3-11 会うべくして

「……っはあ、おいし」

「飲み過ぎには注意しろよ?」


「大丈夫ですよ。かおる、お酒強いみたいなので」

「そういうフラグみたいなこと言わなくていい」


「本当ですって。前の職場で飲んだ時も、かおるだけ全然酔わなかったんですよー?」

「前の職場って……その時はちゃんと成人してたんだろーな?」


「してましたよ、心配性ですね」

 薫は口元に手を当てて笑う。


「和平さんって、なんかお母さんみたい」

「俺の母性に酔いしれたか?」


「はい、酔いしれました。なんかつい甘えたくなります」

 そう言って薫は立ち上がり、隣の席に移動してきた。


「な、なんだよ……」

「こっちがいいなあって思って」


 薫は肩をぐいぐいと押し当ててくる。


「酔ってるのか?」

「はい、母性に酔いしれました」


「酒の話だよ」

「そっちも言いました、お酒には強いって。……ただ、勇気はもらったかも」


 なにやら曖昧なことを言い、向かいに置いて来たお酒とサラダも隣に運ぶ。


「かおるの隣、イヤですか?」

「イヤじゃないけどさ……店主が不思議に思うだろ」


「いいじゃないですか。不思議に思わせましょうよ」

 薫が頭をくてんと倒し、俺の肩に乗せる。


 ……なんだ、この雰囲気は。

 静かで暗い、けれど暖かな空気の中。大人しくなった薫が頭を寄せてくる。


 心の中が、すごくもぞもぞする。

 いつの間にか手を握られてるし……


「前に言ったの覚えてます? 今年はいいことなかった、って言ったの」

「ああ」


「実はかおる、ちょっと有名人だったんです。夕日丘ホムラって、ブイチューバー知ってます?」


 …………え?


「一年目はすごく調子が良くて、人気もあったんですけど、二年目から上手くいかなくなっちゃって……今年の夏に辞めちゃったんです」


 突然の話に、頭がついていかない。


「かおる、負けず嫌いなんです。ある人をすっごいライバル視してて、どうしても負けたくないって頑張ってたんですけど、なんか頑張り方を間違えちゃったみたいで」


 薫がホムラ……?

 いや、みんな五十嵐って呼んでて、まさかとは思ってたけど。


「周りは辞めないでって止めてくれたんですけど。……色々イヤになって辞めちゃいました」

 そう言って自虐的に笑う、年上の女の子。


「それからずっとスッキリしない毎日だったけど……和平さんといると、イヤなこと忘れちゃうな」

 薫はグラスをくいと傾けて、また俺の肩にしなだれかかる。


 少しくせっ毛のある、茶色の髪。

 肩にかかる頭は人ひとりの重さを確かに感じさせ、健康的な女性の香りが鼻腔をくすぐる。


 うなじから首筋にかけて、目に入ってくるのは膨らんだ胸元。

 こんな角度から眺めることのない光景に、イヤでも視線は吸い寄せられる。


「……ごめん、ちょっとトイレ」

「あ、うん」


 薫が居住まいを正し、椅子に座り直す。

 俺はその場から逃げるように、カウンター脇のトイレに向かう。


 そしてトイレのドアを閉めた俺は……バクバクとなる心臓を抑え、大きく深呼吸をする。


「ビックリした……」


 色々と。

 本当に色々と。


 鏡を見て自分の表情を確認する。

 顔は赤くなってないか、鼻の下は伸びてないだろうか!?


「大丈夫そうだ、多分」

 俺は一人ごちて、用を足す。


 ……まさか薫がホムラだったなんて。

 一ヶ月ほど前、画面上に顔を合わせた姿を思い出す。


 バーチャルくノ一、夕日丘ホムラ。

 オレンジ色の髪にお嬢様口調、声の感じも明るく元気な声とはまるで正反対。


 ホムラを演じる声が素であったならまだしも、薫の性格からとじゃとても結びつかない。改めて声優ってスゲー……って思う。


 さて、しかし俺はどうしたらいいだろう。


 目の前にいるのはホムラの演者だ。

 先日の小清水のように、詳しい話が聞ければ新しい発見があるかもしれない。


 俺はスマホを取り出し、紗々に送るメッセージを打ち込む。


 ――ホムラの演者と接触できた、ちょっと話を聞くから遅くなる。


 今度は俺の番。

 あいにぃにスパイをさせた時のように、まるでなにも知らない風を装い、当時のことを聞き出すんだ。




 ……本当に?

 俺は紗々のために、薫を利用するのか?


 それに、薫はまだ立ち直っていないはずだ。

 でなければいいことなかったなんて言わないはずだし、忘れられることを喜んだりしない。


 そもそも自分の過去を明かすくらい、俺のことを信用してくれている。

 それなのにすべてを失う原因になった紗々ブルームのために、下心を持って話を聞くなんてことが……許されるのか?


 先日、あいにぃにスパイをさせた時のことを思い出す。


 よくよく考えれば、これは友人を売る行為だ。

 誰かのために、誰かを犠牲にしようとしている。


 あいにぃはどこまで考えて受けてくれたのかはわからない。

 でも最後には小清水を守るために俺の質問に拒否をした。少なくとも全面的に賛成してくれたということはないだろう。


 ……バカだな、俺。

 当事者にならないと、気持ちが理解できないなんて。



 紗々のことは、大切だ。

 だが、そのために人を犠牲にしていいという道理はない。


 紗々の活動は順風満帆とまでは言わないものの、軌道には乗っている。

 いまも思い悩むことはあるかもしれないが、日々の浮き沈みと言っていいレベルのものだ。


 ……薫を欺くような真似はしたくない。

 だったら俺がするべきなのは……変な探りを入れず、必要とあれば励まして元気にしてやることなんじゃないか?



 ――俺は打ちかけていたメッセージを削除し、スマホをポケットに閉まった。

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