ハッピーエンドを目指して……。

「別人みたいですね」

「え?」


迎えに来てくれた丸内さんが、そんなことを言ってきた。


「目が違います」

「……褒められてるってことで、いいですよね」

「当然です」

「ありがとうございます」


でも、俺がこうして、本気で相手と向き合おうと思えたのは……。丸内さんのおかげだけどな。


恥ずかしいから、さすがに目の前で言うことはできないけど。


「今の野並さんなら、あの子をどうにかできるかもしれません」

「えっと……。どうにかっていうのは?」

「ハッピーエンドのことですよ」


ハッピーエンド。


俺たちの関係がどうなろうと、美々子さんが最高のヴァイオリニストになる。そういう結末だ。


「今から、相生さんのいるスタジオに向かいます」

「えっ。このままですか」

「どうせそのつもりだったでしょう?」


すごいな……。全部お見通しだ。


丸内さんが言い出さなくても、俺の次の目的地は、美々子さんのいる場所だったけど……。まさか、直接行くことになるとは思っていなかった。


「彼女一人で、スタジオを貸し切らせています。弾けそうになったらいつでも読んでくださいと、そう伝えてありますから」

「なるほど……」

「そして、野並さん。あなたは今、彼女のマネージャーです」

「……俺が?」

「はい。私は猫カフェに行きます。あのスタジオは結構人気で、予約を取るのも精一杯なんです。どれだけ頭を下げたことか。先ほど誰かさんに正体がバレそうになったせいで、中途半端にしか猫と触れ合うことができず、いまいちストレスが解消できていないのです」


有無を言わさない長文。表情こそ真顔だが、おそらく心の中では液体が沸騰しているところだろう。


「もちろん連絡があれば必ずすぐに反応します。ですが、それまではあなたがあのスタジオで、相生さんを支えるんです。いいですね?」

「はい。任せてください」

「……任せてくださいときましたか」


丸内さんが、驚いたように目を見開きながら、こちらを見た。


さすがに言いすぎたかもしれない。俺には何のプランも無いし、勝算だってあるわけじゃない。


……ただ、絶対に目を逸らさず、相手と向き合う。これを徹底する覚悟だけが決まっていた。


「あぁあと、盛り上がって、性行為に至った場合でも、しっかり避妊具は使用するようにしてください」

「なっ、い、いきなりなんですか」

「多いんですよ芸能界。そういう失敗が」

「そうなんですか……?」

「都市伝説です。信じるも信じないも、あなた次第ということになります」


そんな真顔で言われたら、冗談だと思う方が難しいだろう。


「相生さんはずっとひたむきに、ヴァイオリンに打ち込んできました。そういうことに対しての耐性が付いていません。あなたに頼まれれば、なんだって引き受けてしまうでしょう。いいですか?責任は全てあなたにあります。雰囲気に流されたなんて言い訳は通用しません。あと、相生さんの父親は弁護士なので、いくら野並家の資産が莫大だとしても、相手として分が悪いでしょう。ですので」

「わかってますよ!美々子さんに手を出すわけないじゃないですか!」

「スタジオの周りは何もありませんし、誰もいません。その気になれば完全犯罪も可能でしょう」

「……どんだけ信用無いんですか俺」


丸内さん、相当ストレスが溜まってるんだろうなぁ。完全にサンドバックにされてしまっている。


「それから、最後に一つ」

「なんですか?」

「相生さんの演奏を生で聴ける貴重さを、きちんと感じてください」

「……はい。それはもちろん」

「なんでそんなことを言うんだって顔してますね」

「すいません……」

「はぁ。あなたは本当に、察しが悪いというか。でもこういう人が、年上の女性には人気なのでしょう」


皮肉めいた言い方だった。でも、俺が最近出会った女性は、みんな年上だな……。もちろん関係の無い話だけど。


「簡単な話です。もし相生さんが、このスランプを乗り越えた時……。簡単に演奏を聴けるような人ではなくなってしまうからですよ」

「……なるほど」


レベルアップした美々子さんは、きっと計り知れない力を発揮してくれる。何年も一緒にいる丸内さんが言うのだから、間違いない。


「なんて、偉そうに言いましたが、それは私たちも同じです」

「どういうことですか?」

「彼女が海外に見つかった場合……。そこへ私たちはついていけませんから」


丸内さんが、少し切ない表情を浮かべた。


「あれ。でも丸内さん、美々子さんは、海外進出を考えていたって、言ってませんでした?」

「それはあくまで、CDを売るとか、海外でコンサートをするだとか、そういう範囲の話です。もし相生さんが次のステップへ進化を遂げた場合……。彼女の存在そのものが、スカウトされる可能性が濃厚という話ですよ」


そうなったら、当然同棲も解消される。


そうか。俺が手伝おうとしているのは、そういうことなんだ。


「ハッピーエンドには、二種類あります。どちらの場合も、相生さんが最強のヴァイオリニストになることが条件として含まれていますが……。問題は。野並さんと付き合うかどうか」

「……」

「海外のことを考えるなら、付き合うことが得策とも思えませんからね。逆に言うと、あなたが相生さんの一生を背負う勇気や覚悟、愛情があるのだとしたら、あなたから結論を出しても構いません」


俺自身の、美々子さんへの気持ちも、整理しておく必要がある。


好きなのか、そうでないのか。


未来を共にする覚悟があるのか、ないのか。




考えている間に、スタジオに到着してしまった。

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