3-16 鬼教官のムチ

 一夜明け、その日の夜。

 俺は姫に懺悔の機会をいただきたく、夕食後にお時間をちょうだいした。


 紗々には「カズくんのプライベートです。無理して話さなくていいですよ?」なんて、困ったように笑っていた……のだが。


 一緒にいた相手が五十嵐薫(=女性)だったのを知るや否や、みるみるうちに機嫌を崩し、俺は床に正座させられていた。



「……で、五十嵐さんとご飯に行った話が、どうしてホテルに泊まる話に飛ぶんですか」


 紗々は布団叩きを握り、ピシピシと音を鳴らして威嚇している。

 その姿はまるで鬼教官。


「気付いたら……ホテルにいたんだ。というのも俺が間違って薫のドリンクを飲んだのが悪いんだけど」

「ストップです。それはつまり間接キスをしたということですか?」


「えっ。気にするとこ、そこ?」

「被告人は聞かれたことにだけ答えてください」


 鬼教官に転職した紗々の冷徹な声が飛ぶ。


「意識してたわけじゃないけど……結果的にそうなったかもしれない」

「質問にはハッキリと答えなさい」


「えっと、かなりの確率で間接キスをしたと思います」

「いてっ!」


 ペチっと音を鳴らし、布団叩きが頭に振り降ろされる。


「で、五十嵐さんとのキスはどんな味がしたんですか」

 真面目な顔でセクハラ親父みたいなことを言い出した。


「いや、直接キスしたわけじゃないし」


「いいから質問に答えてください」

「えっと、オレンジの味がしました」


「不潔ですっ、死んでくださいっ!」

「あでっ!」


 また得物で叩かれる。

 そして向けられる冷たい眼差し。


「で、ホテルではどのような婦女暴行におよんだのですか」

「決めつけるな。……なにもしてない、本当だ」


「男女で、密室、七時間。なにも起きないはずがありません」

「いや本当だって。電話だってしたじゃないか?」


「一発、キメた後かもしれません」

「キメるって、あのな……」


「そもそもっ、どうしてホテルなんですか!? 家に連れてきてくれれば、わたしの家に泊めることだってできたのにっ!」


「店から一番近かったのがホテルだった……らしい。俺はその時の記憶がないし、気づいた時には薫が部屋を取ってた。だから仕方なく……」


「仕方なく、一発キメたんですか」

「違うっ!」


 なにを言っても紗々はむくれたまま、態度を崩さない。

 くそっ、昨日はあれだけ怒ってないって言ってたクセに。


 ……なんて、言えないけど。


「で、カズくんはそれをどう証明するんですか?」

「そりゃ証明する方法は、ないけど……」


 手ぶらで無罪を訴えることしかできない俺。

 紗々は踵を鳴らし、無様な正座男を訝しげに眺めまわした後――ふんと鼻を鳴らして、あきらめたように言った。


「わかりました。わざわざ自白に来たこともかんがみ、今回は信じてあげます」

「助かる。昨日はホントーに悪かった!」


「いいんですよ。ところで、帰ってきた時に着てたコートはどうしたんですか?」

「ああ、食事に行く前に薫の見立てで……」


 ――言ってからしまった、と思う。

 いまの紗々は些細なことでも目くじらを立てる。薫と二人で買い物、なんて言ったら……


「あ、そうだったんですね」


 ……気にならないらしく、紗々は淡々と話に頷く。

 普段通りに戻った紗々の態度に、こわばっていた肩の力がゆるりと抜けていく。


「今度わたしも新しいの買おうと思ってたんです。どんな色のコートだったらいいと思いますか?」


「そうだな……いまのコートが薄い水色だろ? だったら今度は黒っぽいのにしてもいいんじゃないか」


「なるほどっ、ところで五十嵐さんはどんな色のコートでした?」


「薫は確か、グレーのファー付きだったな」


「そうでしたかっ、ちなみに下着は何色でした?」


「知らん、ノーブラだったし」


 ベッドに腰掛け、隣でふよふよを押し当てられた時のことを思い出す。

 紗々の体にはない女性としての圧倒的存在感。……あれは確かに、いいものだ。


 って、ちょっと待て。

 俺はいま、なにを答えた……



 はっと視線を上げると、そこには顔を真っ赤にし、涙目で布団叩きを振り上げる紗々の姿があった。


「やっぱりクロなんじゃないですか! 信じられません!」

 烈火のごとく怒りだし、布団叩きを振り回す。


「ち、ちがっ! あれは薫が自分からそう言っただけで!」

「にしては答えが自然でした、実感籠ってました、にやけてましたっ!」




 ――暴力描写を伴うシーンのため、しばらくお待ちください。

 by みんなのにこたまブルーム




「……つまり襲われかけたけど、なにもなかった。そういうことですね?」

「はい、仰せの通りでございます」


 髪の毛は何本か毟られ、背中と肩にはひっかき傷。

 頬には見事な紅葉もみじがいろどりを見せていた、とてもいたい。


「さすがは陽キャ大魔王の弟。油断も隙もありません」

「あいにぃと比べたら俺なんてミミズみたいなもんだろ……」


「なにか言いたいことでも?」

「いえ、滅相もございません」


 姫に逆らってはいけない。

 少なくとも許してもらうまでは、俺はフローリングに頭をこすり続けるまでだ。


「わたし、これでもカズくんのことは信じてるんですよ。いちおう」


 あ、一応なんですね。

 いえ、昨日の今日じゃ仕方ないことだとは思いますけど。


