2-5 苛立ちの理由

「行きたいなら、お前だけで行け」

「え、でも……」


「見に行きたいんだろ、俺は別に行きたくねーし」

「……っ、なんで、そんなこと言うんですか」


「俺は見たことあるし。そんな行きたいなら、ひとりで行けばいい」


 なに言ってんだ、俺?


 おかしなことを口走っているのはわかる。

 でも頭の芯がじんと痺れ、二人の会話をどうしても受け入れられない。


「はあ、ちょっとやり過ぎたかなあ……」

 あいにぃが小さく息をつき、頭をガシガシと掻く。


「オムライスおいしかったよ、でも今日はもう帰るわ」

「えっ?」


 外はまだ大雨だ。

 でも早く居なくなって欲しい、顔も見たくない。


「せめて、雨が止むまでは……」

「いーよ、気にしないで。今日は和平の顔を見に来ただけだから?」


 ヘラヘラと笑いながら、俺の顔を覗こうとする。

 無視だ、無視。


「あ、サシャ。最後にこれだけ」

「なんですか?」


 あいにぃは紗々の耳元に口を近づけ、小さくなにかを囁きかけた。

 瞬間、紗々の顔が真っ赤に染まり、指先をもじもじと合わせだす。


 ――その表情に、頭の痺れが真っ赤な炎に変わる。


「二人ともうまいことやれよ? 和平もまた連絡すっから」

「……帰るなら、早く帰れ」


 暴れ狂う感情を殺し、出来るだけ平らな声を出す。

 あいにぃは「こわー」とだけ言い残し、まだ暗い街へと姿を消した。



 場に残るのは、重苦しい空気。

 俺はリビングの端で背を向けて座り、後ろには紗々の僅かな息遣いが聞こえる。


 なんでこんなことになったんだろうか。

 下手を言った自覚はある。


 でも謝れない、絶対に謝りたくなんかない、いまはそれだけしか考えられない。


 ……なんだよ、紗々のヤツ。

 イケメンは怖い、陽キャは敵とか言っといてさ。


 あいにぃみたいな男に声かけられたら、結局いい顔するのかよ。


 思い返すだけで、胸が掻き毟られる。

 去り際、あいにぃはなにかを耳打ちしていた。


 きっとそこら辺の女に囁く、甘言でも囁いたんだろう。だから紗々も頬を染めた。


 面白くない。全然、面白くない。


 普通の女と変わらない紗々の反応が面白くない。

 誰の心でも簡単に掴む、あいにぃの存在が面白くない。


 俺の後ろにいるくせに、なにも言ってこない紗々が腹立たしい。

 こうして紗々に話しかけられるのを待つ俺が腹立たしい。


 大事にしてきた物が、急にくだらないモノになったような失望感。


「……あいにぃに、なに言われたんだよ」

 痺れを切らし、こちらから話を振る。


「どうせ二人で食事行こうとか、そんなとこだろ」


 言葉の棘を取り繕えない。

 脳裏に紗々の涙ぐんだ表情が浮かぶ、でも止められない。


「言わなきゃ、だめですか」


 消え入りそうな声。

 もったいぶる理由を想像し、苛立ちが募る。


「言えよ」

 ブルームのことも、明日からの関係も、どうでもいい。


 ただ紗々にあんな顔をさせた理由だけしか、いまは興味がない。

 どんな言葉が紗々をそんな簡単な女に変えるのか。


「……るな、って」


「聴こえねーよ」


「…………カズくんは嫉妬してるだけだから、気にするなって」


「え?」


 予想外の答えに、つい振り向いてしまう。

 すると後に立ち尽くす紗々は……頬に手を当て、顔を真っ赤にしていた。


「カズくんは、わたしを取られたらイヤなんだって。だから拗ねて、怒ってるって、お兄さんが……」


 ――自分がなにを考え、なに恐れていたか、回らない頭で考える。

 あいにぃはイケメンで、音楽をやっていて、ほっといても女性の方からやってくる。俺とは住む世界が違う人。


 そんな勝ち組な男と紗々が、近づいていくのがなぜか恐ろしくて仕方がなくて……


 スマホからピロリン、と間抜けな音。

 俺たちの視界に、トーク内容が表示される。


『身内の惚れた女に、手なんか出さねーよ。バカ』

「――っ!」


 顔が燃えるように熱くなる。


「ほ、惚れてねーしっ!」

 誰に言うでもなく、声を荒げる。


 俺が紗々に、惚れてる!?

