第13話「【お湯】」
久しぶりに、朝の匂いのようなものを感じた気がした。窓から入る日光がそのまま鼻腔に染み込んでくるようなあの感覚で目が覚めた。
着替えの服を持っていなかったから、ジーパンにTシャツという異世界感ゼロの服のままベッドで丸くなっていた俺はゆっくりと目を開く。
新鮮な朝だった。近代文明とはかけ離れた電気の通らない木造建築。ただ風も気持ちいいし気温もちょうどいいので不快な感じはしない。
それになんだかもふもふしてて凄い気持ちがいいし………………ん?
「もふ、もふ…………?」
おかしい。俺が寝た時にはこんなもふもふした何かはベッドになかったはずだ。
だったら、何だ?
寝起きの俺の視界がはっきりする前に、答え合わせの時間はやってきた。
「むにゃ……そんなに飲んだらハヤトが死んじゃうぞー。へへへ、それなら飲むぞー、うまうまだからなー」
おい、なんか俺がお前の生贄になってないか? 完全に体の血を全部吸われてるよな?
…………というか、
「──し、シアンッ⁉︎ なんで俺のベッドに⁉︎」
現状を理解するのに時間がかかったせいでリアクションがワンテンポ遅れてしまった。
「ど、どうしてシアンが俺のベッドに⁉︎ ってかなんでもふもふ⁉︎」
「ん…………んにゃー」
俺の声で起きかけたシアンがもぞもぞと体を動かすと、パタパタと目の前でもふもふが動いた。
「これは……尻尾?」
元々、シアンはヘルハウンドとヴァンパイアのハーフだ。この町に入る時から【変装】で隠していたが、本来ならば灰色の獣耳と下半身と同じ長さで太ももほどの太さがあるもっふもふの尻尾が生えているのだ。
「もしかして、魔法が解けたのか?」
魔道書には書いてなかったけど、おそらくあのスキルには時間制限のようなものがあって、それが切れたからもふもふが出てきてしまったのだろう。
まぁ、本が湿気って炎魔法が出ない
……それにしても、だ。
「やっぱり、可愛いよなぁ。こいつ」
改めてシアンの顔を見つめてみる。もちもちとした肌に幼さを際立たせる八重歯にこのパッチリと開いた丸い瞳。
「ハヤト…………??」
パッチリと開いた丸い瞳が、すぐ目の前で俺のことを見ていた。
「なんで、ハヤトがシアンのベッドにいるんだ……??」
「ん? 勘違いしてるようだけど、来たのはシアンだからな? ほら、エストスだってそこで寝てるだろ?」
「何を言っている。私はずっと前から起きてここで朝の紅茶の時間だよ?」
「…………ハヤト??」
「違うぞ。違うからな! 俺はこのベッドから動かず寝てたんだよ! そうだ、クリファ! お前なら俺の無実を証明できるはずだ!」
期待の全てを込めて、俺は隣のベッドにいるクリファへと視線を移すが、そこにいるのは自分の胸に手を当てて青ざめた表情を浮かべる王女様の姿が。
「わ、妾の胸がしぼんでおるではないかぁぁぁぁああああああ‼︎⁉︎」
「うわぁぁあああん! もう知らない! だって俺は悪くないもん! 期待してもダメだって分かったから素直に寝てたんだもん! なのになんでよ⁉︎ もふもふも戻ってるし! クリファは慎ましやかになってるし!」
ヤケクソになって俺はシアンの尻尾を抱き枕のように抱きしめる。
急に尻尾を掴まれたシアンは跳ね上がるような声を上げる。
「はにゃあ⁉︎ ハ、ハヤト⁉︎ シアンは別に怒ってないぞ⁉︎」
「騙されないもん! そう言ってまた俺の血を吸うんだろ⁉︎ 俺の猜疑心は山よりも高くて海よりも深いんだよ!」
「な、何もされてないのに吸わないぞ! だから尻尾から離れ、ひ、ひゃあ⁉︎」
構うものか! あんな痛い思いするくらいならこの尻尾をもふもふしまくってせめてもの抵抗をするだけだ!
