第13話 変人アイデンティティ
音楽室でのことはちょっとした噂になっていた。しかしそれは好意的とは言い難い。むしろ悪口だろう。いわく、眼鏡の連中が妙なことをやっていた。いきなり三平方の定理とか言い出した。結局何がしたいとか解らなかったなどなど。
「お前ら、馬鹿だな」
ストレートな評価を口にするのは、図書室の情報をくれた悠磨だ。
「なっ」
桜太は言い返そうと振り向いたが、背後にいた担任の睨みに負けて前を向いた。
今は終業式の真っ最中なのだ。蒸し暑い体育館の中で、全校生徒810人が整列して学園長の源内から夏休みの訓示を受けているのである。その訓示は始まって12分を経過し、そろそろ拷問の域に達していた。暑さで誰もが意識朦朧としていて話を聴いていない。意識がしっかりしている連中も、頭の中で色々と夏休みへの妄想が忙しくて源内の話を聴いていなかった。
「どうして三平方の定理を使い出すんだ?視線ならまず角度だろ?何度か測ったのか?」
反論できないことをいいことに、悠磨がちくちくと痛いところを突いてくる。たしかに角度を測らないと意味がない。しかし二点から頂点を割り出すということしか考えていなかったので完全に忘れていた。しかも最終的には頂点も意味がなく、三角形の斜辺の長さを求めただけである。
「でもまあ、さすがは変人の吹き溜まりと言われるだけのことはあるよな。発想がぶっ飛んでいる。誰も思いつかないことをやるよ。次は何をやる気だ?」
急に好意的な意見に変わり、桜太はそっと担任にばれないように後ろを見る。すると悠磨はにやにやと笑っていた。どうやらさっきの言葉は好意的でもなんでもなかったらしい。また何かやると踏んで楽しんでいるのだ。しかし自分でも世間的に普通といわれる方法をする自信がなくて言い返せない。
「図書室の謎を解く時はちゃんとやってくれよ。あと、有効な解決方法も頼む」
そんな悠磨はしっかり図書室の謎は解かせるつもりで、しかも解決方法まで要求してきた。
「次か」
桜太は周囲の評価と自分たちの変人具合を考えて、七不思議をこのまま解明することに意味があるのかと悩んでいた。このままでは新入生獲得どころか、あいつらやっぱり変人だったなと納得されて終わりそうだ。
そんなことを考えていても学園長の話は一向に終わる気配を見せず、結局45分も話していた。おかげで軽い熱中症を発症した生徒5人が保健室送りとなってしまったのだった。しかし幸いにもその中に科学部のメンバーも悠磨もいなかった。
だが次もこのままでいいのかは解決されていない。長い終業式から解放されて化学教室に集まった8人は、ぼんやりする頭を何とか働かせることになる。
「まあ、話題にはなったよ。世間的認知度は上がったわけだ」
科学部の生贄、芳樹が今日もまとめようと意見する。
「眼鏡集団が音楽室で三平方の定理を実践!ってか。もう俺たちが七不思議扱いされそうだぞ」
そんな生贄に食らいつくのは当然のように亜塔だ。しかも身も蓋もないことをあっさりと言ってくれている。まとめようとした芳樹は亜塔が口を開いた時点で諦めて黙ってしまった。
「でもまあ、目立たないといけないという問題点はクリアですね」
この話の端緒を受け持っている優我はそんなことを言って責任逃れしようとした。怪異現象解明がここまで捩れるとは想定していない。そんな優我の手にはしっかりハイゼンベルクの不確定性定理の本が握られている。やはり自分の興味優先なのだ。
「目立つというのではれば、このままずれたことをし続けるのは有効な手段だろう。そもそも科学者のすることなんて世間から見ればずれたことばかりだ。だが理解してもらうには注目してもらわないと意味がない。ということは、その注目した奴らの中から変人を抽出すれば問題ないよ」
莉音が建設的なのか投げやりなのか解らない意見を述べる。
「そうですね。結果として誰か変人が入ってくれればいいんですから」
迅が数学パズルを解きながら適当な相槌を打った。しかしそれが思わぬ作用を起こす。
「そうだぞ。新入生獲得イコール新たな変人発掘だ。それに繋がるのならばどういう謎を解明しようと関係ない」
急に亜塔が立ち上がって言い切った。
「どうしてそこまで変人に固執するんですか?」
嫌々ながらも千晴が訊いておいた。問題点がずれている気がするのは気のせいだろうか。
「何を言う。我々のアイデンティティは変人であることだぞ。吹き溜まりと言われようと科学部に愛着を持てるのも、総ては変人であるが故だ。だからこそ、入部条件は変人であることなんだよ。あの三平方の定理に食いつく真の変人がいるはずだ」
力強い亜塔の演説に、誰もがぽかんとなった。これだけ変人を強調されることもない。
「あの、入部条件だったんですか?」
現在の部長である桜太としては撤廃してほしい条件だった。そのせいで科学部は人気がないともいえる。
「当たり前だろ。今更普通の人間を求めてどうする?そもそもこの部活存続問題だって、我々のような変人を救い憩いの場を提供することだったはずだ。まともになっても意味がない。それにまともになったら、お前たち二年は三年になって肩身の狭い思いをするだけだぞ。俺たちが引退してどんな目に遭ってるのか、原稿用紙750枚分にして述べてやろうか」
亜塔のとんでもない説得に、桜太は頷くしかなかった。しかも引退してから僅か一か月で不満が原稿用紙750枚分に達するとは驚きだ。これは自分たちが普通の環境だけで生きていくことの難しさを物語っている。
「そうだよ。変人はアイデンティティだ」
二年生たちはそう呟いて納得する。よくよく考えれば、自分たちも部活の存続を話し合う時に変人であることを当然のように前提としていた。
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