第22話「それでも彼女は戦わない」

 父はヘルハウンド、母はヴァンパイアという特殊な血をその身に宿し、魔王軍幹部という肩書を持った魔族の少女は、店主不在の宿も兼ねた飲食店の中で、一人暇を持て余していた。


「お肉ニクニクニクニック~。お腹ペコペコペコペッコ~。トントンドンドントロトントーン」


 木製の椅子に腰かけ、カンカンとつま先を床に叩いてリズムをとり、左右に体をゆらゆらと振りながらシアンはきっと本人にしか理解できないであろう歌を歌っていた。

 暇だが、退屈ではないと、そうシアンは思っていた。

 随分と密度の濃い数日間だったと思う。

 魔王のセクハラに耐えかねて外へ飛び出したら勇者と名乗る男に殺されかけ、下心が時折顔を出す青年に命を救われ、遺跡に封印されていた女を助け、肉を食べ、さらには国を相手に取ると。

 魔王の城に居た頃よりも、とても刺激的で、とても新鮮で、それで、


「ハヤトはまだかなー」


 待ちたいと、思える人が出来た。

 今まで、散々魔王軍だからと出会う人全てから例外なく矛先を向けられた。人とは一生仲良くなるなんて出来ないのだな、となんとなく察していた。

 そんな彼女の前に出てきたあの青年は、友達と過ごすような感覚で自分のことを「ただの女の子」と言ってのけたのだ。


「へへ……」


 彼にデコピンされた額を触りながら、シアンは小さく笑った。

 そこへ、コンコンとドアからノック音が響いた。

 もちろんここは飲食店なので、別にシアン一人の空間ではない。違和感はなかった。

 だからシアンはその場で座ったまま、開いていくドアを見つめる。


「すいません。アルベル=フォールアルドというものです。弟のエリオルはいません……か…………」


 まるで幽霊でも見たかのような見開いた目で、ドアから入ってきた男はシアンを見つめた。

 誰かに似た、青を基調とした衣類と装備。自分の身長の半分ほどの長さの剣を背負い、爽やかさを感じる好青年という印象が強い顔立ち。

 そのどれもに、シアンは見覚えがあった。

 そしてそれは、アルベルと名乗る青年もまた同じ。


「お前は、魔王軍幹部の……ッ⁉︎」


 本来ならば、シアンが魔王軍幹部だと分かりはしないのだ。この国に広く出回る注意書きには、魔族を特徴付ける耳と尾のみしか記述がないのだから。

 しかし、一度魔王軍幹部としてのシアンを見ている彼にとって、そんなことは関係ない。

 疑いもないほどの存在が、目の前に座っていた。


(部屋に誰もいない。こいつ……、まさか弟や他の人まで……⁉︎)


