2-14 甘やかす、とはなんぞや?
「また一位を取ってしまいました。カズくんはやっぱりクソザコナメクジですね?」
「ぐっ……なぜだ、なぜ途中までは一位なのに、なんで最後はいつも逆転されるんだっ!」
「ふふん、カズくん? マリカーはアイテムテーブルを理解しないと勝てない高尚なゲームですよ。途中まで一位なのは、わたしが取らせているからです」
「クソッ、俺はいつから紗々に勝てると錯覚していた……!?」
「じゃあ次はボクの番だね~。いやあカズは殴りがいのあるサンドバッグで気持ちいいなあ~?」
「ざっけんなお前、アカウント複製して低評価ボタン押しまくってやるからな!」
「あーはいはい。少数派のアンチがなにか言ってますね~? 悔ちいでちゅね~?」
「お前っ、いまに吠え面かかせてやるからな!?」
「いいね~自分から負けフラグ立てに行く姿勢。あ~見えてきた、EDMを流しながら黒人の肩で運ばれるカズの姿がさァ?」
だが、その後も俺は負け続け、ついに二人に勝てることはなかった。
俺はコントローラを床に投げ、そのままぐでんと横になる。
「あ~もうクソゲーーー。紗々のいない日にメルカニで売っぱらってやる」
「そんなことしたら塩漬けにしてやります」
「俺はナメクジじゃないから塩なんかで死なねえよ」
ゆったりとした時間の中で、くだらない冗談を飛ばし合う。
なんとなくゲームはお開きの空気になり、テレビからはマリカーのBGMが延々と流れ続ける。
時間はもう二十二時。
紗々は正式にホライゾンに復帰した。
仕事にいなかった日は有休の消化に当てていたが、明日からは仕事が始まる。
だとしたらあまり夜更かしはさせないほうがいいだろうか。
三厨さんに甘やかせとは言われたが、甘やかすとは具体的にどうすればいいのかイマイチ判然としない。
ふと視線を感じて紗々を見ると、会いそうになった目がふいっと逸らされる。
……特に意味もないんだろうけど、こういうの地味に傷つくよなあ。
ずっと黙っているのも変なので、俺は体を起こして紗々に話を振る。
「明日からは、ホライゾンで収録か?」
「いえ、しばらくはスケジュールの調整と、企画の立案になると思います」
「ユーグレラは?」
「完成した原稿はあるので、近いうちに台本はもらえる予定です。でもすぐにレコーディングってことはなさそうです」
「じゃあ台本をもらったら、しばらくは練習だな」
「はい。にこたまブルームの声優人生が、ついに始まります」
紗々は少し冗談めかして言うが、どこか気持ちが乗り切っていないように思えた。
だから俺は思い切って聞いてみた。
「不安か?」
すると意外だったのか、紗々を目を丸くしてから控えめに頷いた。
「……はい。ここ最近、いっぱい変わったことが起きたので」
まだ気持ちがついて行っていないのだろう。
小清水に来なくていいと言われたのは二ヶ月前。
それから俺とブルームが現れ、三厨さんを交えて小清水とぶつかり、降魔の遺作を見つけたと思ったら、主演として声優デビューが決まった。紗々としては振り回されっぱなしの二ヶ月だっただろう。
「それにブルームに戻ることはできましたが、まだ他のライバーさんたちと仲良くなれたわけじゃありませんし……」
確かに。
にこたまブルームとして頑丈な足場を気付くことには成功した。
でも当初の問題はそのままだ。
「あとは単純に声優としてやっていけるのか不安です」
大丈夫。
そう言おうとして――少し考えてしまう。
ここで業界に詳しくないヤツが、適当なことを言っていいのだろうか。
紗々は歌も上手いし、かわいらしく特徴的な声もしている。
でもそれが声優として使えるものなのかは断言できない、だったらここで適当なことを言うのはむしろダメなんじゃないか?
三厨さんには頼まれた。俺なら紗々を支えてやれるって。
でも二ヶ月そこらの付き合いでしかないのに、なにを理解し、なにをしてやれるのだろう。
紗々は俺の目を見ている。
不安を口にして、俺がどう応えるのか待っている。
そんな俺に出来ることと言えば――
「紗々」
俺は自分のひざをポンポンと叩く。
「ここ、空いてる」
「…………はい?」
不思議そうな顔で首を傾げる。
「いや、だから空いてるって」
「言ってる意味が、わかりません」
「だからさ、俺のひざ……空いてるんだ」
「それが、なんですか?」
紗々は目を丸くして、俺の言ってることを必死に理解しようとしている。
……ああ、もう! どう言えばいいんだ?
不安なら甘えてもいいって、日本語でどう言えばいい!?
