1-5 世間知らず同士
明け方に寝た紗々は、それから半日ほど爆睡していた。
ブルームは俺が家に残るとわかった途端、
「ママがいないとつまんな~い」
とか言って姿を消してしまった。薄情にもほどがある。
現れたり消えたりする仕組みはまだわかっていない、まあわからないと困ることもないので、それはおいおい考えていけばいい。
急に他人の家にひとりになった俺は、空いた時間でにこたまブルームの動画をずっと眺めていた。
中身は普通に面白かったし、何度か声をあげて笑ってしまった。
リスナーをイジり、コントを披露し、ハイテンションで大騒ぎ。
反面、歌ってみたシリーズはだいぶガチめで、カッコイイ曲調をチョイスすることが多かった。
あんなに大人しそうな見た目なのに、挑発的なラップ歌ったりしているのだ。声優という職業はすごい。
だが、半日という時間は長い。
すべての動画を見ても時間が余ったので、勝手に部屋を掃除をすることにした。
汚部屋……とまでは言わないが、あまり生活能力を感じる部屋ではなかった。
部屋にはゴミ箱が見当たらず、ゴミ袋が口を大きく開いていて、カップ麺の容器と割箸がそのままにたくさん突っ込まれていた。この説明ですべてを察して欲しい。
締め切られていた雨戸の外には、見晴らしの良い景色。
ははは、我らが千代田区がミニチュアのようだ。
遠くに薄っすらと東京タワーも見える。百万ドルの夜景、とは言わないが一万ドルの価値くらいはあるだろう。
いや、待て。それだと百万円くらいある。
正確に換算したら……と、くだらない計算をしていたら八百四十ドルくらいという結論に辿り着いた。心底どうでもいい。
と、そうこうしている内に紗々が目を覚ました。
「おはよう」
「あ、えっと、おはようございます……?」
寝ぼけた顔で目を擦っている。
「まだ、いたんですか」
「ブルームに引き止められてな。それより風呂沸かしといたから入ってこいよ、さっぱりするぞ」
紗々はそれを聞いて頭にハテナマークを浮かべている。
「……用意してくれたんですか?」
「迷惑だったか?」
「いえ、そんなことありませんけど……」
と、紗々はなにか難しい顔をしている。
「わたし、昨日どうやって寝室まで戻ったんでしたっけ」
「俺が運んだ」
「……えっ?」
「お前、床で寝るんだもん。でも軽かったぞ」
紗々は瞬間、頬に手を当てて顔を真っ赤にする。
「え、ツギモトさんが運んだって、それにお風呂って、えっ、えっ!?」
「風呂くらい入れよな、あとゴミの分別はしとけ」
「――っ!」
紗々はそのままなにも言わず、部屋を出て行ってしまった。
脱衣所のほうで閉まった音が聞こえたので、おそらく浴室に行ったのだろう。
「……カズ~、ああいうの女の子に言っちゃダメだぞ?」
ブルームがひょいと表れ、残念そうな顔で言う。
「ああいうのって?」
「だから、風呂入れ~とか」
「しょうがないだろ、クサかったんだから」
「……はあ、カズってホンット、そういうとこあるよな」
「だからお前は俺のなにを知ってるんだよ」
昨日今日の知り合いにそんなこと言われる筋合いはない。
そんなことよりメシだ。
紗々も起きたことだし出前でも取ることにしよう。
冷蔵庫の中は絶望的になにも入っていなかったし、いまから買い出しに行くと結構かかる。俺は動画でブルームが言っていたことを思いだし、宅配寿司に電話をかけた。
---
「あの……お風呂、ありがとうございました」
「自分ん家の風呂だろ、礼なんて言わなくていい」
「いえ、用意をしてくれるとは思ってなかったので……」
頬を上気させた紗々がおずおずと言う。長い髪はまだしっとりと濡れていた。
だが俺の目を一際引いたのは、紗々が羽織っている……猛虎のスカジャンだった。
銀髪の少女が部屋着にするにはあまりにミスマッチが過ぎる。ツッコミ待ちなのだろうか?
