみ込んだ。惜しみなく笑顔を振りまく純粋無垢な彼女は、まさに「天使」と呼ぶにふさわしい姿をしている。


「……それは、カトレアだよ」


 白と紫のカトレアを前に、彼女は興味津々と言った様子だった。爽やかな甘い香りが漂う。


「綺麗なお花です! 7番はこのお花が好きになりました!」


 自分のことを腕に赤く刻印された番号で形容する彼女は、この世の穢れなど何一つ知らない亜麻色の瞳でこちらを見上げてきた。


 その無邪気な笑みに応えるように頬を緩めるが、胸の奥が抉られるように痛んだ。これもいつものことだ。

 

 7番。あくまでも実験体を識別するためだけにつけられた、無機質で冷たい記号。ここには、彼女のような憐れな実験体が何体もいる。


 公には隠された魔法という超常的な力を使って、王国の利となる研究をするのが、僕らの役割だった。彼女たちは、その大義のための必要な犠牲そのものだ。


 7番——目の前の少女は、6人の少年少女の犠牲の末に生まれた作り物の天使だった。


 女神と天使を崇拝するこの国の宗教観を利用して、この天使を王家のものと公表することで、王家の威信を高めようとしたようだが、結局、神殿からの反対意見に逆らえず、その計画は破綻した。


 つまり彼女は、最早必要とされていない実験体なのだ。それどころか、神殿や王家からすれば今や目障りな存在だと言ってもいい。


 多分、近いうちに僕は、彼女を殺すように命令されるのだろう。それを十分に分かっていながら、花々の中で無邪気に笑う彼女の輝きから目が離せなかった。


「……じゃあ、今日から君は、カトレアと名乗るといいよ」


「7番が、ですか? この綺麗なお花の名前を貰っていいのですか?」


「うん。いいよ。君にぴったりだ」


 7番——カトレアは、亜麻色の瞳を目いっぱい輝かせて僕の元へ駆け寄ってきた。翼のせいで同年代の少女たちよりもずっと小柄なカトレアをそっと抱き寄せる。


「嬉しいです! ルーファスさま! もっと呼んでください!」


「……うん、カトレア」


「はい! ルーファスさま!」


 親愛を示すように首元にぎゅっと抱きついてくる彼女の温もりが、愛おしくなってしまったのはいつからだろう。名前まで付けて、僕は一体彼女をどうするつもりなんだ。


 僕は王家に従う魔術師で、君は存在してはいけない天使なのに。


 いずれ僕はこの手で、君を殺さなければならないのに。


「ルーファスさま、温かいです! カトレアは、ルーファスさまが大好きです!」


 頬をすり寄せるようにして、無条件に僕に信頼を寄せる彼女の純真さが、最早憎らしくもあった。彼女にこんな運命を背負わせたのは僕たちなのに、どうして、そんな風に何もかもを慈しむように笑うんだ。


 この温もりを、僕は僕から手放せるだろうか。怖い、怖くて仕方がない。


「……ルーファス様? どこか痛いですか?」


 思い詰めたような僕の表情を不思議に思ったのだろう。カトレアはじっと僕の顔を覗き込んできた。愛らしい亜麻色の瞳が間近に迫り、どうしようもなく泣きたいような気持ちになってしまう。


「いや……なんでもないよ。なんでも、ない」


 カトレアの薄い体を抱きしめて、いつか彼女を手にかける日を想像しては塞ぎ込む。その繰り返しだ。


 ……ああ、でもそれで、この天使がどこにも行かないと言うならば、悪くもない結末なんだろうか。


 こじつけのような仄暗い考えに救いを見出そうとする自分が、滑稽でならなかった。思わず自嘲気味な笑みが零れる。


 今日も僕は、閉じられた温室の中、カトレアの拍動に縋りつきながら、未来のない一日をどうにかやり過ごすのだった。


◆ ◆ ◆ 


「はあ……尊い、尊いわ……!!」


 建国祭から二週間ほどが経ったある日、初夏が近づいてきた庭にティーセットを広げながら、私は3日と置かずして届くルシア様からの手紙を読み返していた。このところ、暇さえあればこの手紙を読んでは、だらしなくにやける日々を繰り返している。


