1-18 夕焼けの道化師
「やっちまった……」
本社を出た直後、その場にへたり込む。
ブルームの権利は全部あっちが握ってんだぞ?
それなのにあんな啖呵切ってどうするんだ??
最悪、話を持ち帰って次に繋ぐことも出来たのに、これじゃ俺が紗々とブルームを切り離したと言っても過言じゃない。
横に立つ紗々の顔をちらと覗く。
長い前髪に隠れて表情は窺えない、でも怒ってるに決まってる……。
「よかった、間に合った!」
突然かけられた声に振り返ると、息を切らした三厨さん。
「あああ……すいません。せっかくの機会を不意にしちゃって」
「いやサイコーだったよ! 言ってくれてスッキリした!」
そう言って三厨さんは親指を立てる。
「ダメに決まってるじゃないですか! このままじゃもう話し合いの機会も作ってもらえませんよ……」
「でも気持ちよかったっしょ!?」
「サイコーに気持ち良かったっす」
「ならオッケー!」
「いや、全然よくないでしょ……」
「ね、さーちゃんはどう思った?」
普段と変わらぬ様子で紗々に話を振る。
妙にテンションが高いのは紗々を気遣ってのことだろう。
だが三厨さんの言葉には応じず、黙って俯いたままだ。
勝手に三下り半を叩きつけたのを、よっぽど怒っているのだろう。
「……あー、ごめん。そろそろクソんとこ戻るわ」
ピコピコなり出したスマホを眺めながら三厨さんが嘆く。
小清水から戻って来いとお達しのようだ。
「もう少しだけ私のほうもアイツと話してみる、だからさ……」
三厨さんは顔を近づけて耳打ちする。
「さーちゃんのフォロー、お願いね?」
そう言ってウインクをし、手を上げて本社に戻っていく。
颯爽という言葉がよく似合う人だ。
そんな爽やかな後ろ姿をいつまでも眺めていたい……が、俺にもやるべきことがある。
「……歩くか」
隣に立つ姫にお伺いを立てる。が、うんともすんとも言わない。だが会議室から繋いだままの手が解かれることはなかった。
「近くに公園がある、ベンチにでも座ろう」
俺は無言を同意とみなし、その場所まで手を引いていく。
---
オレンジの陽光を浴びて煌めく高層ビル、下道に落ちる濃密な影。
そのコントラストは都心でしか見られない人工的な美しさ。
空には薄っすらと満月が浮かび、前髪を揺らす風の冷たさは秋の深まりを感じさせる。
「なにか飲みたいものないか?」
近くの自販機前で立ち止まる。
だが紗々はいまも俯いたまま。
仕方ない、ここはお助けキャラを召喚するか。
「ブルーム、お前だったらなにが飲みたい?」
「……ええっ、ここでボクに振るの?」
しばらく沈黙を保っていたブルームが、缶バッジ越しに応える。
「お前ならママの心がわかると思ってさ」
「おい! カズがママってゆうんじゃねえ!」
ブルームがおどけて答えてくれる。
……ああ助かる、この場にはお前の持つ軽いノリが必要だ。
「ボクが答えていいのかわかんないけど……ミルクルで」
「おっけ、じゃあミルクルとお茶を買うからな。ミルクル飲みたくなかったら、紗々がお茶飲めよ?」
俺は片手で財布を出し、ミルクルと烏龍茶を買う。
近くにあったベンチに紗々を引っ張り、腰掛けながら沈んでいく夕陽を眺める。
紗々には何度か飲み物を勧めたが、首を僅かに振ったきり動かない。
だが仕方ないのかもしれない。
あんな自分勝手なことをされたら、口だって聞きたくないだろう。
愛層を尽かされてしまったのかもしれない。
……そもそも、持たれる愛層なんてあったのかも怪しい。
出会ってまだ一週間。
友達や兄妹みたいな強固な繋がりはないし、互いに情を育ててきたわけでもない。
俺は四次元存在からの最重要任務に従ってるだけの冷たいヤツ。
紗々にしてみれば手を差し伸べられた事実は理解できても、差し伸べられた理由は理解できないのだ。
俺は自分のことをなにも話していないのだから。
地に足のついていない男がふらふらと現れ、協力したいと言われても誰が信用できるだろうか。
そしてこんな適当な男だから、急場で自分の感情を優先させ、すべてを台無しにしてしまったんじゃないだろうか。
紗々にこんなイヤな思いをさせてしまったのは……俺だ。
――そんなことを考えていると、口は勝手に言葉を紡ぎ出していた。
「実は俺、記憶喪失なんだ」
繋いでいた紗々の手がピクリと動く。
「高校生の頃。交通事故が原因で記憶を失い、医者には記憶を取り戻すことはないと診断された」
いまさらそんなこと口にしても、信頼を取り戻せるなんて思っていない。
いや、信頼を取り戻したいから話すわけじゃない。
……俺はきっと紗々に聞いて欲しいだけなんだ。
「両親も最初は甲斐甲斐しく見舞いに来てくれたけど、元の人格とは別人だ。だからきっと自分の息子と思えなくなったんだろうな」
俺も両親のことを善良な中年夫婦としか思えず、戸籍謄本以外に俺と彼らを結び付けるものはなかった。
一ヶ月後に退院はしたが……俺には友人も、家族も、生き甲斐もない。
ただ
だがそんな俺の元に、一通のメッセージが届いた。
――キミには今日から私のお願いを聞いてもらいます♪
宛名は、四次元存在。
目指すところは、異なる次元間でも意思疎通できる世界を作ること。
俺には二次存在と会話するチカラがあった。
そのチカラを使えば、二次と三次の隔たりを越えることができる。
協力する理由はなにもなかったが……拒否する理由もなかった。
だって俺はこの時、生まれて初めて人に必要とされたのだから。
「生まれて約二年、ずっと四次存在に言われた任務をこなしてきた。今回の任務は……紗々からブルームを引退させないこと」
仕事だから紗々に手を差し伸べた。
そう言われなければ、紗々に協力なんてしなかった。
「……ガッカリしたよな?」
自虐的な笑いが零れる。
「そのくせ最後は自分で台無しにする。ホント、最低だよな」
ピンチに駆けつけたヒーローのつもりだったのだろうか。
本当は承認欲求に餓えた、空っぽの人間だって言うのに。
「だから、ごめん」
「……なに、謝ってるんですか」
その時、紗々がようやく口を開いた。
感情の見えない、低い声で。
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