永遠のゆく先へ
ウゾガムゾル
#1 ~星降る少女~
#1 星降る少女
この世界は、無限の可能性に満ちている。
多くの人は、こんなことを、生まれてから死ぬまで、何回も何回も耳にすることになるだろう。
「そしてそれは、君の人生にもいえることだ──」という風な口ぶりで。
しかし、現実はどうだろうか。自分が本当に想い描いた夢を叶えられる人なんて、ほんの一握り。多くの人は、「自分は敷かれたレールの上を生きているんだ」と、感じているのではないか。
アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言った。これは、「この世界を構成する粒子の状態は、確率論によって偶然に選ばれる」という量子力学の考え方を、批判するものだった。すべての結果には、原因がある。原因に対する結果は、物理法則によって一つに決まる。だからアインシュタインは、この世のすべては最初から決まっていると考えていたのだ。
しかし、今ではその量子力学が、多くの研究者により、確かに正しいと認められているのである。
この世界の様相は、あらかじめ決められたものではなく、常に変化する可能性を持っている。
結局のところそれは、これから彼女たちに起こる、不思議な出来事にも言えることなのかもしれない──。
*
ココダヨ
ワタシハ ココダヨ
ヒトリハ サミシイ
ココカラ ダシテ──
*
私はあまり日の当たらない小さな部屋で目醒めた。
夢を見ていたような気もするが、何も覚えていない。
横になったまま辺りを見ると、目が腐るほど見慣れた、いつもの汚い空間がそこにはあった。
はぁ。いつか、「目が覚めたら南国のリゾート地にいた」、なんてことが起きないかなぁ。なんてことを毎朝考えてしまう。
起き抜けの頭というものは、鉛のように重い。やっとの思いで起き上がり、枕元のディジタル時計を掴む。
まぶたをこすりながらそれを見ると、すでに七時半を過ぎていた。
「また目覚ましが仕事サボったァ~!」
おそらくそれは気のせいだ。気づかなかっただけに決まっている。認めたくないけど。
手早く着替えて部屋を出、廊下を駆け、リビングに向かった。
「遅いじゃないの」
ドアを開けたとき、母親はおはようも言わずに食卓からこちらを見ていた。
「なんで今日は起こしてくれなかったの!?」
「いつまでも誰かに起こしてもらえると思わないほうがいいわよ」なんて、母は言っていた。
まあそれはさておき。その食卓のほうに目を向けると、焼かれたパンと、牛乳がひとつずつ。いつも、朝ごはんはこんなものである。
「くわえながら走っていく?」
「ラブコメかよっ!」
それに、別にそこまで深刻な寝坊というわけではない。あと五分で家を出れば、間に合う。全力ダッシュすればだけどね。
ちゃちゃっと食べて歯磨き。ここまで、いつもの流れ通り。ぴったり五分。これならなんとか──。
「いってきまーす!」
それだけ叫んで私は、さびれたマンションの誰もいない玄関から、ひとりで通学路に駆け出した。
「はい、白沢、遅刻~」
気配を完全に消しつつ、カタツムリ以下のスピードで後ろのドアを開けたとき、すでにホームルームは始まってしまっていた。
何をかくそう私、白沢真理は、遅刻の常習犯としてクラスじゅうに名をとどろかせているのだ。クラスメートに変な目で見られながら、私は朝一番から先生と話をしなければならなかった。
退屈な授業は、どこに書くにも値しない。
私には今、何の目的も目標もない。
ただ同じような日々が、同じように過ぎ去っていくばかりで、次第にいろんな感情が薄れていくように感じた。
「次、白沢」
「はっ、はヒっ?」
……急に名前を呼ばれたので、動転して変な声が出てしまった。教室に、一瞬の静寂が流れる。そうだ。今は授業中だった。
「ここの答えはなんだ」
え、えーと……。
座ったまま、ぼんやりとした頭を必死に回す。だが、あいにく答えは出てきそうにない。
「わかりません」
そう言った。先生は顔をしかめた後、少し間をおいて続けた。「そうか。じゃあ次、谷川」
