1-19 探るような距離間で
「……なに、謝ってるんですか」
久しぶりに口を開いた紗々は、低い声でそう言った。
「だって紗々、なにも言わないから」
「黙ってたら、怒ってたことになるんですか」
「いや……」
責めるような口調は、怒ってますと言わんばかりだ。
俺はどうしたらいいかわからず、はらはらと次の言葉を待つ。
だが紗々の呟いた言葉は、予想と随分かけ離れたものだった。
「……嬉しかったんです」
え?
「わたしのことで、あんなに怒ってくれたことが、嬉しかったんです」
紗々は俺の腕にしがみつき、額を擦り付けた。
「わたし、ずっと思ってたんです。プロデューサーの言うように、陰キャが声優なんて間違いなんじゃないかって」
それは俺が先ほど小清水に怒鳴りつけた言葉だった。
「でも言ってくれました。わたしは悪くないんだって、コミュ障なのは運が悪かっただけだって。人付き合いが苦手でも声優をやっていいんだ。……そう言ってくれたのが、嬉しかったんです」
拙い言葉で、ごしごしと顔を腕に押し付けながら、自分の思いを口にしてくれる。
「でも、いくらなんでも甘やかし過ぎです。声優はやっぱり縦社会ですし、明るい人のほうがいいに決まってます」
「……どうだろ、俺はぐずぐずの白なめくじも嫌いじゃないけど」
「だからっ、そういうのがダメなんです。甘やかすと調子に乗って、もっとぐずぐずになるんですから」
紗々は力無い拳で、肩をぽかすかと殴ってくる。
「本当はもっと厳しくされないとダメなんです、じゃないといつまでたってもクソザコメンタルのままなんです」
「お前は頑張ってるだろ」
「頑張ってません!」
「あんなに怖いプロデューサーに立ち向かったし、ブルームのために居心地の悪い事務所に戻るとも言えたじゃないか」
「でも結局ブルームに戻る約束はしてもらえてません……」
「それは俺が上手くやれなかったからだ。ごめん」
しがみつく頭に、指を触れる。
「……なんでそんなに優しくするんですか。このままだとひとりでなにも出来なくなってしまいます」
「ひとりじゃないだろ。ブルームに三厨さん、それに俺だっている」
「本当ですか」
真っ直ぐな両の目が俺を捉える。
「わたしのこと、イヤになりませんか?」
「なるかよ、なんでそんな風に思うんだよ」
「だってわたし、めんどくさいじゃないですか。ツギモトさんにいいことなんて、ひとつもないじゃないですか」
「そんなことない」
上手く言葉になんてできない。
熱に浮かされたような、ふわふわとした気持ちが胸を包む。
こんな空っぽの俺の言葉を嬉しいと言い、ぐしゃぐしゃに袖を引く、小さくて大きな存在。
「……ミルクル、飲むか」
「はい」
紗々はようやく腕から頭を離し、瓶の蓋を開けると一息で飲み干してしまった。
「ぷはっ」
「いい飲みっぷりだ」
そう褒めると、紗々は自信に溢れた笑顔で言った。
「わたし、やっぱりブルームやめたくありません」
「そっか」
「話し合いは失敗でも、今日は自信をもらえました。やっぱり声優を続けたい、続けてもいいんだって、そう思えました」
「ごめんな、台無しにしちまって」
「もともと台無しになっていた話です。ツギモトさんが来てくれなかったら、わたしはいまも暗い部屋でぐずぐずになっていました」
「……なら、そんなに悪くない一日だったのかも、な」
「はい、ツギモトさんのおかげです」
すっかり藍色に染まった空の下で、慎ましく微笑む紗々。
人ひしめき合うこの世界でひっそりと生きる、力強くて大きな存在。
そんな紗々が頼ってくれている……その事実が俺の背筋を少しだけ伸ばしてくれる。
「次の方法、考えないとな」
「はい、まだなにも解決してませんから」
もうネガティブな気持ちはなくなっていた。
「……二人とも、まだあきらめてないんだね」
呆れたように呟く、ブルームの声。
「あきらめるわけがありません、ブルームもちゃんと心を強く持ってください」
「一回の失敗じゃ、落ち込んでられないからな」
先ほどまでの自分を棚に上げ、殻を破る意気で言う。
「三次のヒトは、強いね」
「別に二次も三次も関係ないさ」
ブルームには紗々に無理をさせたくないという思いがまだあるのだろう。
だが紗々にはもう覚悟ができている。
あとはブルームも紗々を信じて、応援してくれるだけだ。
「さて……次の手を考えるか」
「わたしも頑張って考えます。だからこれからもお願いします……カズくん」
――なにやら聞き慣れない言葉が耳を掠めた。
「カズ、くん?」
聞き返すと、紗々が慌てて視線を逸らす。
「だって、わたしたち同い年じゃないですか。それなのにわたしだけ下の名前で呼ばれるなんて……ずるいです」
口を尖らせて言う。
カズくん。
紗々らしい、慎ましい呼び方。
「……ずるいのは紗々のほうだろ」
「全然ずるくありません、スポーツマンシップに則っています」
紗々は腕にもう一度しがみつくと、また大人しくなって俺の肩に寄りかかった。
「もう少し、このままでもいいですか」
「……しょうがないな」
問題はなにも解決していない。
だが、もう失敗はしたくなかった。
理由は、見つかった気がした。
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