 王太子殿下の瞳の色と同じ新緑の宝石を用いた装飾品を贈られたという話や、ルシア様が殿下とそろいの指輪を作ったという話、そしてその指輪をつけ忘れると殿下の瞳が途端に翳るのはどうにかしてほしい、といった、甘ったるいにも程がある溺愛の話を山ほど聞かされていた。

 

 手紙の中のルシア様は、当然ながらとても饒舌だ。普段は伺いきれない彼女の感情の機微まで読み取れる。


 それだけでも楽しいのに、病みを内包しつつ表面上は円満に振舞うヤンデレ殿下とルシア様の甘い日々が綴られているのだから、尊くない方がおかしい。はあ、と本日何度目か分からない溜息が零れてしまった。


 とりあえず、レインに用意してもらったパンをもそもそと食べる。レインは言われるがままにパンを運んできてくれているわけだが、私の行動がまるで理解できないと言わんばかりの目を向けていた。


「……お嬢様、本当にバターもジャムもつけなくてよろしいのですか」


「ええ……ルシア様からの手紙を読んでいるだけで、何斤でも食べられちゃうわ」


 もう一度、初めから読み返そう。ルシア様の手紙から、ルシア様が気付いていない殿下の独占欲や嫉妬を読み取るのが楽しくて仕方がないのだ。


「……いくらご友人からのお手紙とはいえ、こうも頻繁に惚気話を聞かされていると飽き飽きしてしまいませんか?」


「とんでもない! 私はこのために生きていると言っても過言ではないのよ!!」


 思わず勢いよく否定すれば、レインは灰色の目を丸くした。少し声が大きすぎただろうか。


「私ったら、ちょっとはしたなかったわね」


「……お嬢様は、ご友人の幸せをご自分のことのように喜ぶことが出来る方なのですね」


 レインは心底感心したと言わんばかりに、何度か頷いて、尊敬するような眼差しを向けてきた。そんなきらきらとした目で見つめられると、何だかきまりが悪い。


「ま、まあ……間違ってはいないけれど、そんな高尚な気持ちではなくってよ」


 ここは一つ、レインにヤンデレの素晴らしさについて語ってみようかしら、と私は椅子の上で体の向きを変えて、レインに向き直った。


「レイン、あなたは恋愛感情に内包された仄暗い感情とか、重すぎる愛とか、拗れた葛藤とか、そういうものに惹かれることはない?」


「……上手く想像できません」


 レインは困惑したように眉を顰める。こんなに可愛いのに使用人同士の浮ついた話一つないレインだから、恋愛に関しては疎いのかもしれない。


「ふふ、じゃあ例を挙げて説明してあげるわ。そうね……例えば、お義兄様があなたのことを好きになったとするでしょう?」


「いくら例え話でも、それはあまりに恐れ多いです」


 レインはますます困惑したように表情を歪める。遅かれ早かれこれは例え話ではなく現実のことになると言うのに、と、もどかしく思ったが、レインがそれを知るはずもない。


「あなたとお義兄様、すごくお似合いだと思うのだけれど……」


「……何の話だ?」


 突如頭上に振ってきた冷たい響きのある声に、思わず顔を上げる。


 いつの間にか私の傍には、今日も今日とて感情を思わせない冷たい眼差しをしたお義兄様の姿があった。気配を殺すのが上手すぎる。


「っ……お義兄様、いつからそこに……?」


「ついさっきだ。……随分下らない話をしていたようだな」


 僅かに距離を詰めたお義兄様に睨まれるようにして見下ろされ、苦笑いを浮かべる。


「ふふ、下らなくなんてありませんわ。お義兄様だっていずれは、身を固めなければならないのでしょうし」 

 

