鳴子メイの過去。
「メイには、お兄ちゃんがいたの」
「結構歳の離れたお兄ちゃんだったから、すごく甘えてた。わがままばっかり言った。それでもお兄ちゃんは優しくて……」
「そんなお兄ちゃんが、高校生になって、バイトを始めたの。メイと全然遊んでくれなくなった。なんのためにお金を稼いでるの?って訊いたら、アイドルのライブを見に行くんだって」
「……メイはその時、妙に腹が立ったの。お兄ちゃんが、他の女の人に取られちゃうんだって。まだ小さかったから、お兄ちゃんの言う、好きって言葉の本当の意味がわからなかった」
「ずーっとお兄ちゃんの邪魔をしてたけど、ついにお金が溜まって、ライブに行くことになった。その日メイは、お兄ちゃんが電車に乗り遅れちゃえばいいんだって。そう思って、いつも以上に邪魔をしたの」
「結局お兄ちゃんは、初めてメイを突き飛ばしてまで、家を出発した。あんなに優しいお兄ちゃんがどうして?って。メイ、すごく泣いたの」
「……でも、本当に悲しいのは、ここからで」
「お兄ちゃんは電車に間に合うために、全速力で自転車を漕いでたらしい。信号無視をして……。交差点で、車に轢かれて、死んじゃった」
「メイが、お兄ちゃんを殺したんだって思った」
「誰にも言えなかった。お父さんにも、お母さんにも。親戚にも。みんな同情してくれる。お兄ちゃんのことが好きだったのにねって」
「しばらくして、落ち着いてきたころに、お兄ちゃんの私物を片付けることになった。その時、アイドルのライブのDVDを見つけたの」
「私はそこで初めて、アイドルっていう職業を知った」
「それまでは、ただ女の子がぶりっ子して、男の人に媚を売るだけの、汚い商売だと思っていたのに、全然違ったの」
「みんな輝いてた。必死だった。汗も拭かないで……。全力で踊って」
「どうしてお兄ちゃんが生きている間に、一緒にDVDを見なかったんだろうって、その日は涙が止まらなかった」
「……罪を償うわけじゃないけど」
「お兄ちゃんに見えるくらい、私も輝かないといけないって」
「それ以上に、どんどんアイドルっていうものが、好きになって」
「今、こうなってるの」
「……引いた?」
メイは自嘲気味に笑うと、思い出したかのように、涙を拭き始めた。
そうか、メイのお兄さんは、もう……。
「正直、引いたよ。こんなに重たい理由があったなんて」
「だから言ったでしょ。聞いて損した?」
「いや、それだけは絶対に無い」
「え?」
「俺は……。メイのこと、一人の人間として、ちゃんと知りたいと思ってるから」
「桜……」
「ただ知り合っただけの同居人だけど……。できる限りの手伝いはしたいし、応援もしたい」
もちろん、まりあさんも、美々子さんも、碧先輩も同じだ。
一人一人、向き合っていくと決めた。
「……もう、バカっ」
メイがタオルに顔を押し付けながら、声を出して、本格的に泣き始めてしまった。
俺は、ただ背中を擦ってあげることしか、できなかった。
☆ ☆ ☆
「だから、わかった?妹役をやりたくない理由」
しばらくして、落ち着いたメイが言った。
「私のお兄ちゃんは、一人だけなの」
「その、さ」
「なに?」
「メイのお兄さんは……。メイのこと、好きだったんだよな?」
「……あの日までは」
「俺も、妹がいるんだ」
「知ってる」
「昔はすごく仲良しでさ。どこ行くにも一緒だった」
というか、俺は今でも、仲良くありたいと思っている。
……妹は、そう思ってないみたいだけど。
「そんな兄の立場から、言わせてもらうと……。妹が何かで活躍してる。輝いてるっていうことが――。一番嬉しいんだよ」
「……知らない人のことを、お兄ちゃんって呼んでても?」
「ただの役だしな。気にするわけないよ。それよりも、自分のせいで、妹の夢が崩れてしまうほうが、よっぽど怖い」
だから俺は――。
いや、俺の話はいいんだ。
「あくまで、一人のお兄ちゃんの意見だけどな。だけど、メイはもっとアイドルとして……。いや、芸能人として、高みを目指せると思う」
「あんなに演技が下手なのに?」
「誰だって、得意不得意はあるだろ?料理人がどんな料理でも作ることができるわけじゃないし」
「……なにその例え」
メイが久しぶりに、笑ってくれた。
ちょうどそのタイミングで、瑞橋さんが戻ってきた。
「……なにかありましたか?」
メイと俺の雰囲気を見て、何かを察したらしい。
「なにも。それより瑞橋。私、妹をやることにした」
「えっ」
瑞橋さんよりも先に、俺が反応してしまった。
「だって、このおせっかいがうるさいから」
「……本当ですか?」
「うん。だから早く連絡してきて。台本貰わないと」
「す、すぐに」
瑞橋さんがスマホを耳に充てながら、慌てて休憩室を出て行った。出たり入ったり、忙しいな……。
「メイ、どうしたんだよ急に」
「本当はわかってたの。別にお兄ちゃんは関係無いってこと」
「……え?」
「ただ、メイが怖がってるだけ。上手くできるかなって。オーディション……。受かるの久しぶりだから」
「そういうことか……」
メイは困ったように笑った。
「大丈夫だよ。メイなら絶対できるから」
「応援してくれる?」
「当たり前だ」
「……ありがとう」
お礼を言いたいのは、むしろこっちの方だ。俺だって、メイの秘密に土足で踏み込んで行って……。本当なら、怒られてもいいはずなのに、受け入れてくれた。
「桜も、頑張ってね?」
「俺も?」
「うん。色々。私はこのまま事務所に残るから、先に帰って」
「……おう」
色々、か。
休日は……。ここまでだな。
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