「……なに、虎のファンなの?」
とりあえず聞いてみる。
「いえ、かわいかったので通販で注文しました」
かわいいと来たか。
最近の女子は少しブサイクなものでもキモカワイイというジャンルに括り、自分の好みを正当化させると聞いたことがある。紗々もそのクチということか?
「というか、この虎って元ネタがあるんですか?」
「お前、そんなこと西で言ったら道頓堀に突き落とされるぞ」
むしろ球団すら知らなかったらしい、仕方ないのでそうと教えてやる。
「この子、野球チームのマスコットだったんですね」
「間違ってもこんなの着て外出するなよ。虎仲間に見つかったら選手の話とか振られて、上手く合わせられないと『あーこいつニワカだ』みたいな蔑みの視線を向けられるからな」
「え、なにそれ。こわいです」
「野球トークは陽キャ&リア充の共通言語だ。これが話せるかどうかで交友関係の幅がまったく変わって来る」
「それ、わかる気がします」
紗々が食い気味に乗ってくる。
「バラエティ番組とか、お笑い芸人にもみんな詳し過ぎます。なんで彼らはテレビを見てるのが前提で話をするのでしょう、意味がわかりません」
「それな。二十歳にもなると今度は飲みニケーションとか、タバコミュニケーションも始まるらしいぞ」
「おそろしすぎます、みんなで体を悪くしてなにが楽しいんでしょうか」
紗々は真面目な顔でうんうんと頷いている。
ここまで同意を得られるということは、きっと紗々もそっち側の人間ではないのだろう。
「でも意外ですね。ツギモトさんは野球とか好きなほうの人種だと思ってました」
「人種て」
まあ、俺たちと彼らには決して越えられない人種の壁があるのは事実だ。
彼らに混ざるために共通の話題を得ようとしても、心からその話題に興味を持たなければ付け焼刃にしかならない。
結局、興味がなければこちらが飽きてしまい、彼らの仲間入りを断念することになる。
「ツギモトさん、スポーツとかやってそうです」
「タッパが人よりあるだけだろ」
「二メートルくらいあるように見えます」
「そんなねーよ、せいぜい百八十センチくらいだ」
「わたしより物差しひとつ分も大きいです。それなのにプロ野球の民じゃないんですか?」
「それはそれで偏見だな……」
身長高ければ紗々の中では誰でも野球の民になるのだろうか。
「でも野球のルールは知ってるんですよね?」
「まあ、それくらいは」
あまり自信はないけど。
「じゃあ教えてください。バッターがボールを打てないと、ストライクになる時とボールになる時があるじゃないですか。その違いってなんですか?」
「なんだそんなことも知らないのか」
簡単な質問だ、胸を張って答える。
「ピッチャーはな、バッターに親切な位置にボールを投げないと、ストライクが取れないんだよ」
「なるほど! じゃあアウトになった野球選手はどうなるんですか?」
「引退するに決まってるだろ」
「なんと! ずいぶんと重い処置ですね」
「そりゃバッターは点を取りに来てるんだ、打てなかったら戦力外通告を出される」
「勝負の世界は厳しいです」
紗々はむむ、と難しそうな顔をする。
「……じゃあ世界のオウサダハルって、どのくらいすごいんですか?」
「世界のって言われるくらいだから……ストライクなんて取られたことないだろ」
「すごいです、それは世界です!」
紗々が手を叩いて驚く。
……だが俺は次第に自信がなくなってきた。
だってアウトになったら引退なんだろ? だったらプロになる前に引退にならないか?
いや、プロになってからのアウトが引退なのか?
今度、思い出した時にルールをちゃんと読んでみよう。
その時、インターホンが部屋に鳴り響く。ようやく宅配寿司が届いたらしい。
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