 それらしいことを言って逃れようとする私を、お義兄様はやっぱり感情の読めない瞳で見下ろしていた。今までであれば呆れたように視線を逸らすところだと思うのだが、建国祭が終わってからというもの、お義兄様と目が合うことが多くなっている気がする。


 お義兄様の紺碧の瞳は、本当に綺麗で神秘的だから、あまりまじまじと見つめられると気恥ずかしくなってしまうのだ。


 今日も根負けしたのは私のほうで、曖昧な笑みを浮かべながら視線を逸らし、紅茶を一口口に含んでから仕切り直した。


「……お義兄様は、お散歩ですの? 一緒にお茶でもいかがですか?」


「……いや、いい。お前に伝えるべきことがあって来ただけだ」


 言伝ならば使用人の誰かに頼めばいいのに、とお義兄様を見上げれば、彼は淡々とした調子で口を開いた。


「……明後日から一週間ほど、魔術研究院へ行くことになった。魔術師の動向を視察してくる」


「お義兄様が、ですか?」


 この王国には、少ないながらも魔法を使える者が存在する。魔術師と呼ばれる者たちだ。


 魔術という力自体、王家とごく一部の家門——魔術師を輩出したことのある高位貴族の家だ——にしか知らされていない特別なもので、我がロイル公爵家は代々魔術師の監視の役目を担ってきた。


 監視というと仰々しいが、要は魔術師たちの研究内容の視察だ。


 魔術師たちは、この国の利となるような発明をするために日々研究している。高額で取引される薬なんかは、魔術師たちの発明品であることが多い。


 研究を視察するがてら、魔術師たちが王家に反旗を翻す気配がないか見張るのも役目の一つなのだが、今まで目立った問題もなく、魔術師たちと王家との関係は至って良好だった。


 むしろ敵対関係にあるのは魔術師たちと神殿のほうかもしれない。魔術師たちは研究に夢中になるあまり、信仰だとか神殿の教えだとかを軽視しがちで、神殿からは敬遠されているのだ。


 我がロイル公爵家にも、かつて魔法を使える魔術師がいたらしく、魔術研究院とは何だかんだ繋がりがある。


 我が家は研究院にも王家にも関係が深いということで、こうして監視役を担っているのだが、今まではお父様のお仕事だった。お義兄様が補佐に回ることはあっても、主体となって動くことはなかったのに。