「ハ、ハヤトぉ……し、尻尾は、尻尾はだめなんだぁ……」
「負けるか! くらえ、ステータスカンスト浪人生の全力のもふもふだ!」
「ハヤト、それくらいにしたらどうだい? どうやらシアンも限界のようだよ」
「…………へ?」
エストスに言われて、我に帰った俺はシアンの尻尾から腕を離す。
どうやらシアンは尻尾が敏感なようで、褐色の肌が真っ赤に染まり、なんだかいけない汗が滲み出ていて、さらには小刻みにピクンピクンと体が痙攣していた。
こ、これは…………ッ⁉︎
「君の幼女趣味は知っているが、さすがにこれは私の許容範囲を超えてしまっているね。素直にドン引きだよ」
「ショタコンに言われる筋合いはねぇと言いたいところだが、冷静になった俺に押し寄せる罪悪感は学校の窓を割ったときに俺だけ怒られなかった時以来だぜ……」
「妾の胸はどこじゃぁぁぁあああ⁉︎」
【
「本当にすいませんでした」
「うぅん。し、シアンは……大丈夫だぞ……」
真っ赤な頬と目尻に浮かぶ塩分豊富な水とピクピクと動く体を見て、俺の罪悪感は最高潮に。
深々と、それこそベッドにめり込むほどに俺は頭を押し付ける。
「本っ当にすいませんでしたぁぁぁあああ‼︎」
とりあえずシアンが落ち着き、叫び疲れたクリファが二度寝を始めたところで、俺は汗でべたついた体に不快感を覚えていた。
「なぁ、この世界って風呂はどうなってるの?」
「君の世界と違ってインフラ整備がされていないからね。町にいくつかある浴場を使うことになるんじゃないかな?」
「でもクリファがいるから気軽に外には出れないし、どうするかなぁ」
「だったらその魔道書を使えばいいんじゃないのかい? 作るときにはかなりの量の魔法を詰め込んだから、きっと何か使える魔法があると思うけれど」
「なるほど、さすが製作者の考えは違いますな」
言われるままに、これはリュックから魔道書を取り出し、使えそうな魔法があるかどうかを探してみる。
「体を流すなら温水とかが出る魔法とか使って上から被る感じかなぁ。でもそんな都合いい魔法なんてある、の……か…………」
俺のページをめくる手がそのページに書いてある魔法の名を見て止まった。
──【お
………………あった。
いや、そもそも魔法の名前が【お湯】ってどうなの? シアンとかのスキルめっちゃ格好いいじゃん。不発だったけどあの炎魔法も名前は良かったじゃん。
さすがにストレート過ぎるメーミングセンスに若干引きながらも、俺は消費ポイントが俺の人生の半分ということに目をつぶってスキルを習得する。
──残りポイント 17097
「なぁ、エストス。この【お湯】ってなんでこんなにダサい名前なの?」
「あぁ。その魔道書を私たちの世界の言語から君の世界の言語に訳す時に上手く変換しきれなかったんだろう。特に気にすることはないよ」
「はいはいこいつは
この魔道書、凄い発明なのにこういうところが玉に瑕だよな。もう期待とかはないし、体を流そう。
場所はこの店の裏にある小さな庭だ。着替えはないけど、タオルが部屋にあったから体を流す分には問題ないだろう。
というわけで俺は周りに誰もいないことを確認して服を脱ぐ。
「格好悪いけど仕方ない。──【お湯】‼」
俺が手を頭上に掲げると、五〇センチほど上にバランスボールくらいの大きさの水の塊が出現した。
そしてその水が俺の頭に降ってくる、のだが、
「うぎぁぁぁぁぁああああ⁉︎ つめてぇぇぇぇぇぇぇええええええ!?」
冷たい! ぬるいとかじゃなく、冷たい‼ お湯とかいう名前のくせに完全に冷水じゃねぇか‼
俺は全力で部屋へと戻り、優雅に紅茶を飲むエストスへ叫ぶ。
「エストスゥゥゥウ‼︎ これってどんなバグな訳⁉︎ この水むっちゃ冷たいんだけど⁉︎ 何⁉︎ この魔道書ってガス止まってたりするの⁉︎」
「……少し見せてもらっていいかな」
「早くお湯が出るようにしてくれ! 寒い! 二度目の人生の死因が水被って自滅なんて笑えない! 俺は笑えな……はっくしょぉい‼︎」
急に体が冷えたせいで盛大にくしゃみをぶちかました俺は体をタオルで拭きながら魔道書を眺めるエストスの結果を待つ。
「ふむふむ。なるほどなるほど」
「ど、どうだ⁉︎ 直りそうか⁉︎」
「本が湿気ってしまってこの魔道書で熱を生むことは出来なくなっているみたいだね。炎系魔法だけじゃなく、こういったものは全て無理だと思っていいだろうね」
「なんだと⁉︎ そんなにも残念な仕様になってるのかこの
「出来ることは出来るけど、そうなると魔道書の全てが初期化されてしまうけれど。カンストステータスと仲良くしたいのなら、このバグとも仲良くしなければならないね」
なんてこった。ステータスが初期化されれば確実にシアンのじゃれ合いで四肢炸裂で見るも無残な肉塊の出来上がりだ。このバグとお別れすることは出来ないのか。
「はぁ。わかった、わかったよ。寒かったけどとりあえず体は流せたから我慢するよ」
「それはいいけれど、まずは服を着たらどうだい? 私は別に構わないけど、さすがにあの王女様は黙っていないんじゃないのかな?」
「………………あ」
忘れていた。庭に出た時に服を脱いで、水を被って慌てたせいで服を着るのを忘れたまま戻ってきてしまった。
そしてどれだけ俺の運はないのか、魔道書について叫びまくったせいで二度寝していたクリファが顔を上げる。
隣でボーッとしているシアンは人間ではないからか俺の裸を見ても特に気にはしないみたいだが、寝ぼけて目をこする王女様は純粋な人間だ。
「 ……………………はにゃ???」
「おはようクリファ。いい朝だな」
全力で爽やかな挨拶を満面の笑みでクリファに投げかけるが、やはり全裸というステータスは全てをマイナスに変換してしまうようだった。
「な、なっなっなっ……ッ⁉︎ ななななななァア⁉︎」
頭から蒸気が出そうなほどに顔を赤くしたクリファは黒目を震えるように右往左往させながら、
「妾をスワレアラ国第一王女と知っての狼藉か、この蛮族がぁぁああああ‼︎」
「止めろ! 複雑な事情を説明させてくれ! そうすれば無駄な争いはせずに済むんだ! 誰も悪くないのに戦うなんて不毛だ! 誰も幸せになんかならねぇんだよ!」
「うるさいッ! 今この場では誰が何と言おうと妾が正義じゃ! つまり、どんな事情があろうと妾の前に立つ貴様は悪以外の何者でもないのじゃあああ‼︎」
「そんなのがありえるのが絶対王政ってやつか勉強になりましたよこんちくしょう‼︎」
結局どうにも出来なくなってクリファからボコボコに殴り倒されている最中に胸を触ってしまって更にボコボコにされたのはまた別の話。
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