そのあとは、何事もなかったかのように授業が再開された。こういうとき、だれも笑ってくれないのは、笑われるよりもずっと恥ずかしいと思った。
六限が終わった。これで、今日の授業は終わり。部活はやっていない。まっすぐ家に帰ろう。
そう思ったけど、やっぱり今日こそは寄り道して帰ろうかな。
私はなぜか、寄り道ができない体質だ。さっさと家に帰らないと、いけないことしているような気分になるし、そもそもあまり外が好きではなかった。でも、欲しいものとか、ないわけじゃない。買う気になれないのだ。このままだと、すごくつまらない大人になっちゃうんじゃないかと、危惧していた。
今日こそは。
決心して、私は駅の近くのデパートに入った。中では、化粧品店や、貴金属店が大きく並んでいて、奥のほうには服屋も見える。私はそれらを通りすぎて、エスカレーターに乗った。
乗りながら、二階の婦人服屋、三階の紳士服屋、四階の生活雑貨屋を眺め、どんどん階を上がっていく。大人たちが、思い思いの品を物色するのが見えた。
五階に着いた。エスカレーターはこの階で終わっていて、この上はない。
五階は、図書館だった。ここなら、少しはゆっくりできるかな。と思ったけど、あいにく私はたいして読書家ではない。
この図書館は、天井が低く、ツートンカラーを貴重としたアーティスティックな雰囲気だった。そんなに広くない空間の中に、整然と書棚が並ぶ。真ん中の、すこし広くなったところにコーヒーだか紅茶だかのサーバーが置いてあった。何人かの大人たちが、思い思いの本を探したり、読んだりしていた。
そんなお洒落な図書館の雰囲気に対して、制服姿の冴えない女子高生は、完全に場違いだった。
大人たちの目遣いが、いやに気になった。仕方がないので、読書スペースのはじっこで、小さくなって、そんなに興味もないラノベを読んでいた。
そうしていたらすぐに日が暮れてしまった。冷たい風が吹いたとき、私はもうデパートを出て、駅のホームだった。
結局、たいしたことはできなかったじゃないか。
後悔した。何を悩むことがあるのか、と、そう言われるかもしれないけど、私にとってはこれだって大きな冒険なのだ。私は自分が情けなかった。
電車に乗って、近所まで戻ってきた。
寒空の下をひとりぼっちで歩きながら考えることなんて、ネガティブなことと決まっている。
ビルもほとんど建っていないような小さな駅を出て、人通りの少ない道を歩いていく。
ふと市民公園が見えた。こんな日にはいつも、少しここのベンチに座ってゆっくり空を見上げるのだ。
私は薄暗いなかで、公園に入っていった。
ある程度の敷地の広さがあるここは、市民にとっての憩いの場となっている。休日は子供が芝生でボール遊びをし、各種イベントの開催地ともなっている。今、ランニングをしている人とすれ違った。
私はその公園の一角、屋根つきのベンチに腰掛け、ふと空を見上げた。
夜空に、不自然なほどに明るく輝く星。
私は天文に関しては詳しくないけれど、今ならひとつ、誰でも知っていることがある。
この前、オリオン座の一等星、ベテルギウスが超新星爆発を起こしたのだ。
このことは、テレビのニュースで連日報道された。専門家が言うには、そろそろあり得るとは思っていたけど、まさかこんなに早くだとは思っていなかった、ということらしい。
おかげで、今の夜空は月がふたつあるような状態だ。見ているとなんとも形容しがたい、むず痒いような気持ちになる。
それはさておき。
夜空は、私たちがちっぽけな存在であるということを教えてくれる。人付き合いとか、進路のこととか、そんなようなことを、ひとときの間忘れさせてくれる。空を見上げれば、私の中の「世界」のスケールは壮大になる。
でも、ひとたび顔を下げれば、否が応にも「自分」を意識せざるを得なくなる。
私には文字通り、何もない──夜空に光る星々が、自らの命を燃やして輝き続ける間、私は何もできずくすぶっているだけ。
誰にも気にされることなく、クラスのみんなには「遅刻だけするよく分からないヤツ」と思われている。そうに違いない。
「はぁ……」
私は、大きなため息をついた。
「本当だよね」
!?
