夏影ー夜のひまわりー

幸 石木

1.運命の出会い(1)

 これから花火が夜空に上がる。

 俺はカメラのレンズ越しに、その時を待っている。

 出店からは焼けたソースの匂いが流れてくる。ガヤガヤと集団で騒がしいのは花火を見に来た地元民がほとんどだろう。

 穴場と聞いてよく調べもせずに、この公園を撮影場所に選んだのは失敗だった。

 どうせ人が多いなら、開催予定地の河川敷で撮影をした方が映える写真が撮れただろうに。

 そんなことを考えているとカメラを載せた三脚に、きゃあきゃあと声を上げてはしゃぐ子どもたちの足がぶつかった。

 慌ててカメラと三脚をそれぞれ手で抑え、顔は子どもたちを追ったが彼らはすでに遥か向こう。跳ねて付いた砂ぼこりを軽くふきとってため息。

 ホントに騒がしい。騒がしくて、元気だ。

 思わず二度目のため息をつくと、次は浴衣を着た高校生くらいの男女2人組が俺にぶつかった。付き合いたてなのだろうか、ぎこちなく手を握り合っている。


「あっ、す、すみません」


「いえ……」


 ぶつかった彼女の方が謝り、俺は短くそう返した。

 髪を金に染めた彼氏の方は気まずそうに頭を掻いたのみで、彼女の手をしっかりと引いてそそくさとどこかへ去っていく。彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめて、しかし力強く手を引く彼に追いつこうと足を速める。リズムの違えた二つの足音が砂利を踏む。

 そんな彼らの後姿に、思わず目を奪われた。


「……いいね」

 

 出店の放つ色鮮やかな光に包まれてぼやけていきそうな、二人の姿は絵になった。

 そうしてぼーっと見つめていると、カメラの音がどこかから聞こえた。前を行くカップルはそれに気付いてこちらに振り返った。


「おい、おっさん。なに撮っとんじゃ!?」


 俺に撮られたと思ったのだろう、彼は顔を真っ赤にしてキレていた。彼女の静止も聞かず、大股にこちらに近づいてくるのを俺は腕を振って弁解する。


「いやいや! 俺じゃない! ほらカメラも向こうに向いてるだろ?」


「知るか! お前以外におらんじゃろ!」


 彼は彼女の手を引くことも忘れ、俺に掴み掛ろうと両手を伸ばしてくる。

 やれやれ。これだから田舎のヤンキーは嫌いなんだ。カメラ守らないと。

 そう思って三脚の数歩前に立ちふさがった。

 その時、


「ちょっとまって! 撮ったの私!」


 横からカメラを持った少女が現れて、俺と彼の間に割り込んだ。

 艶のある美しい黒髪は肩にかかるまで伸びていて、しかしその顔は彼の方を向いているため俺には分からない。

 少女は手に持ったカメラを彼に良く見える様に差し出した。


「ほらこれ! 私が撮ったけ、このおじさんは違うよ!」


「……ホントか?」


「ホントホント! 二人の後姿がなんかいいな~って思って、そしたら手が勝手にうごいとったんよ! ごめんね!」


 少女はカメラを持たない方の手で拝むようにして、訝しむ彼に平謝りしている。

 結局、彼はそんな少女の言葉と行動に気勢が削がれた様だ。眉間に寄せていたしわもいつの間にか落ち着き、追いかけて来た彼女にも諫められ、若いカップルはそして人込みに溶け込んでいった。




「ふぅ……」


 少女は一つ息をついて俺に振り返った。

 15、6才くらいの女の子だろう。あどけなさの残る顔には、しかし目の覚めるような美しい鼻筋と上を向いて飛び出たような長いまつ毛が付いており、今もそして将来も人の関心を惹いてやまないだろうと思わされた。

 そして平均身長よりも少し背が高いことが彼女のモデルのようなスタイルを強調しており、唯一の欠点である小さな胸を審美から疎外していた。

 暗闇に朱く浮かび上がった彼女の唇が薄くゆっくりと開かれていく。咀嚼するかのような動きに危険なモノを感じて俺は目を逸らした。


「あぶないとこじゃったね」


 少女はそう言ってにっこりと笑った。


「おじさん気を付けてよ。ここら辺のヤンキーは喧嘩っ早いけーね。私がいたから良かったけど~。……もちろん、お礼くれるじゃろ?」


「は?」


「だからさ、お礼。私がヤンキー追っ払ったけぇ」


 少女はぬけぬけとそう言い放った。白い歯がキラリと光っている。


「……いや、君が原因で絡まれたんだけど」


「私が黙っとったらおじさん殴られとったけーね? ――か弱い乙女がこわ~いヤンキーの前に出るのにどれだけ勇気がいったと思う?」


 そう言って少女は首を傾げた。その顔は今も笑んだまま。

 そして彼女は期待に満ちた目を俺に向けたまま、ソースの香り吐き出す出店を指さした。


「だから、お礼。――焼きそばおごって!」


「んな勝手な……」


 ――財布にはいくら入っていただろうか。この頃現金を持ち歩かなくなって久しい。それでも小銭くらいは入っていたはずだ。総額300円くらい。


「ね? いいじゃろ?」


 少女はますます甘えるような声をして、顔がよく見える位置まで近づいてきた。

 濡れた唇が弧を描いている。甘え上手なのだろう、真正面からではなく角度をつけて見上げてくる。

 そんな彼女に俺は言う。


「だめだ」


「え~? どうして?」


「……」


 焼きそばを買えるほどお金がないからだ。


「さっきも言ったけど、君が写真を撮らなければ俺に被害はなかった。だから、君が俺をかばったのは特別な事じゃない。むしろ当然だろ」


「……ふーん。おじさんやっぱ変わっとるね」


 少女は笑顔をやめ、しかし興味津々といった様子で俺を見た。


「ま、いいや。――おじさんも花火撮りに来たんじゃろ? もう始まっちゃうよ」


 そう言って少女は俺の横を通り過ぎて、三脚の右隣で立ちどまり、夜空にカメラを向けた。

 これから花火が夜空に上がる。


「――せっかくだし。一緒に撮ろうよ」


 振り返った少女の笑顔が眩しくて、俺は最初の花火を撮り逃した。

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