科学技術の延長線上としての
セルゲイは、昔、最初の自動車とも言われる、
<キュニョーの砲車>
という自動車が動いているところを実際に見たことがあるそうだ。
その<キュニョーの砲車>は、蒸気機関を前部に搭載した酷くバランスの悪い設計で、人間が歩くよりも遅い速度しか出なかったそうだけど、それでも非力な自分達を補うために知恵を絞り突飛なまでの発想を見せる人間の姿に、セルゲイも感心したそうだ。
それをきっかけにして彼は人間達が生み出す技術に興味を覚え、学び取っていったと。
もちろん当時の技術とそれを支える理論は今のものと比べて格段にシンプルなものだったから、セルゲイにとってはすぐに習熟できるものだった。彼は学んだ技術を活かして自動車をはじめとしたさまざまな機械の整備士としても長く働いた。
けれど、人間が昆虫の機能を解き明かそうとし始めた頃に同じくその緻密な機能美に魅せられて、生物の研究へとシフトしていったんだって。決して科学技術に反発して自然へと目を向けるようになったんじゃなく、あくまで科学技術の延長線上としての<生物のメカニズム>に関心を抱いたということなんだろう。
今なお人間達が到達できていない、繊細で機能美にあふれたそれが、彼の心をとらえて離さないと。
セルゲイに対する気持ちも、ある意味では客観的に捉えられていると思う。だからこそ、今も彼に抱かれてはいるけどセルゲイにとっても負担になりすぎない範囲で甘えられているんだからね。
そんな安和を抱きながら、セルゲイは言う。
「昔は、祖父の考えが理解できなかったけど、今では、彼は、土とそれが育む作物のメカニズムそのものを見てたんだろうなっていう気がするんだ。単に世捨て人のような生き方をしていたんじゃなく、研究者の視点を持って農業を行っていたんだろうなって分かる。未熟な僕は、祖父の一面しか見ていなかったんだよ」
穏やかに微笑みながら、セルゲイは呟いた。
けれど、そんなセルゲイの祖父が耕した畑も、原野に還ってしまった。それ自体は惜しいことだとしても、必ずしも悔やんだりはしていない気がする。もし、セルゲイの祖父が今でも生きていたら、
『なに、また百年くらいかけて畑にしていけばいい。人間はそうやって農耕を発展させてきたんだ』
とでも言いそうだな。
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