ふいに、隣から話しかけてくる人があった。
「ため息が出るほど美しい空だ」
見ると、その声の主は、見慣れない雰囲気の女の子だった。背はあまり高くないようだ。コートのフードを深くかぶり、望遠鏡らしきものを抱えている。私はそのフードを覗きこんで、知っている人ではないかと記憶を一巡したが、思い当たる顔はなかった。
「えっと……だ……誰ですか」
家族以外の人と話したのは、久しぶりだった。
「ああ、私は……」
そのとき、遠くの空が、キラリと光った。
「! ……なんだ!?」
「え……なにが」私は訊き返した。
「今日、流星群が見られるなんて聞いてないぞ」
……ということらしい。どういうことだ。
「行ってみよう」
え……どこに?
「いいから」
わ……私も、ですか?
「嫌なの?」
別に……嫌じゃないけど……。
「じゃあ行こうよ!」
彼女は、笑って私の手を引いた。
「う、うん……!」
「ネットにも載ってなかったけどなぁ、こんなの」
走りながら、私は尋ねた。
どこに向かってるの?
「……この公園の中で、一番高くて、よく星の見えるところさ」
そんなところがあったなんて。
息も切れ切れ、また、彼女に質問する。
ここで、よく星を見てるの?
「そうだけどー?」
すると、先を走っている彼女は、真っ暗な森の中に突っ込んでいった。心配になって、私は訊いた。
ホントにここで合ってるの?
「ああ!」
ちょっと怖いが、私は何とか走って彼女のあとをついていった。
途中、木がなくなって開けているところに出た。彼女と私は構わず進んでいった。
そして、森を出ると、目の前に星空が広がった。ここから、フェンス越しに、この街と空が一望できる。とてもいい感じの空間だった。
「こんなところがあったなんて」
「さて、ごちゃごちゃ言ってられないよー。こんなの誰も知らなかったんだから。最近はなんかいろいろ、変なことが起きてる気がするな。ベテルギウスは超新星爆発しちゃうしさあ」
簡易的な望遠鏡を設置する彼女の裏で、私はただひたすらに困惑していた。一体、何が起きているというのだ。走り疲れていて、頭が回らない。
設置を終えた彼女は、しばし無言で空を見上げていた。
「……あれー。おかしいな。さっきまで見えてたのは一体……」
すると、空に、またさっきの光が瞬いた。今度はさっきより、ちょっと大きかった。
「!」
「来た来たー……ってこれ、こっちに落ちてきてないか?」
彼女の言うとおり、その光は、尾を引きながら徐々に大きくなっていった。風を切るような、不思議な音が聞こえてくる。その音は、どんどんうるさくなった。光も、どんどん近づいてくる。光の玉が、ものすごい速度で空を切り裂いていき、やがて私たちのすぐ上の上空を通過して、後ろのほうに飛んで行った。
「ヤバイ! 落ちるんじゃないか、これ?」
次の瞬間、ドオンという結構大きな衝撃音が鳴り響いた。
「ウッ! ……びっくりした……でも、地面は揺れなかったな。まさか、アレが落ちたのか?」
彼女は、望遠鏡を畳み、私たちは恐る恐る、今しがた通過した森のなかへ戻っていった。
「うーん……何もないな」
彼女は懐中電灯の光をあちこちに向けながら、さっき落ちたと思われる何かを探していた。私も何となくついていった。
「また、ここか」
私たちは、森の中にあった、開けた空間まで戻ってきた。
ふと、彼女はライトを空間の中央に向ける。
