洸の日常 その9

あきらの実年齢はまだ二十歳前で、椿つばきは現在十一歳である。十と離れていない。


だから椿が成人すればそれほど奇異ではないだろう。


もっとも、書類上の洸の年齢は三十を過ぎているので、その点で見れば親子ほど離れているとも言えるけれど。


とは言え、月城つきしろ家の者も蒼井家の者も誰も気にしていないので、あくまで世間体の問題ということになる。


加えて、今の椿の気持ちが果たして彼女が成人するまで変わらず続くものかどうかも分からない。正直、『恋に恋している』状態である可能性も否定できない。


ゆえに今はただ見守る。


『相手のことが本気で好きなら年齢なんか関係ない!』


的なことを言う者は多いが、子供は<成長>する。肉体も変わり、それに伴って精神も変化する。


幼い頃、


『パパのお嫁さんになる~♡』


と言っていた娘が思春期になって父親に汚物を見るような目を向けるようになるとかいうのもよく聞く話ではないか。


成長と共にものの見方や感じ方が変わるのはむしろ普通のことのはずだ。


経験を積むことによって自分を更新していくのは人間なら当たり前で、しかも子供の頃は特にそれが激しい。


子供の頃に大好きだったものを大人になってから見ると『なんだこれ?』『なんでこんなものが好きだったんだろう?』と思ってしまうことだってよくある。


ゆえに待つ。


待たされているうちに気持ちが変わってしまうなら、もうその時点で<永遠の愛>などではないはずだ。


それに、結婚して一緒に暮らし始めれば、いろいろなことがある。


相手が病気になったり怪我をしたりして看病が必要になったりすることもある。


務めている会社の都合で単身赴任したりすることもある。


それどころか会社が倒産して突然失業したりすることもある。


また、子供ができれば子供中心の生活になり、相手が自分だけを見てくれなくなることもある。


そのようにして諸々我慢しなければならない時期が何年も続くこともあるのだから、大手を振って付き合えるようになる五年や十年を我慢できないで、どうして一緒に長い人生を送れると言うのだろう?


未成年のうちはセックスまではしない方がいいというのは、そういう意味も含まれるのかもしれない。相手のことを想えばこそ<我慢>が必要であり、その程度の我慢ができないようであれば、後々迎えるであろう様々な試練を乗り越えていけないという意味でも、どこまで本気なのかを試されていると考えれば我慢もできるのではないか?


椿は母親のアオからそういい聞かされている。だから甘える程度で我慢しようと思っている。


そして洸は、そんな椿を見守っているのだった。


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