滅びかけた世界なれば 藁のごとき勇者 納豆にまみれ戦わん!

立 青

魔鬼モウルド編 第1話 戦いの旅、納豆の恐怖

  ファンファーレが鳴り響いた。


「勇者様が出陣される。悟蘭ゴラン様、星那セナ様、ご武運を!」


 橋が下ろされ、オレ達三人は城門から出た。

 見送る兵士達は、ざっと百名以上といったところだ。せめて半数ぐらい連れていけたら心強い。オレはドワーフの悟蘭に言ってみたが、あっさり却下された。

 周りは、家々が点在するが、およそ城下町といった風情はない。朝のせいか予想以上に人影も少ない。もちろん初めて見る町、興味津々キョウミシンシン。だが、オレにはその様子をしっかりと見ることができなかった。


「オエッ!オエエエエエ!こんなことがあるんか。

 ああ臭い。気持ち悪い。堪らんわ」


 背中に寒いものが走り、鼻をつまむ。口からは、ひょいっと関西弁が出た。東京の大学に通うようになってから、標準語を身につけたつもりだったが、驚けば口から出る。


香輝コウキくん、顔色が悪いな。

 この辺りには、さすがに敵がいない。オビえることないわ」


 女仙の星那さんがオレの顔を覗いてきた。


「いえ、怖いんじゃなく、ちょっと納豆が苦手なもので」

「ナットウ…?」

「どこを見ても茶色いネバネバしたものが付いているじゃないですか。あれですよ」


 星那さんは不思議そうに首をかしげた。栗色の髪が揺れ、チャイナ服にかかった。オレの心をくすぐる魅惑的な姿、だが、目を彼女に向けているどころではない。

 目の前には、納豆にごくごく似た臭いとともに、ねっちょりとした風景が広がっている。さっき天から降りてくる時に、空から見た地上がテカテカしていると感じたのは、こういう理由だった。

 風が吹く度に、木の枝からは糸が垂れ、ダラーとなびく。枝に止まった鳥が木の実をついばんでいるが、それも納豆のように糸を引いている。歩こうにも一歩一歩、クツの底が糸を引き、ネッチャリと粘つきながら滑りやすいという難易度Aの道になっている。


「本当にオレは出撃するのか。よりによって納豆世界で戦うのか?

 あり得ない。最悪だ。やっぱりやめて、城に引き返すか」

「今やっと出発したばかりだ。行くしかない。お前の勇者という天命を信じろ」


 オレの情けない独り言に、悟蘭が髭を構いながらピシャリと言った。ドワーフの悟蘭はがっしりとしてはいるが背の小さい奴だ。でも、ギョロリとした目で睨みながら言うもんだから、何も言い返せない。

 ああ、正直、道端に座り込みたい気分だった。が、もちろん座ればズボンが、この気持ち悪いものでネチョネチョになる。


『いいか、香輝、やれるぞ。やるしかない。チョチョイと使命を果たし、この世界・ファーメントを救う。勇者としての栄光を手に入れ、天女様と分かっているな』


 美しい天女様の姿が目に浮かぶ。自分の重い気持ちを奮い立たせ、顔を上げる。

 天女様の戻った空へと目をやる。下は茶色いネバネバ世界だが、上には青空が広がる。あのどこかで天女様が……、わあ、どういうことだ?!青空は途中でダークグレーへと変わり、果ては闇夜のようにどっぷり黒い!


「なんで向こうは夜みたいに暗いんだ……?」

「悟蘭が急がせた理由はあれよ。あちらは何もない空間。この最後に残った島もあそこまで魔王にやられたというわけ。残り面積五分の一といったところかしら。

 まあ、戦況が分かりやすくていいわね」


……これは確かに時間がないに違いなかった。


「香輝、儂等に時間は無い。お前が本物の英雄になるか、この世界から消えるかだ。それもすぐ分かる」

「悟蘭、消えるつもりはない。オレには根拠の無い自信と夢がある」


 夢というのは、極上の美女である天女様を嫁にするというオレの欲望のことだ。もちろん二人に言う積もりはない。

 しかし、敵はどんだけ強いんだ?勝算はあるのか?この二人は頼りになるのか。いや、そもそもオレにはどんな力があるんだ?

 この世界に来て、まだ、一、二時間しか経っていない。だが、もう戦いに出るという展開の早さにオレは正直、戸惑っていた。

 最初から魔王討伐へ向かう。

 勇者となるための修行をしたわけでもなければ、綿密な計画を立てたわけでもない。もう残された時間が無いから急ぐぞ、これだけだ。


「おい、悟蘭、何してるんだ。気が違ったか!」


 信じられないことに、悟蘭は、納豆ネバネバのたっぷりついた葉っぱを木の枝から取ると、口をあんぐりと開け、しゃぶったのだ。


「こんなことも知らんのか。お前もやれ」

「まず、『天の加護のあらんことを』と唱えるのよ。そしてできるだけたっぷりとついた葉を選んで、舐めススる、ズズッとね。

 さあ、香輝くんもやりなさい」

「ええっ、冗談ですよね!?」


 オレは二人を交互に見たが、どちらも真顔だった。どうしていいか分からなかったが、その時、オレの肩に止まっている妙声鳥ミョウセイチョウが話し始めた。


「これは戦いの前の大切な儀式です。『天のホドコし』を口にし、魔に倒されないように願うのです」

「『天の施し』って何だ?」

「香輝くんが、さっきナットウと呼んだものが『天の施し』よ。この町が魔物にどうにかやられないで済んでいるのは、このお陰よ」


 星那さんがそう言いながら、ネバネバのどっちゃりとついた葉を取り、オレの口に突っ込んだ。


「オオッ、ゲエッ!味も納豆やないか。臭いはもっときついでえ。こんな腐ったものをオレの口に」


 慌てて吐き出そうとしたところに、今度は悟蘭が木の実を口に突っ込んできた。さっき鳥がツイバんでいた実だ。


「お前は、この世界に来て間もない。その分、たっぷりと体に入れておけ。袋にもたくさん入れておくから、食事もこれにするぞ!」

「ウエエエエエ、酷いよ。おまけに種だらけじゃないか。ペッ、ペッ。オレが何も分かっていないからって、からかいやがって」

「オイッ、泣くなよ、勇者。こりゃあ……、本当にこの先が思いやられる。

 いっそ、お前にはすぐ死んでもらって、次の勇者を天女様に呼んでもらった方が」

「悟蘭、何言ってるの。ほら、香輝くん、涙目になってるじゃない。

 女神様が召喚されたということは、見込みがあるってことなんだから」


 グスッ、オレは、ついさっき天女様と初めて会った時のことを思い返した。

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