「……なんだ、ありゃ」
見ると、そのライトの先では、煌々と光る「何か」が空中をふわふわと漂っていた。
な、なんなんだ、あれは。あれが、はるか宇宙から落ちてきたもの? とても現実とは思えない。
「こ、これは、一体……」
質問しようとして彼女を見ると、彼女は目を塞いで、なにやらぶつぶつ呟いていた。
「……そ、空から、光が……浮いてる? み、見てない見てない、こんな、非科学的な……」
「え……」
私は彼女の目の前で手を振ったが、彼女は気が付かなかった。
彼女が動かないので、代わりに私がその「何か」に近づいてみることにした。恐怖心より、好奇心のほうが勝った。
近くで見てみると、光輝く「何か」は、女の子だった。歳は、私と同じくらい、それか、すこし下くらいだろうか? 整った顔立ちで、とても美しい。見たこともないような、きらびやかなドレスを着ている。そんな少女が、お姫様抱っこされているような姿勢で宙に浮かんでいた。どこか儚げな感じを漂わせながら。
少女に、手を伸ばしてみる。私の手が、少女に触れる。すると、少女は重力を取り戻したかのようにゆっくり下降し始めた。
このままだと、落ちてしまう。私は慌てて両手を少女の背中に持っていく。少女は少しずつ、私の腕の中に納められていき──。
「お、重ッ?」
さっきまで、ふわふわと浮かんでいてこの世のものである気がしなかったが、今や普通の物体としての重みが感じられた。
少女は発光をやめた。私は、少女を雑草の茂る地面に寝かせた。すると、少女はそっとまぶたを開け、起き上がって辺りを見回した。
「こ……こ……は……?」
少女は片目をつぶりながら、呻くようにして言った。
「……一体、何が起こってるんだ……?」
そこに、ようやくフードの子がやって来た。
「その子は……?」フードの子は言った。
「わからないけど、たぶん、空から……」
私の言葉を、フードの子はさえぎった。
「あああだめだめだめ! そういうの私信じないから」
科学で説明できないことは信じないタイプなのか?
「いやでも、さっき空から光が……」
この少女こそ、さっき落ちてきたあの光の正体、のはずだ。そうとしか思えない。でも、押しに弱い私は、あまり強く返せなかった。
「論理的に説明できるの? これを」
確かに、こんなことはあり得ない。でも……。
不意に、フードの子が持っていた懐中電灯の光が目に入る。まぶしくて、目がちょっと痛くなった。思い立って私は、少女を見ながら両目をこすったあと、自分の頬をつねった。生々しい痛みがあった。……あり得ないけど、確かに、この光景は、ここにあるのだ。
「でも、確かにここにある」私は、そう弱く返した。
「……じゃあ、なんだって言うのさ?」
わからないけど……この感じだとたぶん……。
「隕石に乗ってやってきた宇宙人……」
「いやいやいやいやいやいやァ!」ちょっと裏返った声を出しながら、彼女は激しく頭を掻きむしっていた。
ここで、空からの少女が口を開いた。
「あの、ここは、どこですか……」
日本語は喋れるのか。いや、テレパシーの可能性も?
しばしの沈黙の後、すぐそばにいた私は、彼女の問いに答えることにした。
「ここは……地球だよ。地球の……日本」
どんな地域紹介だよ。範囲が広すぎるだろ。我ながら。
「地球……。って、何? 聞いたことない……」
やっぱり、どこか遠く離れた星から来た、宇宙人なのか?
するとフードの子は、苦笑いを浮かべながら、懐中電灯を構えて私たちのほうにやってきた。
「ね、ねぇお嬢ちゃん。これ以上変な妄想は言わないでくれない……! 名前なんていうのか知らないけど」
だめだこりゃ。
すると、空からの少女は頭を抱えて言った。
「名前? ……お、思い出せない……」
「え?」
「私の、名前……もといた場所……いろんなことが……」
「まさか、記憶喪失?」
フードの子は、非科学的さに耐えきれなくなったのか、叫びだした。
「うああああああ! もう!」
そのまま近くにあった小石を、周りの茂みに向かって思い切り蹴り飛ばした。
「……っ……!」
そのとき、その石が飛んだ方向から、かすかなうめき声と、ガサ、ガササという草の音が聞こえてきた。石が落ちた音じゃなく、明らかにそこで何かが動いている音だった。
「ギャアアアアアア? 今度はなんだって言うの?」あの子はまた叫んでいた。
気になって、音のした草むらに歩いていく。
茂みをかき分けると、ランニングスーツを着た女の人がそこにはいた。
女の人は、ひきつった顔で目を泳がせて、最後には苦笑いしながらこう言った。
「……あ、どうも~……」
「あたしは、カナタ。三好彼方だよ」
あれよあれよと集まった四人は、森の真ん中で座りながら話をしていた。
不思議な出来事。そして、そのさなかに、偶然出会ってしまった私たち。空から降ってきたこの少女はいったい誰なのか、この子をどうするのか。それを考えずにそのまま帰るわけにはいかない。目撃してしまった私たち三人には、責任がある。
……ということで、自己紹介をしようということになったのだ。
まず、さっき物陰から出てきたのが、カナタちゃん。私とは別の高校に通っている高校一年生。小柄だが、体格は悪くない。今日もランニングスーツを見にまとい、そこらへんを走っていたそうだ。
「そのときに空から変な光がさぁ……」
彼女の喋り方は明るく元気で、快活という感じ。私とは似ても似つかない。
「じゃあ、そこの君は?」
「私は、梨花。釈梨花だ」
フードの少女は、梨花というらしい。さっきまで意識してなかったけど、よく見たらメガネをかけていた。いかにも勉強ができそうな感じだ。望遠鏡を持ち歩いたり、非科学的なことは断じて信じようとしなかったりという傾向を見るに、理系女子だろうか。
「シャクリカ? 面白い名前だね」カナタちゃんは言った。
「……バカにしてない?」リカちゃんが返す。
「してないしてない」
ふたりはもう打ち解けたの? 薄明るい月の光、いやベテルギウスの光の下で、二人の顔はやけにまぶしく感じられた。
「……それでー、……次は君だ」カナタちゃんが言った。
私か。
「は、はいっ?」
変な声が出てしまった。
「ん? ……そっち? いやまあ、じゃあ君が先でもいいんだけど」
……え。あ、そっか。勘違いだ。カナタちゃんはそっちの、空から降ってきた少女のほうに言ったつもりだったんだ。てっきり私が聞かれたのかと。
「い、いや、お先にどうぞ」私なんかよりも、先に。
「で、でも私は……わからないんです。名前も、住んでたところも」
空からの少女はそう言った。そういえばそうだった。記憶喪失では自己紹介も何もあったもんじゃない。
「ああー、そういう感じねー」カナタちゃんはちょっと申し訳なさそうに言った。
「……絶対、何かの間違い」リカちゃんは、相変わらずだ。
「まあそう言わずにさ。ところで、そちらは?」
カナタちゃんは訊いた。私に。
今度こそ、私か。
「はい、あ、うん。えっと、ね。私は、白沢真理、だよ。よろしくね」
ちゃんと喋れたかな。伝わったかな。
すると、しばしの間をおいて、カナタは言った。
「そっか、マリ、か。いい名前だね」
そのとき私は、心の中に、暖かい何かが生まれ落ちたのを感じた。
「あ、ご、ごめんなさい」とっさにそんな言葉が出た。
「なんで謝るんだよ。……よろしくな、マリ」
そう言って、カナタちゃんはにっと笑った。リカちゃんもすこし笑みを浮かべていた。
「……ていうか、さぁ」
カナタちゃんが言った。
「何この状況!? なんか空から女の子が降ってきて、私たち集まって、よくわからないけど自己紹介なんかしてるし」
「やっと異常なことに気づいたか。ありえないんだよ。こんなこと」リカちゃんは言った。
そして、私たちの視線は空からの少女一人に集まった。
「!」
*
『今日は、夜ご飯、外で食べるね』
『了解。気を付けてね』
夜も七時近く。私たちは今一度状況を整理するため、近くのファミレスで夕食がてら話し合うことになった。
私は、少女の隣に座る。向かい側にはリカちゃん、そしてカナタちゃん。
「というか、森の中で状況整理してたほうがよかったんじゃない?」
カナタちゃんが言った。
「何故」
「だって、その方が雰囲気出るし」
「いいんじゃないですか? 寒いですし」
記憶喪失の少女が言った。彼女も、普通に会話はできるらしい。人見知りである私のほうがおとなしいくらいだ。
「ま、ファミレスって高校生っぽくて、なんかいいじゃん」とカナタちゃん。
高校生っぽい。私には無縁なことだと思ってた。
「で、君だよ君。突然空から落ちてきて、記憶がないなんて。いったいどういうことなの?」机から身を乗り出してさけぶカナタちゃん。
「あんまり大きな声だすと、怪しまれるぞ」リカちゃんがたしなめる。
「……えーっと」
少女は、困ってしまっている。
「とりあえず、名前がないのは不便すぎる。なにかいい名前をつけてやりたいところだけど……」
カナタちゃんは、メニューを読み漁っている。そして時折少女の顔を見る。それを交互に繰り返した。
「まさかとは思うが、食べ物から命名するわけじゃないよな?」
リカちゃんは、ジトッとした目でカナタちゃんの様子を見ていた。
「……あ、バレた?」
図星だったようだ。
「チキュウノショクジハ、オクチニアイマスデショウカ」
カナタちゃんがわざとらしい単調でトワに尋ねた。
「大丈夫です。おいしい」
おぼつかない手つきでスプーンを掴み、コスパ最強と唱われるドリアを口に運ぶ空からの少女。食べながら、笑顔を浮かべている。
「というか、こんなに食べられる? 調子にのって注文しまくっちゃったけど」
カナタちゃんが言うように、机の上は、大量のファミレスの定番料理で埋め尽くされていた。
「大丈夫だと思います。この『ぱふぇ』? と『ぷりん』? っていうの、好きです」
笑いながら少女は答える。甘いもの好きなのか。
「割り勘なんだけどなぁ……」
ぼやくリカちゃん。ということは私も……。
「……ともあれ、覚えていることがなにかあればいいんだけどな」
ドリンクバーのメロンソーダを飲み込んだ後、少女は答えた。
「……ありますよ、覚えていること」
え?
「なになに?」
「……このペンダント、もともとは宇宙船だったんです」
少女は、首からかけているペンダントを指でこすりながら言った。この世のものとは思えない不思議な紋様が掘られていて、光の反射で虹色に輝いていた。
「う、宇宙船?」カナタちゃんとリカちゃんは、同時に叫んだ。
数秒後、リカちゃんは店内を見まわし、カナタちゃんの肩をつかんで席に座った。
「ひゃー、やっぱり宇宙人じゃん」カナタちゃんはつぶやいた。そんなにすんなりと受け入れられることだろうか?
リカちゃんはそれを聞くと、また耳をふさいで震えはじめた。
「信じない信じない信じない……」
しかし、そう言った後、リカちゃんは何かに気付いたように動きを止めた。
「でもこれは、あれだ。構造色だな」
「コウゾウショク?」
カナタちゃんは訊いた。
「表面の微細な構造によって光が干渉して、色づいて見えるんだ。って、何解説してんだ私」
リカちゃんは頭を抱えた。理系女子的には、どうしても引っかかるところがあったらしい。
「いいね、それ」
カナタちゃんはそのペンダントに魅入っている。
その様子を見たリカちゃんが言った。
「ピザ、冷めるぞ」
「わーかったよぅ」
そう言ってカナタちゃんはピザをひと切れほおばった。そしてドリンクを口にした。よく見たら、彼女のドリンクは、なんか変な黒っぽい色をしている。コーラではなさそうだ。もしかして、混ぜたのか?
私は何も見なかったことにして、話を聞くことにした。
「……でさあ、それが、宇宙船って、何事よ?」
「よくは覚えてないんですけど、このペンダントが展開すると、宇宙船になる、はずなんです。そして、それを使って、もといた場所に帰らなくてはいけないようです」
「帰る……ねえ。なんで、そのことは覚えてるの?」カナタちゃんが質問した。
「……わかりません」少女はうつむきながら答えた。
「もといた場所っていうのは、どこなのか覚えてる?」
「それも、覚えてないんです。そんな気がするだけで……でも、ひとたび展開すれば、この宇宙船が導いてくれる、と思います」
ふと隣を見ると、リカちゃんがテーブルに突っ伏していた。サラダが残っているのも忘れて。
「おーい、大丈夫か」
「……すーっ、くかーっ」
「寝てるのかよっ!」
カナタちゃんにツッコまれ、リカちゃんは起き上がった。
「……? ああ、続きどうぞ……」
まぶたをこするリカちゃんを尻目に、カナタちゃんは続ける。
「ったくもう……それで? 宇宙船を展開すれば、どうにかなるってことだよね? 展開するには、どうすればいいわけ?」
もう空っぽになった皿を前にして、少女は語る。
「宇宙船は、この宇宙に点々と存在する『エレメント』というものがないと動かないみたいなんです。だから、それを集めてくれば、展開できるはずです」
「……ああ、はい、なるほどね」
リカちゃんは残りのサラダを口に入れながら、気だるそうに言った。
「シャクリカは、もう突っ込むのはやめたの?」カナタちゃんが聞いた。
「……知るかよ」ぶっきらぼうに返すリカちゃん。
「……まあいいや。で、その『エレメント』、っていうのを集めるためには……?」
カナタちゃんに聞かれて、少女は言った。
「エレメントは、いろんな惑星や、この宇宙のいろんな時代、いろんな場所にあるんです。だから、それを取りにいけば……」
え……。
「……ちょっと待って、それって……タイムトラベルするってこと!?」
た、タイムトラベル……? そんなこと……可能なのか?
「はい。実は、私には特別な力があるみたいなんです。このペンダントと『エレメント』は、私が力を発揮するために必要なもの。そして、その力を使えば、時間や空間を超えた、旅ができる……」
まさか、そんなことが。
「……あたしたちにはもう、常識は通用ないみたいだね」カナタちゃんが言った。
さっきも思ったけど、そんなにすんなり飲み込めるものか? と思った。妙に順応が早い様子は、アニメや漫画の主人公のようだ。私は……突飛なことを大真面目に語る彼女を見ていると、少し笑えてくる。
「だから、心配しないでください。頑張ってひとりで帰れるので」
少女は、言った。
「え……? ひとりでやるの……?」カナタちゃんはジュースを飲みながら言った。
「え、え? いや、皆さんのお手を煩わせるわけにはいきませんし……」
「えれめんと? ってやつ、いくつあるのよ? そんなに楽な道のりなの?」
「いや、それは、わかりませんけど……私の問題ですし……皆さんには関係ないです」
「なんだ! 宇宙人のくせに水くさいぞ! 手伝わせてよ! 何かできることがあれば!」
カナタちゃんは、そう言って立ち上がり、テーブルをはさんだ少女の肩をつかんだ。
「ええええ!? でも、別にひとりで大丈夫ですし……」
少女は、手を振りながら苦笑いを浮かべていた。
「違うよ」
カナタちゃんは、少女の目をしっかりと見ながら、はっきりと言った。
「え?」
困惑したような表情を見せる、迷子の少女。
「あたしが行きたいの。それならいいでしょ?」
カナタちゃんは、そう言ってにっかりと笑って見せた。
「へへっ」
「みんなもいいよね?」
カナタちゃんの視線は、リカちゃんに向けられた。
「……え? ま、まあ、別に、人助けなら、しょうがないな」リカちゃんは言った。
「マリは?」
カナタちゃんの視線は、今度は、私に向けられた。
私は、言った。
「うん。わかった」
ちょっと迷った。でも、せっかくここで出会ったのだから……ここで見過ごしちゃいけない。そんな気がした。
「みんな、いいってよ?」カナタちゃんは、少女を見ながら得意そうに笑った。
三人の目線を集める少女は、徐々に顔をほころばせながら言った。
「は、はい! ありがとうございます!」
「よし! そうと決まれば、えーと、……助け隊! ……を、助け、隊」
勢いよく立ち上がって叫ぼうとしたが、言葉につまるカナタちゃん。どうした?
「そういえば、名前! まだ決めてないじゃん」
ああ、そうだった。少女は、自分の名前を忘れていたのだった。
「つけていただけるんですか? 私は、どんな名前でもいいですよ」少女は言った。
「い、いいの! じゃあ……パエリア!」カナタちゃんは元気よく言った。テーブルに張り付けられた、「今日のおすすめメニュー」の表示を見ながら。
「絶対、ダメ」リカちゃんが、ボソッと呟いた。
「いいじゃんいいじゃん! さっきからずっとこっそり考えてたのに! いいと思ってたのに!」
体を左右に揺らしながら、駄々をこねるカナタちゃん。その様子を見て、名無しの少女は苦笑いを浮かべていた。
「私は別に、何でもいいんですけど……」
そんな中、私はその少女の透き通った目を見ていた。それは吸い込まれそうな程きれいで、やさしくて、それでいて、奥の深いところに何か言い知れぬ悲しみをかくしているかのような目を。
「? 顔に何かついてますか?」
「トワ」
気がついたときには、私は、何気なく浮かんできたその言葉を口にしていた。
「え? 何? たわわ?」カナタちゃんが聞き返していた。
構わず私は続ける。
「トワ、がいいんじゃないかな」
困惑したようなみんなの表情。
「えっと~。それは、なに由来で?」
カナタちゃんが不思議そうに聞いてくる。由来。そんなもの……。
「ないよ。なんとなく、いや、絶対にそうしなきゃだめだ、って思ったの」
これは、確信だった。でも確証はなく、あいまいだった。絶対にこれしかないと、何となく思った。そんな感じだった。
「……なんだぁ? 主人公タイプなのか、君は」
カナタちゃんは眉をひそめて私の目を見た。ちょっとドキッとした。それからカナタちゃんは、間を開けて言った。
「いいじゃん。人生って、そんなものだよねー」
……ああ、なんか、いいな。
「よっしゃー! それじゃ、トワちゃんを助け隊、始動!」
片手を上げて、カナタちゃんはようやく叫んだ。
「……はいはい、今日は遅いから、また明日からな~」
リカちゃんはテーブルの隅の伝票立てに立っている伝票をつかんで、立ち上がりかけた。
「ありがとうございます!」トワは、私たちに向かって、今日一番の笑顔を見せた。
ふと、カナタちゃんが、私たちの前に手を差し出す。
「? 何?」
リカちゃんが困惑するのとほぼ同時に、カナタちゃんがそのリカちゃんの手をつかんで強引に彼女の手の上に乗せた。
「ほら、マリも」
私は、彼女の目と手とを交互に見ながら、最後には、その手を取った。
「トワも」
四人の手が、ひとつに重なる。
そしてその手たちは、勢いよく空に打ち上がった。
「……ところで、『これ』、もう終わりですか?」
トワが、テーブルの上にたくさん並べられた、空っぽの皿たちを指差して、言った。
「え?」
「まだ二割くらいしかお腹いっぱいになってないんですけど」
「えええええええー?」
この四人は、どうやら一筋縄じゃいかなそうだ。
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