2-9 徹夜明けのテンション
「……ねぇ、さーちゃん」
「なんですか」
「眠い?」
「……もう眠いかどうか、わからなくなってきました」
部屋のブラインドからは薄っすらと明かりが差し込み始めている、朝日だ。
ユーグレラを開始した頃、太陽はまだ西にあった。
その太陽が沈んで東からは月が昇り、そして月も西に沈み、また東から太陽が昇り始めた。
俺たちはあれから一睡もせず、ずっと降魔の手がけた異世界にいた。
「二人とも、もう帰って寝たほうがいいぞ」
「そうしたいよ、そうしたいけどさ……」
三厨さんが疲れた顔で言う。
「……こんなとこでやめるなんて、えぐすぎます」
紗々はこちらを振り返りもせずに、画面をずっと睨んでいる。
「俺だってそう思うよ。でもさ、何度そう思ったかわかんないだろ?」
「じゃあカズくんはひとりで帰りますか」
「バカ、こんな中途半端なところでやめられるかよ」
「……ですよね」
そう言って俺たちはまた、ぐったりとした顔で画面に視線を戻す。
誰かひとりだけ先に完走するなんて許されない。
この手のゲームに関しては面白かった、つまらなかった、泣けた、燃えた。
いずれの感想も致命的なネタバレになる。
一度、終電がなくなるタイミングで切り上げる話にはなった。
後ろ髪引かれる思いを断ち切り、速水さんに「できれば明日も続きをさせて欲しい」そう言うつもりだった。
すると速水さんは得意げな顔でこう言った。
「君たちにその気があれば……このまま会社に残ってもいいよ」
その話に俺たちは満場一致で残らせてほしいと言い、一度コンビニへ買い出しに行った以外はユーグレラから離れなかった。
この作品は完成していない。
二章からはBGMがなくなり、三章からは背景が真っ黒になることが多くなった。
泣きを誘うシーンで笑顔の立ち絵が現れた時は、さすがにエモい気持ちになれなかったが……それを差し引いても面白いとしか言いようがなかった。
速水さんは知っていたのだ。
この作品は、一度読み始めると止まらなくなることを。
だから他の従業員の迷惑にならない、この三連休の初日に俺たちを呼んだのだ。
「じゃ、六章始めますよ」
紗々がまるで楽しくなさそうな声で言う。
「はあ……」
「三厨さん、無理しなくてもいいですよ」
「……やめられないからのため息だよ」
「なんですかそれ。……めっちゃわかるけど」
「ですよね~、わかりみ~~~」
ここにいる全員、もう頭のネジが吹っ飛んでいる。
ユーグレラの世界からは逃げられない。
俺たちはとんでもない作品に出会った時、往々にして実生活を破壊される。
今日が平日だったら、間違いなく三厨さんの親戚に不幸が起きただろう。
つまり今日は神に祝福された祝日だと言える。意味わからん。
――そして、さらに十時間後。
西日がようやく沈みかける頃。
俺たちはついに画面にTheEndの文字を表示させた。
「お、終わった……」
三厨さんが背もたれにぐでっと倒れ込む。
「良かった……透香、最高にカッコよかったです」
「紗々やめろ……思い出したらまた涙が……」
「カズくんこそやめてくださいっ、隣で泣かれたらわたしもまたっ……」
ぶっ続けで約二十時間、ついにユーグレラを完走した。
全員が全員、目の下に作ったクマの上に、滝のような涙を零している。
もう、なにもやる気が起きない。
寝たくもない、寝て起きた時にこの感動が薄れることが恐ろしい。この余韻にずっと浸っていたい。圧倒的ユーグレラ、ロス。
「んだよぉ、白鳥よぉ……これリリースしないなんてありえないっしょ、もう潰れちまえよ」
「はい、わたしもいつかこんな作品に参加してみたいです」
――俺と三厨さんは視線を合わせて苦笑する。
これで目標の最低ラインは通過した。
「み、みんな、どうだったかい……?」
俺たちの会話を聞いて、速水さんが様子を伺いに来た。
自社でリリースする予定のゲームだ、反応が気になるのは当然だろう。
「とても面白かったです!」
「透香のカッコよさ、そして荒廃した世界観が最高です!」
「価格設定五万円でも売れますよ、これは!」
「だよねだよねっ! ……五万円では売らないけど」
好感触な反応に速水さんも破顔する。
「僕も絶対に行けると思うんだ。……でも人を選ぶって言うのは否めないからねえ」
「ですね、私も夢見先生にしては思いきったなって印象でした」
三厨さんの発言に内心で頷く。
ノベルゲームというジャンル、パソコン前提のプレイ環境、そしてやや多めの残虐表現。
DSが万人受けするのに対し、ユーグレラは降魔のやりたいことをやった作品だ。
降魔のファンだったらついて来るかもしれないが、誰でも気軽に手を出せる作品とは言いづらい。
おそらくこういった事情から、白鳥の出資が打ち切られてしまったのだろう。
「でも今回の出資先は夢見くん本人です。一度報告してからまたお伺いしますね」
「ああ、助かるよ。今日は本当にお疲れ様」
俺たちは軽く頭を下げて会社を後にした。
「次元くん、タクシー捕まえてくれる? もう駅までも歩きたくない……」
俺も同じ気持ちだ。
いまは一刻も早く布団に入りたい。
隣にいる紗々は俺の体にもたれかかり、ほとんど意識が落ちている。
帰宅ラッシュの中、辛くも空席のタクシーを見つけて呼び止める。
三厨さんは助手席に入り、俺たちは後部に乗り込む。
「行き先は……」
「みくりんも今日はウチに泊まっていきましょう」
寝ぼけ眼の紗々がむにゃむにゃと言う。
「え、でも……」
「今日はみんなで一緒にいたい気分です」
「じゃあ、お邪魔しちゃおうかなあ」
そう言って俺は紗々の住むマンション名を口にする。
「やったあ。みんなで川の字になって寝ましょう……」
と言い、紗々は俺の膝を枕に寝落ちていった。
「俺は一緒のベッドに入らねえよ」
「えー、私は別に構わないよ?」
三厨さんがとろんとした目付きで振り返る。
流し目がセクシー……なんてことはなく、目の下には深い色のクマができている。
「俺が構うんですよ」
「次元くんが同じベッドに入れば、両手に花だよ?」
「川の字で真ん中になるのは俺ですか。てっきり紗々かと思ってました」
「さーちゃんが真ん中だったら、私がママで次元くんがパパってことになるけど?」
「あははは、熟女には興味ないんで」
「てめー次言ったら脳漿ぶちまけるかんな~」
それからいよいよ会話する体力も無くなり、俺たちは家に着いた記憶も定かでないまま泥のように眠った。
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