 確かに俺と紗々は男女で、何度も泊まってはいるけどっ!


 そもそも泊まってるのは帰るなって言うから仕方なく従ってるだけだし……でも、従ってるのは俺が紗々に惚れてるから?


 いやいや、違う!

 帰らないのは紗々の機嫌を損ねたくないから!


 こいつは寂しがりだから、こんな俺でも近くに置いておきたいだけだ!

 それを惚れてるとか、恋人とか、男女のそれに括るなんて短絡的だろ!?


「紗々も……あいにぃの言ったこと本気にするなよな!?」

「そ、そうですよねっ! カズくんがわたしのこと好きになるなんて、ありえませんよね……」


 紗々は肩を落としながら言う。


「別に嫌いじゃ、ないけど……でも好きかって言われても、わかんないし」

「……好きかもしれない、ってことですか?」


「わかんねぇよ、そんなの。人を好きになったことなんて、ないし」

「そんなの、わたしだってありません。友達すらいませんでしたし」


「俺だって、友達どころか記憶もないし……」

 なぜか不幸自慢の様相を呈し始める。


 こんな時、どういう話をすればいいのかわからない。

 というか紗々とこれまでどんな話を過ごしてきたのかも思い出せない。


「でも、カズくんがわたしのこと好きだったら……嬉しいです」

「そ、そうなのか?」


「もし好きだったら、わたしはカズくんの初恋ってことですか?」

「そう、なるな」


「……わぁっ」

 紗々が小さな声を漏らし、自分の顔を両手で覆う。


「な、なんで顔隠すんだよ」

「恥ずかしいからですっ」


「俺に好かれたら、紗々は恥ずかしいのかよ」

「ち、違います。……わたしを好きかもしれない人に、顔を見られるのが恥ずかしくて」


 そう言われて俺も顔を逸らす。

 もし自分の顔に「紗々が好き」なんて書いてあったら、恥ずかしすぎる。


「カズくん、さっき怒ってましたよね」

「……怒ってねーし」


「ウソです」

「ウソじゃねーよ」


「嫉妬したんですか?」

「してねえって!」


 燃えるように顔が熱くなり、恥ずかしさからまた紗々に背を向ける。


「もし嫉妬して怒ってくれたなら、嬉しくてどうにかなってしまいそうです」

「なんで怒られて嬉しいんだよ、変態かよ」


「はい、わたしは変態かもしれません」

 背中にとすんと、寄りかかる気配。紗々と背合わせの恰好になる。


「でも、ひとりで演奏見に行けって言われたとき、泣きそうでした。……なにか悪いことを言って、怒らせて、嫌われたのかもって怖くなりました」

「それは……ごめん」


 紗々は抗議するように背中に体重をぐぐっとかける。

 咎人は黙って罪の重さを受け入れる、軽いけど。


「……いまも、怒ってますか」

「全然」


 荒れた感情は消え失せていた。

 さっきは積み上げたものが、全部崩れ去ってたような気持ちだったのに。


 落ち着いて考えればそんなこと起こるはずないってわかる。

 こうして小さな重みを感じてだけで、バカみたいに心穏やかになってしまう。


「わたしがお兄さんに取られると思って、怒っちゃったんですか」

「……知らね」


「弱音ばっかりのわたしに、ここまで付き合ってくれたカズくんを放って、お兄さんを好きになったと思っちゃったんですか?」

「少し」


「……カズくんの、バーカ」

 子供みたいな、拙い罵倒。


「そんな風に思われたら、わたしのほうが怒ってしまいそうです。……でも、カズくんはそうなるのが怖かったんですね?」

「違うし」


「安心してください。わたしはどこにも行きませんから」

「聞いてないし」


「じゃあ、わたしがお兄さんのこと好きになったらどう思いますか?」

「絶対、イヤだし」


「……ふふ、なりませんよ。あんなちゃらちゃらした人」

「なに笑ってんだよ」


「だってカズくん。イヤとか言って、かわいいです」

「今日のお前、めっちゃうざい」


「だって、嬉しいんですもん」

「わけわからん」


 後ろの重みが左右に揺れ、俺もつられて体を揺らしてしまう。


「わたし、どこにも行きませんからね」

「なに言ってんだよ」


「カズくんが放っておいてくれなかったように。わたしだってカズくんのこと、放っておきませんから」

「……うん」


 それからしばらく互いの背をゆりかごにし、あてどもない時間を過ごした。





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