1-16 打たれた先手
「パワハラとは、穏やかじゃありませんね」
対面の小清水が眉をひそめる。
「同僚の陰口に同調した部署異動なんてパワハラ、もとい職権乱用です」
「……少し、勘違いをされているようですね」
骨張った顔を上げ、小清水がゆっくりと口を開く。
「一ノ瀬くんの部署異動は本社の決定です、我々の決定ではありませんよ」
「じゃあ紗々を守ってください、あなたは抗議できる立場の人間でしょう?」
「もちろん意見はしました、ですが幣事務所は新設されたベンチャーです。本社の援助なく事業は続けられず、発言力も強くはありません」
「それをなんとかするのがトップの役目だと思いますが?」
「はい、お力添えできず申し訳ございません」
さして申し訳なくもなさそうに答える。……このタヌキ野郎が。
「ですので、我々も待遇面には色をつけさせていただきました……三厨、これを」
小清水がバッグから資料を出し、三厨さん経由で俺たちにも回す。
そこに書かれているのは紗々への支給履歴と、異動先の給与条件だった。
これまでの固定給プラス、視聴者からの投げ銭――スペシャルチャットに合わせて、動画の総視聴数に応じた広告収入。
そこから事務所の取り分を引いて計算した結果……え、マジ?
こいつこんなにもらってんの……?
「当方としても一ノ瀬くんを解雇するつもりは毛頭御座いません、にこたまブルームを育て上げた有能な社員です」
小清水はヘタクソな笑顔を紗々に向ける。
「現在の収入とはさほどない形での異動になります。ライバーは安定した職種とは言い難いものです、人気が落ちればその分、お支払いできる額も下がります」
そして異動先の条件は、一番稼いだ月と変わらない額が提示されている。
「手前の都合で勝手な異動が決まり、申し訳なく思っております。ですがご家族にご安心いただける条件は用意できたとは自負しております」
ぐっ……。
俺は言葉に詰まってしまう。
今日は無条件の味方でいられる紗々の家族として来たが、それを逆手に取られた。
仕事を応援する家族であっても、わざわざ苦労させる道を勧めようとは思わない。
楽に稼ぐ方法が確立されてるならそっちを勧めるに決まってる。
「……なに、これ」
三厨さんもその資料は初めて見たのか、目が釘付けになっている。
「プロデューサー、これ本当に本社が出した条件なんですか?」
「ああ、私としては君にも褒めてもらいたいくらいだよ」
低い声で笑う小清水。
「……前にも言いましたよね? 演者の変更はファンがついて来ない、他社で何度も同じ事例があったじゃないですか!」
「ウチが初めて成功させればいいだけだ」
「無理ですよ、少なくともリスクの高い方に舵を取る理由はありません」
「でもこのままではブルームとの
「これが多少じゃないから私は何度も進言してるんです!」
マズイ、三厨さんがヒートアップしてきた。
一度場の空気をリセットしたい。
俺は話の軌道修正を図るため、口を挟もうとしたが――先に手を挙げたのは紗々だった。
「どうしても、わたしが残ることはできませんか?」
対面の二人が同時に紗々の方を向く。
「わたしは最後までブルームをやっていきたいんです。……もう少しだけチャンスをくれませんか? できることなら、なんでも協力しますから」
そんな紗々に、小清水はため息交じりに言う。
「君に……なにが出来るんだ?」
聞くものを不快にさせる、苛立ちの滲む言葉。
「五十嵐が抜けてから、事務所の空気はすっかり悪くなってしまった。私にはそれ早く改善する義務がある」
五十嵐とはおそらく、ホムラの演者のことだろう。
ホライゾン一期生として立ち上げから事務所を盛り上げてきた、リーダー的存在。
「一ノ瀬くんはなれるのかい? 五十嵐がしていたように、チームホライゾンとしてみんなをまとめ上げる存在に」
「それは……」
無理だろう。演者たちは紗々に一方的な反感を持っている。
それが解決できないから、こんな話しになっているんだ。
「こんなこと言いたくはないが、一ノ瀬くんの立場はよくない。それでもホライゾンで活動を続けたいと本気で思ってるのか?」
「……はい」
口では肯定したものの、どこかその言葉に弱さを感じてしまう。
「それはどうして?」
「ブルームでいることが、楽しいからです。それに……リスナーさんを裏切りたくは、ありません」
「裏切られたと思うかはリスナーが決める。それに楽しいなんてのは君の個人的感情でしかない。私たちはビジネスをしているんだよ?」
「プロデューサー、その辺でいいじゃないですか。私たちだって代わりを立てるより、紗々ちゃんが続投できる理由を探すべきです」
「だがもう本社指示は出ている、捻じ曲げるにはよっぽどの理由が必要だ」
……イライラする。
こいつが全部決めていることはとっくに透けている。
そのくせ都合の悪い時だけ本社、本社と責任転嫁するもんだから腹が立って仕方がない。
だが俺たちはどうあっても小清水に頼み込むことしかできない。
ブルームを運営するための知的財産権は、ホライゾンが握っているからだ。
たまにSNSでライバー本人が「運営がブラック、やりたくない演技と仕事ばかり、給料安い」なんて呟き、同情したファンが企業を炎上させることがある。
だがそんなことをしても意味はない。ますます運営は演者への不信感を高め、運営は問題の対応に追われる。
事務所にはケチが付き、名前が地に堕ちれば事務所は採算合わずに事業を畳むだけ。親とケンカした子供が自宅に火を点け、勝手に家なき子になるようなものだ。
「一ノ瀬くんはそんなにライバーを続けたいのかい」
「はい」
「だったら個人で始めたらどうだろう?」
「……わたし、個人で?」
「ああ。君たちは私や本社とは違って一ノ瀬くんの能力を高く買い、そこに人気があると踏んでいる。だったらブルームにこだわらず個人で新しいブイチューバーを始めればいい。違うかい?」
すぐに許可はできないが、と付け加える。
「君の実力が本物ならブルームの
「それは……」
三厨さんは難しい顔をする。
きっとこれまでも考えて来なかったわけではないのだろう。
現にホライゾンに戻らない提案もされている。
いま協力してくれているのも、紗々の気持ちを尊重してくれていることが大きい。
三厨さんにもブルームに愛着はあるはずだ。
キャラデザを務め、成長をその目で見てきた子供なんだから。
だが紗々の考えるブルーム像とは一致しない。
紗々にとってブルームは、親友で、家族で、もう一人の自分だ。
俺たちは二次存在が生きた魂を持つ、ひとつの命であることを知っている。
代わりなど、天地が返ろうと存在しない。
「……わたしはライバーで、いたいわけじゃ、ありませんっ。一緒に歩んできた、ブルームでいたいだけなんですっ!」
怒りなのか、恐れなのか。
紗々は震える体を抑え、一回りも歳上の小清水に抗議する。
だが小清水はさして面白くもなさそうに、鼻で笑った。
「だとしたら、それはもうワガママだよ」
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