 一瞬で。アルベルは剣を抜いた。

 さすが勇者と言うべきか、瞬く間に臨戦態勢を整えたアルベルは、ピリついた殺気をシアンへと放つ。

 しかし、


「ま、待つんだ! シアンは戦わないで待っててって言われたんだ! 喧嘩する気はないぞ!」


「なんだと? 貴様、ここを魔王軍たちの合流場所にしていたのか! ならば余計見逃すわけにはいかないな!」


「違うぞ! シアンはただハヤトたちを──」


「問答無用‼︎」


 高速で振り下ろされた剣を、シアンはギリギリでかわす。座っていた椅子は、綺麗に二等分されていた。


「シアンは戦わないんだ! だからお前も戦わなくていいんだ!」


「そうやって油断を誘う気だな⁉︎ 一度殺し損ねてしまったんだ、今度は仕留めきるッ!」


 空気を切る音が、シアンのすぐ近くで何度も鳴った。一歩間違えれば確実に切られてしまう。

 スキルを使って身体強化をすれば話は変わるだろうけれど、それは出来ない。

 だって、


「シアンは、戦わないんだ!」


 約束を守るために、シアンは店から飛び出した。

 案の定、勇者アルベルは後を追って店から出る。


「クソ、関係のない人を巻き込んで俺の動きを制限する気か⁉︎ どこまで悪なんだ貴様らは!」


「違う……、違うんだ……! シアンは、シアンは……ッ‼︎」


 話が通じる気配ない。ハヤトとの約束を守るためには、逃げるしかない。しかし、


「【会心の一撃クリティカルヒット】‼︎」


 シアンの背後から、巨大な光が襲いかかった。

 自分の体が風圧で地から離れ、そのまま吹き飛ばされる。

 ドガンッ‼︎ という強烈な衝撃が、シアンの背中から全身へと伝播した。


「かッ、は……ッ⁉︎」


 街の一角を破壊するほどの巨大な力が、空へと煙を上げた。

 ゲホゲホと、体が無理やり呼吸をするために咳をさせてくる。吐き気と共に涙が溢れてきた。

 四つん這いで顔を上げた先には、切っ先を自分の顔に向けた勇者が立っていた。


「終わりだ。僕が技を使えるように人の通っていない大通りを逃げたことだけは評価してやろう」


「違う、違う! シアンはただハヤトたちを待っていただけなんだ! だから、戦わないんだ!」


「ハヤト……? それもお前の仲間か。どうせそいつも悪の道に染まった外道だろう。俺が気にすることなどない」


 ピクっと、シアンの表情に変化があった。


「…………がう」


 傷ついた体で、シアンは叫ぶ。


「違う! ハヤトは、悪いやつじゃない!」


 これだけは、絶対に否定しなければならないと、そう思った。

 見ず知らずの自分を救ってくれた。素性を知ってからも、女の子だと、そう言ってくれた。

 心をポカポカにすることが救うというのなら、自分が救われたと感じるには、あまりにも充分すぎた。


「ハヤトはシアンを救ってくれた! 命を助けてくれた! 今もボタンたちを助けようって頑張ってる! そんなハヤトが悪いやつなわけない!」


 勇者は、嘲るように笑うだけだった。


「それ見たことか。すぐに声を上げ力で屈服させようとする。それがお前の本性だろう! 諸悪の根源め!」


「違う。シアンは、シアンはただ……、ハヤトを、ハヤトたちと…………ッ!」


 静かに、勇者は剣を振り上げる。

 彼から貰った命が消えてしまうことは、シアンはとても怖いと、そう感じた。

生きなければと、そう思った。


「いや…………だ……ッ‼︎」


 一瞬の隙から、シアンは走り出す。


「嫌だ。嫌だ。シアンは、まだ、まだハヤトたちと一緒にいたいんだ……ッ‼︎」


 叩きつけられた衝撃で何度も咳き込みながらも、シアンは必死に逃げる。惨めでも無様でも構わないから、生きたいと、そう思った。

 勇者が何か叫んでいる声が聞こえた。

 きっと、諦めてなどくれないのだろう。

 なら、戦うか? スキルを使って、全力で応戦するか?

 答えは当然、否。


「約束、したんだ……! シアンは、ハヤトと……ッ‼︎」


 戦わないと約束したのだ。これは彼の優しさだ。自分がこれからも彼らと一緒にいるために、今の身分を隠すために出した結論だ。

 無下になど、出来ない。

 とてもあの場所は暖かった。心がポカポカしたんだと、シアンは思った。

 例えスキルを使って生き延びたとしても、あの場所が無くなってしまうのならば。

 彼らが魔王軍の仲間だと言われて苦しんでしまうのならば。

 それならば。


「シアンは、戦わない……ッ‼︎」


 そう決意して、シアンは走る。

 もう一度、大好きなあの場所に帰るために。

 必死に走る。死に物狂いで、この命を守るために。

 しかし、


「【会心の一撃クリティカルヒット】」


 閃光があった。

 背後から、死が迫っていた。


「ハヤト……ッ! ハヤト……ッ‼︎」


 恐怖のあまり、シアンは思わす目を瞑った。それでも周りのものが崩れていく音が自分へと迫っていくことを、耳で、肌で、視覚以外の全てで感じ取っていた。

 もうダメだと、全てが終わると、そう思った。


 が、しかし。


 勇者の放った攻撃は、シアンに当たることはなかった。

 途中で光が消えたわけではない。攻撃が外れたわけでもない。

 シアンは、ゆっくりと目を開く。

 光は、相変わらずそこにあった。

 おかしな事は、一つも起こっていないはずなのだ。

 ただ、



 以外は。




 街の一角を瓦礫へと変える強大な一撃を、その青年は生身で受け止め続ける。

 そして、


「オラァァァア‼︎」


 ドンッ! という音と同時に目の前で輝いていた勇者の斬撃は消滅する。

 どんな攻撃を受けても傷一つつかなかったはずの彼の腕から、血が流れていることに、シアンは気づいた。


「……ぁ」


 バクン、バクンと鼓動がなる。いつもなら、きっと彼の血の匂いで食欲が刺激されているのだろうと思うはずだ。でも、違う。これは、この感覚は、胃ではないもっと別の、それこそ自分の体の中心にある何かが叫んでいるのだと、シアンは確信していた。


「…………ぁあ……!」


 目が離せない。血を飲みたいなんて微塵も思わない。ただただ、安心する。彼の背にいるだけで、全てから守られているかのような、そんな感覚。

 これをどう言葉にすればいいのか、彼女はまだ知らない。だから、自分が形に出来る精一杯で、この感覚を形にするために、シアンは近くへ歩き、


「ハヤト……」


 強く、抱きしめる。人々が恐れ慄く魔王軍幹部の全力で、精一杯に抱きしめる。彼の腹部に顔を沈める。


「ハヤトぉ……」


 普通の人間なら既に死んでいたはずだ。きっと彼も痛いに違いない。それでも、抱きしめたくて仕方がない。

 そして、その気持ちを彼は受け取り、シアンの体をそっと腕で包み込んで呟く。


「ごめんな。遅くなった」


 頭に手を置いて、ポンポンと二回。そして髪を乱すようにくしゃくしゃと頭を撫でると、彼は笑う。


「よく頑張ったな。ありがとう、俺との約束を守ってくれて。後はもう、大丈夫だ」


 もう一度「大丈夫だから」と加えて、彼は静かに視線をあげる。

 そこにいるのは絶対の正義。英雄の代表。勇者、アルベル=フォールアルド。

 その正義を見据えながら、彼は言う。


「俺の仲間を殺そうとしてんじゃねぇぞ、クソ勇者」


 吐き捨てて、自分の背後にいるシアンに向かって、彼は言う。


「これから先は俺に任せろ。全部、救ってやるから」


 つい最近まで平凡だったはずの青年は、勇者に向かってその拳を向けた。

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