「でも本当に心配なのはそっちじゃありません」

「……そっち?」


「はい、五十嵐さんのほうです」

 紗々は真剣な顔で頷く。


「もしカズくんにその気がなくても……五十嵐さんはそのつもりだったんじゃないですか?」


 言葉に詰まる。

 薫は食事の時からこれ以上ないほど好意を向けてきた。……俺なんかでもわかってしまうくらいに。


「最初からカズくんを外に連れ出すつもりだったんじゃないんですか? だからわざと間違えやすい飲み物を頼んだんじゃないんですか?」


「いくらなんでも、それは……!」


 言いかけた言葉は形にならなかった。

 紗々の真剣な表情に、有無を言わさぬ剣幕に、言葉を呑み込んでしまったから。


「……わたしのために、人を疑ってくれませんか」

 紗々が顔を寄せ、懇願するように言う。


「カズくんはわたしがお兄さんと仲良くしたら怒りました。わたしだって同じです。他の人に取られちゃうのはイヤなんです」


 その気持ちは、わかる。

 もし二人が食事に行ったなんて聞いたら、変なことが起きてないか問いただしたい。一部始終を知りたくなる。


 そんなことはしたくない。

 もし、出来るのであれば自制して欲しいなんて願ってしまう。


「こんなことお願いするなんて、きたないです。大人のやり方なんかより、ずるくてきれいじゃありません。でもカズくんを疑ったり、ぐちゃぐちゃした気持ちになりたくないんです。……でも、聞いてくれるとわたしは安心できます」


「…………わかったよ」



 俺がそう言うと、紗々は急に笑顔を作り――ぱんと手を打った。


「はいっ、じゃあこれで仲直りです! いいですねっ?」

「お、おう」


 スイッチが変わったようなテンション落差に、俺はへどもどしてしまう。

 これで許されたってことで、いいんだよな?



「これからはちゃんと連絡をしてくださいね、あと知らない女の人にはついて行かない。約束ですよ?」


 子供に言い聞かせるように言い、紗々はついっと小指を突き出す。

 指切りげんまんしろということかい。


 有無を言わさぬ笑顔の圧力に屈し、俺は紗々と小指を絡める。


「指切った、です! でも、まだ少し不安ですね」

「な、なんでだよ。俺のこと信じてくれるんじゃなかったのか?」


「カズくんのことは、信じてますけど……外からの攻撃がないとは限りません」

「こ、攻撃!?」


 攻撃って、まさか薫のことを言っているのか?

 そういえばあきらめない、とか言われた気がする。……これも紗々に伝えたほうが良いだろうか?


「冬には男女がリア充ぶるための特別な日がたくさんあります。陽キャの五十嵐さんがその日を狙って、カズくんの予定を侵略してくるかもしれません!」


 特別な日。

 クリスマス、大晦日、正月にバレンタイン。まあ確かに色々とある。


「なので先回りしますっ。クリスマスはわたしとおうちで過ごすことっ! いいですね?」

「あ、ああ……もうなんでもいいよ」


 もうこれ以上、姫の機嫌を損ねたくない。

 クリスマスを差し出すくらいで、紗々の笑顔が見れるなら安いもんだ。


 クリスマスまでもう十日を切っている。

 早いうちにケーキのレシピでも確認しておくか……


「あと、誕生日! カズくんの誕生会もやりたいです!」

「誕生日?」


「はい、一月の十二日でしたよね?」

「そうだけど」


 以前に聞かれて答えたことがある。

 次元和平、いや夢見降魔がこの世に体と魂を授かった日。


 ちなみに俺の魂が生まれたのはその前日。

 だから降魔は正確には十七年も生きていない。


 降魔は誕生日の前日に交通事故に遭い、別の魂に体をゆずることになったのだ。



「この日は二人で誕生会をしましょう、他の予定は入れないでくださいね?」

「それはいいけど。……その前に、もうひとつ話してもいいか?」


「話、ですか?」

 紗々はきょとんとした顔で首を傾げる。




 ――言おう。

 昨日から、ずっと決めていたことだ。


 タイミング的にも申し分ない。

 もし誕生日を祝ってくれると言うなら……俺はその前日を祝ってもらいたい。

 

 その日が、二代目の誕生日だから。

 もし紗々が次元和平カズくんと過ごしたいと思ってくれるなら……俺はその日を紗々と過ごしたい。


 居住まいを正し、高まり始めた心拍数を抑え、深呼吸をする。



「どうしたんですか、改まって。まさか五十嵐さんのことでまだ隠してることでも……」

「違うよ、そんなことより――」



 しかし俺の発言は、スマホのアラーム音によって妨害される。



「……ごめん」


 おかしいな。

 こんな時間にアラームなんてセットしてないはずだけど。


 紗々に断わって、スマホを手に取る。

 しかし手にした瞬間、アラームは止まり、強制的にメッセージ画面に切り替わる。


 その宛先に表示された名前は、四次元存在。




 ――クリスマスイヴの二十三時。キミは夢見降魔に戻ってもらう☆

 ――だから予定は入れないほうがいいよ、じゃあね☆




 いつもと変わらぬ、ふざけたメッセージ。

 だがメッセージを読んだ瞬間……考える力が、すっぽりと抜け落ちてしまった。



 結局、その日。

 紗々にはなにも伝えることはできなかった。




――――――――――


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