「……今年から俺が担当することになったんだ。公爵閣下の体調も優れないようだから、いい機会だと思ったんだろう」 


 公爵。お義兄様はお父様のことをそう呼ぶ。血縁上は伯父に当たる相手だと言うのに、どうにもよそよそしかった。


 ……それも、もしかすると私のせいなのかもしれないけれど。


 お義兄様と私との間にある壁をまた一つ意識させられてしまった。


「そうですの……。では、お父様へお手紙でもお書きしようかしら」


「その必要はない。視察の際に、お前も連れてくるように言われているからな」


「私も、ですか」


 魔術研究院は、ロイル公爵領の中の特別区に存在する。そのため、視察のついでに、領地にいるお父様にお会いすることは訳もない。


 だが、お義兄様がお仕事に私を連れていくことをお許しになるなんて。今までであれば考えられないことだった。何かと理由をつけて断っていたはずなのに。


「嫌か?」


 ぶっきらぼうな物言いに、私は慌てて首を横に振る。お父様にも会いたいし、お義兄様との旅も少しも嫌ではない。


「……それなら支度をしておけ。明後日の朝出発する」


「分かりましたわ。ありがとうございます、お義兄様」


 感情の読めない表情のお兄様を見上げ、にこりと微笑む。これで会話は終わりかと思われたが、お義兄様はしばらく私をじっと見つめていた。


「……まだ、何か?」


 小首をかしげながら失礼にならないように問い返せば、ぽつり、とお義兄様は口を開いた。


「……興味があるならば、魔術研究院への同行を許そう」


 確かに魔術研究院自体は面白そうだが、一体どういう意図があって許可してくれるのだろう。


 思わず、探るようにお義兄様の紺碧の瞳を見つめれば、彼は補足するように続けた。


「今、魔術研究院には、天使がいるそうだ。……魔術で生み出されたまがい物だがな」


「天、使……?」


 その言葉に、体に電流が走ったかのような衝撃を覚える。思わずはっと息を呑んだ。


 魔術研究院。天使。そのフレーズには覚えがある。


 確かそれは、「狂愛のスノードロップ」で言う、「ヤンデレ魔術師×実験体の少女」のお話ではないのか。


 ……あれは大変尊いお話だった。ただの恋愛と捉えるには、あまりに優しくて、憐れで、切ない二人の物語だったのだ。


 思えばあの物語が佳境を迎えたのは初夏のこと。時系列的な辻褄も合う。


 ……そう、あのお話を、私は間近で見られるのね!!


 そう思うと、居てもたってもいられず、思わずその場に立ち上がり、まじまじお義兄様を見つめてしまう。突然目を輝かせ始めた義妹を前に、お義兄様は戸惑うような眼差しを向けていた。


 だが、私はお義兄様の戸惑いに構うことなく、そっと彼に向って両腕を伸ばした。


「最高だわ、お義兄様!!」


 興奮のあまり、気づけば私はそのままお義兄様に抱きついていた。ふわり、とお義兄様の香りに包まれる。何だか安心する匂いだった。


「教えてくださってありがとう!!」


 勢いよく飛びついたためか、お義兄様は多少よろけながらも、反射的に私の背中に手を回してくださった。そのさりげない優しさがくすぐったい。


「行きましょう! すぐに行きましょう!! 待ちきれないわ!」


 お義兄様の首の後ろに腕を回したまま、至近距離で彼の瞳を見つめて強請る。だが、お義兄様はすぐにふい、と顔を背けてしまった。


「……出発は明後日だと言ったはずだ」


「ふふふ、でも、待ちきれないんですもの! 天使ってどんな感じかしら」


「念を押しておくがまがい物だぞ。どの程度のものかは俺も知らないからな」

 

「天使は天使よ!! ああ、楽しみだわ……」


 またしても私の目の前で、歪んだ恋の物語が始まろうとしている。そう思うと興奮を抑えきれなかった。


 そうこうしている間に、お義兄様の手が私の肩に添えられ、体を引き離される。いきなり抱きついたりしたから、叱られるかもしれない、とはっとしてお義兄様の顔を伺った。


 だが、見上げたお義兄様の表情は、いつになく穏やかで、ふっと微笑んでいると言うに相応しいものだった。お義兄様の笑顔なんて滅多に見ないだけに、これには私も驚いてしまう。


 お義兄様は、普段は近寄りがたいほどに冷たい空気を纏っておられるが、笑うと途端に甘い雰囲気の出る人のようだ。これだけ長いこと一緒にいたのに、初めて知った。


 私らしくもなく、頬に僅かな熱が帯びる。流石は攻略対象というべきか。お義兄様は、どこまでも魅力的な人だ。


 お義兄様はそれ以上何も言わず、今度こそ立ち去ってしまった。何だか不覚にもときめてしまったが、気を取り直して魔術師と天使の物語に想いを馳せる。


 またしても、私の目の前で歪んだ恋物語が始まろうとしている。その予感に、気づけば私は、悪役令嬢に相応しい意味ありげな笑みを口元に浮かべていた。


「さあ……かかってきなさい。ヤンデレ魔術師さんと天使ちゃん!!」


 あなたたちのこともこのエレノア・ロイルが、ハッピーエンドに導いて差し上げるわ!!

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