優しい徳重まりあ
美々子さんのレコーディングが始まるとのことで、俺は丸内さんに駅まで送ってもらった。
丸内さんは家まで送ると言ってくれたが、さすがに何度も車に乗せてもらっては申し訳ないので、強引に断わったのだ。
時刻表を眺めていたところ、まりあさんから電話が来た。
「桜くん。今どこ?」
「えっと……」
俺は今いる駅の名前を伝えた。
「どうしてそんなところに?」
「まぁ、色々ありまして……」
「……相生さんのことでしょ?」
「……わかりますか?」
「わからないけど、適当に言ってみたら当たった」
やられた。
まりあさんの笑い声が聞こえる。
「私、ちょうど仕事が終わったんだけど……。そこならだいたい二十分くらいで着くし、迎えに行ってあげようか?」
「迎えにって……。まりあさん、車なんですか?」
「うん。そうだよ」
「車、持ってたんですね」
「言ってなかった?」
「はい。初耳です」
「そっか~……」
しばらくの沈黙の後、まりあさんが、そう言えば。と切り出した。
「明日は空君の最新話だけど……。桜くん、忘れてないよね?」
「……はい。もちろん」
嘘だ。忘れてた。
怒涛の一週間だったので、許してもらいたい。そう言えば明日は月曜日だったよな。
「よかったら、私と一緒に見ない?」
「出演者と一緒に見るんですか……。なんか、変な感じしますけど」
「嫌なの?」
「嫌というわけでは、ないですけど」
まりあさんにも、きちんと話をしないといけない。
俺が今、人と恋愛できる状況ではないということを。
それを知ってもまだ、まりあさんは、俺と一緒にドラマを見たいと思うのだろうか。
「じゃあ、今から車乗るから。電話切るね?」
「あっ。はい」
ベンチに座り、空を見上げた。まだ明るい。季節を感じる。
初めて三人に会った時は、まだ五月だったんだよなぁ……。
なんて、意味の無いことを考えてしまうくらいには、ちょっぴり俺は疲れていた。
☆ ☆ ☆
「ん……」
また寝てしまった。メイと一緒にいる時も眠ったのに、しっかりしないと。
重たい瞼を擦ると、何やら柔らかいものに手が触れた。
「あ、起きた?」
俺の瞼の上に、誰かが手を乗せている。
誰か……。というか、一人しかいないけど。
「まりあさん……」
「何も見えないでしょ?そのまま眠っててくれてもいいんだよ?」
後頭部に、かなりの弾力を感じる。おそらくまりあさんの胸に、俺の頭が乗っかっている状態だ。
「大丈夫です。起きましたから」
「そう?残念」
手が離れ、こちらを覗き込んでいるまりあさんと目があった。
「……キスの空気感だね」
「違いますって」
俺は体を起こし、まりあさんから離れた。まりあさんは不服そうに、頬を膨らませている。
「なんで?いいでしょキスくらい。桜くんとは……。初めてじゃないんだし」
「そういう問題じゃないですよ……」
「隣、座って?何もしないから」
「……あの、まりあさん」
「なに?」
「話が、あるんですけど」
「……聞きたくないなぁ。桜くん、怖い顔してるから」
俺は自分の顔を触って、確認してみた。確かに、筋肉が強張っているかもしれない。
「美々子さんには、もう話しました。まりあさんにも話さないと、不公平だと思います」
「……へぇ」
「聞いて、もらえますか?」
「いいよ。でも、車の中にしようか」
まりあさんの車に移動した。可愛らしい軽自動車だ。
「ごめんね?小さい車で」
「いや。このくらいの方が、落ち着きます」
「そう?じゃあ……どうぞ」
まりあさんに促され、俺は母親の話をした。
母親の浮気。それに伴うトラウマ。
だから今は、誰とも恋愛ができないということを。
まりあさんは、ずっと真剣な表情で聞いてくれた。
「……そう、なんだ」
そして、話終わった後には……。少しだけ、涙を流してくれた。
「ごめんね?そんな事情があるのに、強引に迫って」
「そんな。気持ちはすごくうれしかったです。誰かにあれだけ好意を強く向けられたのは……。初めてだったので」
「相生さんは、泣いてた?」
「いや、むしろスッキリしたような顔をしてましたよ」
「……じゃあ、私も泣いてられないね?」
まりあさんが目元を拭った。
「そういうことなら、心配しないで。桜くんがその気になるまで、私はちゃんと待つから。きっと、他の人を好きになることなんて、無いと思うの」
「そんな。いつになるかもわからないのに」
「だって別に、こうして肌に触れたり……」
まりあさんの手が、俺の頬に伸びてきた。包み込むような感触で、触れられている部分が熱を持つ。
「こうして、頭を撫でたり……」
今度はその手が、頭頂部に移動し、優しく髪を撫でられている。
「本当のお姉ちゃんみたいな感じで、接することは、許してくれるよね?」
「……そのくらいなら。はい」
「だったら何も問題無いよ。別に桜くんが、誰かに取られちゃうわけじゃないし。むしろ、今は誰にも取られないなら。私だって焦る必要ないから」
……美々子さんと、同じセリフだ。
「そうやって、自分のトラウマを話してまで、本気で私と向き合ってくれたことが、何よりも嬉しいから」
これも、同じ。
二人は本当に大人で、優しくて。
「ありがとうございます」
頭が上がらない。そう思った。
「でも、そうかぁ。そしたら演技の練習はお預けだね。私、自分を制御できないと思うし」
「すいま」
「はいストップ。謝らない」
口を塞がれた。塞がれたというより、軽く手を被せただけではあるけれど。
「大丈夫だよ。空君スタッフは、今回の件で、色々乗り越えた。強くなった。みんなで力を合わせれば……。きっと、最終話まで、突っ走ることができるから。ここから先は、大人の頑張りどころ。ね?」
俺は頷いた。まりあさんが、優しく微笑んでくれる。
「だから、明日の最新話、一緒に見よう?」
もう一度頷いた。
「よ~し。良い子。大好き」
俺の頭を、軽くポンっと叩いた後、まりあさんは車を発進させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます