第30話 油を注がないと気が済まない
やはり林田は伊達に年を食っていない。それに研究者として確かな目を持っているのだ。これは研究者の先輩として尊敬に値するだろう。しかし、今まで誰も年齢を話題にしていないが林田の年齢は謎だ。あのもさもさの天然パーマしか印象に残らないせいだろう。そう考えると亜塔の説明は的を得ている。見た目から何とか推測できる年齢は三十代後半だった。
「あれ。そうすると、この化学教室の空気を帯電させるんですか?」
ふと桜太は不安になった。下手に帯電なんかさせて爆発でも起こしたら最悪だ。廃部どころか退学の危機が訪れる。
「そのとおりだ。光りを発生させるには電気がどうしても必要。しかし安心したまえ。この教室中に電気を張り巡らせて磁場を作るなんて暴挙には出ない。そこは小型に何とか検証だ。他の教室にあるパソコンに影響しては大目玉だしな」
林田は経験したことがあるのか、真面目な表情で言った。これは安心できる材料である。一度失敗しているというのは大きな経験だ。
「それでは科学部諸氏。小さな機械で最小限のプラズマを発生させて部屋の中で光りを発生させる。この実験手順の検証といこう」
林田が右手を突き上げると
「おお」
思わずつられて右腕を挙げてしまった科学部であった。しかし、実験をどうするかという話し合いをしようと全員が右腕を振り上げたところで、聴き慣れたメロディーが大音量で流れた。
「あっ、電話だ」
音の犯人は林田のスマホだった。ちなみに全員の予想を裏切って林田の着信音はアイドルの曲ではなかったのだ。が、その聴き慣れた音楽の正体は『オリーブの首飾り』である。こいつは電話の度にマジックを披露するつもりかと誰もが突っ込んでしまっていた。桜太の脳内ではもさもさの天然パーマを振り乱しながらトランプを飛ばしてキュウリを切る林田が想像されていた。
「科学部諸氏。悪いが一度大学に戻って機械のスイッチを押してこなければならない」
林田はもさもさと天然パーマを揺らしながら白衣を脱ぎ捨てた。電話の相手は朝から不幸にも触媒作りを命じられた大学院生だったのだ。
「はあ。すぐに戻って来るんですか?」
桜太は挙げたままだった右腕を下ろしつつ訊いた。何だか腕と一緒に盛り上がっていた気持ちまで下がってしまう。
「もちろんだよ。機械にセットしてボタンを押すだけ。後は丸一日放置しておけばいいからね。それさえ終われば晴れて実験に打ち込める身の上となるんだよ。諸氏はその間にお昼ご飯を食べていてくれ」
林田はこの下がったテンションどうしてくれるんだと睨む科学部メンバーに、そう言って去って行った。後にはリュックサックと白衣が残される。大学に戻るのに白衣は要らないのかという謎が残るが、すぐに帰ってくるという言葉に嘘はないのだろう。仕方なく誰もが鞄から弁当を取り出すこととなった。時間も程よく12時を過ぎたところだった。
「ああっ、カエル」
弁当包みを見て今朝捕まえたカエルを思い出した芳樹が、慌てて後ろの棚に駆け寄った。林田の予測不能な攻撃から守るためにそこに避難させていたのだ。その行動のおかげで一気に科学部の日常風景が戻ってくる。
「今日こそ揚げ物以外を」
桜太はそう念じつつ弁当を開ける。これはいつものことであり、その期待が叶った例はない。
「ぎゃう」
今日のメニューは竜田揚げとアジの南蛮漬けだった。まさかの魚までフライにする母である。揚げ物にするほうが調理時間が掛かるというのに、あの忙しい大学教授は何を考えているのだろうか。まさか油を使った研究をしていて、そのせいで家の鍋にまで油を注がないと気が済まないのか。いや、その前に菜々絵は実験を自らしない。ということはこの仮説は成り立たないのだった。今日も謎だけが残る弁当である。
「そういえば雷って人口で作る方法が色々とあるだろ?オーロラも人工的に造れるのか?」
迅がタコ型に切られたウインナーを頬張りつつ楓翔に訊く。男子高校生の弁当に入れるウインナーをタコ型に切ってしまう迅の母もな、かなかいいキャラをしている。桜太は失礼にも迅の母を自分の母と同列にしつつも聞き耳を立てた。噛り付いたアジの南蛮漬けが絶品という、他の料理にも活かして欲しい実力だったことも心の中に加える。
「もちろんあるよ。実際に空にオーロラ現象を起こすこともできるんだ。ただし、それにはロケットを使用するから色々と大変だよ。バリウムなんかをロケットに搭載して打ち上げるんだけどね。しかもそれはオーロラ発生のメカニズムを知るために作るのではなく、上層大気の風や電磁場の強さを測るために使われるんだ。この実験は普段オーロラが発生しない赤道帯でも行えるんだけど、赤道帯でやるとカーテン状にならなくて円盤型になるんだ。UFOと間違われて通報されたなんてケースもある」
楓翔はぽりぽりと沢庵を食べつつ答えた。どうして真っ先に沢庵に口をつけるという謎があったが、ただの塩分補給かもしれない。いくら涼しい北館でも冷房なしに過ごしていると暑くて汗が滴ってくる。
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