第6話

 翌日、僕は極めて普通の顔をして学校に行った。内心はいつ山岸に文句を言われるかひやひやものだった。いきなり押し倒してしまったし、漫画を盗み見たと勘違いされてるようだし、その理由は大いにあった。


 しかし、昼休みまで、彼女はまったくいつも通りだった。僕の方に視線を向けることもなかった。もう怒ってないのかな。安心した。僕もいつものように一人で教室を出た。昼食のお弁当は校舎裏の日陰で一人で食べるのが日課だった。


 だが、そのいつもの場所に着いたところで、後ろから声をかけられた。


「早良君」


 はっとして振り返ると、そこには山岸が立っていた。


「ど、どうして……」


 動揺のあまり思わず後ずさりしてしまう。


「どうしてって、早良君が一人で教室を出るのを見たから、こっそりつけてたの。どうせ、一人で、人気のない場所でお弁当食べるんだろうなって思ったし」


 ぐは! また的確に見透かされている。


「べ、別にいいだろう。一人のほうが、じっくり料理の味を楽しめるというか、素材の味が堪能できるというか……」

「そうね。私も一人ご飯はありなほうかな」


 山岸はくすりと笑った。


 あれ? そこでふと僕は違和感を覚えた。昨日はあんなに怖い顔をしてたのに、今日は全然そんな感じじゃない。


「山岸さん、昨日のこと、もう怒ってないの?」

「いきなり後ろから押し倒されたこと? あれはさすがにねえ……」


 と、山岸はそこで思い出したように顔を険しくした。でも、全然本気じゃなさそうな雰囲気だった。僕はとりあえず、もう一度ごめんと謝った。


「もういいわよ。事故なんでしょ?」

「え、襲ったんじゃないって信じてくれるの?」

「そりゃあね。早良君って女の子を襲うような、そんな度胸あるようには見えないもの」

「う……」


 その通りです。返す言葉もありません。山岸はそんな僕を見てまた楽しそうに笑った。


「あ、あの……じゃあ、僕に何の用?」


 怒られる以外を全く想定してなかったし。


「もちろん、昨日見た、ラーファス学園竜都のことよ」


 山岸の目が急にきらきら輝きだした。


「あの幻のこと? あ、もしかして、まだ僕のこと、漫画を勝手に見たやつだと疑って――」

「あ、よく考えたら、その疑いはまだ晴れてないわね」

「言っておくけど、僕は山岸さんのノートなんて盗み見てないんだからな」

「じゃあ、試しに質問していい? あの世界のこと」

「いいけど……」


 何を聞くつもりなんだろう。変なこと答えたらまた疑われるのかな。少し緊張した。


「そんなに構えないで。クイズみたいなものよ。第一問、あの世界の人たちは魔法が使えるけど、その魔力はどこから来てるものかしら?」

「そりゃ、世界竜だよ。あの体から魔力の源である竜魔素ドラギルが放出されていて、それを人々は吸収して魔力に変換してる。でも、吸収できる量は個人差があって、許容量を超えた竜魔素は猛毒と同じなんだ。また、竜都によっても、竜魔素の濃さは違う。竜魔素の許容量が低い人はその濃度が高い竜都には住めない。そして、ラーファス学園竜都は特に竜魔素が強くて、そこに滞在できることが、すなわち学園竜都の学校への入学資格になるんだ」


 僕はなぜかすらすら言葉が出てきた。人前でこんなに言葉が滑らかに出てくるのは初めてだった。授業中、みんなの前で教科書を音読する羽目になった時なんか、すごくしどろもどろなのに。


「ふうん。面白い設定ね」


 山岸は初めて聞いたことのように言った。


「山岸さんの漫画じゃこうじゃないの?」

「おおまかなところは同じよ。でも、ここまで詳しく書いてないの。漫画って説明の台詞が多いと読みにくいでしょう。だから、今早良君が言ったことは、すごく簡単に書いてあるだけなの」


 そう言って、山岸は少し黙ったのち、「そんな詳しい設定がすぐ出てくるなんて、やっぱり早良君は私のノートを見たわけじゃないのね」とつぶやいた。疑いはひとまず晴れたようだ。


「今言った設定は全部僕の小説には書いてあることだよ。つまり……僕達、偶然にも同じ世界の少し違う話を書いているってことかな?」

「偶然、ねえ……そんな偶然ありえるのかしら?」

「だよねえ……」


 僕達は昨日と同じように顔を見合わせた。やっぱり変だ。不思議だ。


「それに、昨日見たあれは本当にただの幻だったのかしら?」


 山岸はそうつぶやくと、ふとこちらに近づいてきて、僕の頬に触れた。


「な、なんだよ、急に……」


 ぼっち仲間とはいえ、さすがにいきなり女の子にこんなことをされると、びっくりドキドキしてしまう。山岸の手は柔らかくてすべすべしていてあったかい。


「うーん? これじゃダメみたいね」

「ダメって何が?」

「早良君の頬に触ることが、向こうの世界に出入りするためのスイッチになってるのかもって思ったの。昨日は二回ともそうだったでしょ?」

「そういえば……」


 平手打ちされたとたん幻が現れて、ほっぺをつねられたとたん、それが消えたっけ。


「そうだ! また早良君に痛いことをすればいいんだわ!」

「あ、なるほ――」


 ど、と、僕が言い終えないうちに、山岸の手が僕の頬を強く打っていた。早い! いきなりすぎる! そして、痛い! 少し目がチカチカした。


 しかし、次にその目を見開いた時、そこはもう人気のない校舎裏ではなくなっていた。


 そう、またしても僕達はラーファス学園竜都に立っていた。

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