「いや、だから、その……俺はいま、ひざまくらしたそうにお前を見ている」
仲間になりたそうなモンスターみたいになってしまった。
すると言葉の意味をようやく理解したのか、紗々は急に頬を赤らめる。
「わたしは別に、カズくんに甘えたかったわけじゃ……」
「そ、そっか……ごめん。変なこと、言った」
俺は自分の顔が急に熱くなっていくのを感じる。
なに言ってんだろ、俺……
ひざまくらを自分からしてやる、なんてさすがにおかしいよな。
恥ずかしさが爆発しそうになりながら、正座を崩そうとすると……紗々はこっちを名残惜しそうに見ている。
……ちょっと押してみるか?
「でも、俺は紗々にひざまくらしてみたい」
俺は恥を押し殺し、自分のひざをもう一度叩く。
「わ、わたしはっ、十九歳ですよ!?」
顔を真っ赤にし、怒ったように言う。
「しかもっ、カズくんより早く生まれてます、年上ですっ! それなのに子供みたいなこと……」
「そりゃ大人の紗々には必要ないかもしれない。でも俺だって誰かに甘えられたいって、思わないことも……なくもない、たぶん」
「そんなの、わたしには関係ありませんっ!」
「ここはサービスのつもりで、ひざまくらされてやってくれないか?」
「でも、そんな子供みたいなことっ」
抵抗を見せながらも、だいぶ揺れ動き始めてる。
そんな紗々に手招き。
「ほら」
「でも……」
「いいから」
「こ、ここで甘えたら負けな気がします」
「こっち来い」
「だめですっ、甘やかしたら調子に乗ってぐずぐずの白なめくじに……」
「紗々」
俺は強く言い、もう一度ひざを叩く。
「おいで」
紗々は困った顔で何度か逡巡したかと思うと――控えめに口元を緩め、
「……にゃー」
と、鳴きながらひざになだれこんできた。
銀色のやわらかな髪がふわりと床に広がり、喉をゴロゴロと鳴らし始めた。
「カズくんが、甘えていいって言ってくれたぁ……」
こいつ、さっきまで年上がどうとか言ってたくせに。
……くそっ、かわいいじゃないか。
擦り寄ってくる紗々に気分を良くし、俺は調子に乗って頭やあごを撫でまわす。
すると紗々は避けるどころか気持ちによさそうに頬ずりし、指をはむはむと甘噛みし始めた。
「長くて、ちょっと骨っぽいです」
「男の手って大体そうだ」
「指の関節付近はちょっと皮が厚くて丸いです」
やべ、それ降魔のペンだこ。
「そんなの食べても美味くないぞ」
「でも食べます。出汁がきいてておいしいです」
「きれいなもんじゃない、あんましゃぶるな」
「大丈夫です、ちゃんとカズくんの清濁併せ呑んであげますから」
なんか重いな。
そうして足元でごろごろ甘える紗々を見てると……ふと、罪悪感が湧いて来た。
紗々と出会ったのは四次存在の仕事がきっかけ。
俺は白馬に乗った王子様でもないし、ピンチに駆け付けたヒーローでもない。
おまけに夢見降魔だったということも隠し続けている。
そんな俺が紗々を支えるなんて、本当にいいのだろうか?
「……な、紗々」
「はい?」
「俺、紗々の側にいても……変じゃないかな」
くるりとうつ伏せの頭を返し、丸い瞳で見上げる。
「ホライゾンの関係者でもない、家族でも親戚でもないのに、こうして紗々の側にいるのって……変じゃないかな]
「なに言ってるんですか、変に決まってますよ」
と、笑う。
「だってカズくんは急に夜中に忍び込んできた、怪しい人です。……でも、へんてこな出会いだから良かったんです」
「良かった?」
「はい。だってカズくん言ったじゃないですか、学校で会ったらきっと話しかけられなかったって」
あ……
言った、紗々みたいな綺麗な子、高嶺の花だから話しかけられない。そう言った。
「そんなの絶対にイヤです。いまこんな近くにいるのに、もしカズくんがいなかったらって思うと、涙が出そうになります」
――紗々の言葉に、心臓を掴まれる思いがする。
「だからこれでいいんです、それ以外はイヤです。ブルームを連れて来てくれた、へんてこなカズくんがいいんです」
「……俺もへんてこかよ」
「はい、へんてこです。白なめくじなんかにずっとかまってる、怪しい人です」
「こいつ」
頭を小突いてやる。
……そっか。
こんなんで、いいのか。
だったら、安心してもいいのかな。
「それにわたしは右目で、カズくんは左目です。勝手に欠けてもらったら困ります」
「お前っ、それは忘れろ!」
「なんでですか?」
「だって、いくらなんでも…………クサすぎだろ」
「ええっ! わたし結構気に入ってるんですよ?」
「でも、ダメだ」
「イヤです、使いますっ!」
そう言って紗々はまたひざに顔をうずめる。
……よかった。
俺はぐいぐいと寄せてくる小さな頭を撫で、
こいつにだけはガッカリされたくない――そんなことを思った。
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