1-2 へっぴり腰の、合いのこ声優

「会いたかったよ、ママーーっ!」


 嬉しそうに抱き着くブルームに対し、ママと呼ばれる少女は目をグルグルと回し、口をパクパクさせている。


 茫然自失。

 ブルームの姿も、俺の姿も目に入っていない。


「ボクね、ママとお話したいことがたくさんあったんだよっ!」


 ご機嫌で話しかけるブルーム。

 だが当のママは痙攣したように体を震わせ、現実世界に帰ってきていない。


「あのさ、ブルーム」

「なに!? いま取り込み中なんだけど!」


「ママに迫ってるピンチ、ってなんだよ?」

「…………あ~」


 ブルームは考え込む仕草を見せた後、ぼそっと言った。


「じゃ、洗面台」

「は?」


 少女に抱き着いたまま、ブルームはめんどくさそうに言う。


 ていうか「じゃ」ってなんだ。


「洗面台の水道だよ、昨日から出しっぱなしになってるの」


「それが、なんだよ?」


「このままじゃ水道代が大変なことになっちゃうから、早く止めてきてって言ってんの~」



 玄関横にある脱衣所、そこには確かに洗面台があった。


 ブルームの言う通り、洗面台の蛇口からは貴重な水資源が排水溝に吸い込まれていた。


 ……ちろちろと、音を立てながら。


 ハンドルを回すと、半回転もせずに水は止まった。……なんだそりゃ。


 脱衣所を見回す。

 特に不思議なところはなにもないが、ハンガーにブルームの姿を刺繍したバスタオルがかかっていた。


 ああ、だから気付いたのか。

 もう急ぐ必要がないと悟った俺は、穿いたままだった靴を脱ぐ。

 慌てて入ったせいで土足だった。


 自分のケツは自分で拭く。

 脱衣所にあった雑巾を借り、自分の足跡を落としていく。


 むなしい。

 というか俺はまさかこの程度の用事で、呼びつけられたのか?


 確かに二次存在の助けに応じて欲しいとは言われている。


 でもこんな夜中に、全速力で自転車を走らせる必要はなかったんじゃないか?


 ……なんかイライラしてきた。

 これはひとつ文句を言ってやらなければ気が済まない。



「おいっ、ブルーム!」

「きゃぁっ!」



 呼びかけたブルームの代わりに、へたりこんだ少女が叫び声をあげる。

 どうやら意識を取り戻したらしく、少女は声を震わせながら言う。


「あ、あなた、誰ですかっ! なんで、わたしの家に、勝手に……」


 だが、その質問は俺の耳に届かなかった。

 だって俺は、その少女の姿に目を奪われてしまったから。


 透き通るような白銀の髪に、瑠璃色の瞳。

 あどけない顔立ちに、日本人離れした鼻筋の通った輪郭。


 肉付きの少ない肢体を纏っているのは、大きめのプリントTシャツに、グレーのスウェット。


 身長はブルームと同じか、それ以下。

 顔立ちから察するに高校生、いやもしかしたら中学生かもしれない。


「ちょ、ちょっと、聞いてるんですか……?」


「――綺麗な、髪」


「えっ?」


 思わず、口にしてしまっていたらしい。


 照明の光を弾き、肩をすっぽりと覆い隠す、とてもとても長い髪。


 へたり込んだ少女の足元には、滝つぼの水しぶきが如く、銀色の吹き溜まりが出来ている。


「ちょっとカズ~、ママが聞いてるんだから返事しなさーい!」


「え、あ、悪い。聞いてなかった」


 俺は少し熱を持った頬をぴしゃりと叩き、ブルームに抱き着かれる少女に目を向ける。


「あ、あなた。一体誰ですか、どうしてこんな夜中に」


「いや、あんたにピンチが迫ってるって聞いたから」


「……どちらかといえば、あなたが訪ねてきたことで身の危険を感じています」


 少女は後ずさりながら、訝し気な視線を送ってくる。


「ざけんな、俺はお前を助けに来たんだぞ」


「そんなの、頼んでません。それにあなた、とっても怪しい」


「怪しい? 俺が?」


「深夜に汗だくでハァハァしてる人が、怪しくないわけありません」


 確かに。


 ブルームに言われて勢いでここまで来たが、いまの俺ってどう見ても不審者なんじゃないのか?


 もしかして危ない目に合わせてるのって、俺なのか?


「警察に連絡します」

 少女はスマホを取り出す。


「ちょ、ちょっと待て」


「待てと言われて待つ人はいません」


「ほらブルーム、横にブルームがいるだろ!?」


 未だに少女の体に腕を回すブルームを指差す。


「そいつに言われたから、俺はここまで来たんだよ!」


「……ブルーム?」


 俺の指が指し示すのは少女の体に腕を回し、幸せそうに笑うブルーム。


 だが少女はぽかんと口を開け、不思議そうな表情を浮かべている。


 ……ま、まさか、少女にはブルームの姿が見えてないのか?


 だとしたら、どうなる?

 もしかしなくても俺、幻覚が見えてるヤバイ奴……?


 なんて思っていたがそれは杞憂だったようだ。



「う、うわわっ、なんかくっついてます!」



 少女はしがみつくブルームにビビりまくる。


 ていうか気付いてなかったのかよ。


 少女はブルームを押しのけようと手を伸ばすが……それは宙を掻くばかり。


「あれっ? なんで、この人透けて……」


「ふふん、それはね~? ボクはこの世界の住人じゃないからねっ」


 そう言ってブルームは立ち上がり、後手を組んで得意げな表情を見せた。

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